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十・記憶

 むこうに焚き火があってケイル様とセイラがいる。あたりは真っ暗で冷えたにおいがする。ほんの少し湿っている・・今は夜だ。
 リュートは頭だけわずか動かしてむこうをよく見ようとした。身体は全く動かない。というよりむしろ身体なんかどこか遠い所に置いてきてしまったかのようだ。
 向こうのふたりは何か話している。どうもケイル様がセイラになにか話して聞かせている。
 あのふたりはわたしを知らない、そんな気がする。
 確かに今だって向こうからこっちは見えてはいないようだけどそれより何よりあのふたりは、はなからわたしを知らないみたいに見える。ふたりでそこにいるのが当然のような・・あれはわたしに会う前の彼らだ。
 耳を澄ます。少しづつ少しづつ聞こえてくる音がある。ケイル様の声だ。ケイル様の声・・。
 「・・わたしの祖母がそうでした。」
 ケイルはいつものように穏やかな顔で、ぱちぱちと燃える火を見つめこみながら、傍らの弟子に語っていた。
 「祖母のその姿を見たことはないのです。けれどわたしたちが六歳だった時、事故があって祖母の入っていた箱が壊れてしまいました。祖母はそのあと丁重に葬られたそうです・・お葬式があったかどうかも知りません。
 そしてそのあとあの人たちがわたしの双児の姉を迎えに来ました。その時わたしも連れていかれて、わたしたちは大きな、ひんやりとして何もかもがつるつるとしたもので出来ている部屋に入りました。母はわたしたちを生んですぐに、父はつい昨年に亡くしておりましたから、それを止めだてする者はいなかったのです。いえ、父がいたとしても、それを止めることはできなかったかもしれません。
 ともかく姉とわたしはその不思議な部屋に入れられました。周りには数人の男の人がいたような気がします。彼らはわたしに、トーラン・・姉にお別れを言うように言いました。トーランはわたしの目の前で、部屋に三つほどあった透明な箱・・大人も横になれそうな大きな箱の中に入っていこうとしていました。その箱はふたが開いていて、それを見たわたしはひどくおびえたのを覚えています。
 ふたの開いているところにトーランが入るということは、そのあとそのふたは閉じられてしまうということ、つまり彼女はそこに今から閉じ込められてしまうのだと、そう思ったからです。そしてそれは正しい考えでした、あとで知ったことによると。
 今でもよくわからないのですが、トーランは殆ど、自ら進んでその箱の中に入っていこうとしていたようでした。けれどわたしは暴れました。トーランを止めようとして、思いきり喚きながらじたばたしました。誰か大人の男の方がわたしを捕まえて・・けれどわたしはどうやったものかそれを振り払い、駆けて行ってトーランを引き戻そうとして・・そこでバランスを失いました。わたしはそのまま、トーランの代わりのようにその箱の中に落ちてしまい、その拍子に箱のふたが下りて、同時にわたしは気を失いました。
 我が師の話によりますと、その時過って、トーランを“保存”するためのス
イッチが作動してしまったらしいのです。そうなればもう開けることは叶いませんでした、わたしが死ぬまでは・・けれど研究者(そこにいらしたのは研究者の方々だったのですが)の皆様はどうにか装置に手を加え、ふたを開けることこそできなかったのですが、わたしをただの冷凍睡眠にして下さったそうです。それが今から百五十年前の話になります。」
 ケイルはそこで一旦言葉を切り、胸から息をついた。セイラはいつものようにただ黙って、炎から目を離さないままそれでもじっとケイルが話を続けるのを待っていた。
 「もっとも・・わたしは眠らせるより他になかったのです、わたしでは本来の役に立ちませんから。
 わたしが眠ってしまってすぐ、結局トーランは、まだ他に二つあった箱のうちの一つにやはり入り、そのまま眠りにつきました。わたしとは違った性質の・・。
 その後大院で研究が進み、あの時あの場にいらしたひとりの研究者様のご意志を継がれたわたしの師が、ついにわたしを目覚めさせることに成功な
さいました。そして今、わたしはこのようにしてあるというわけです。」
 ケイルはまた短く息をつき、さらに語った。
 「トーランには・・目覚めてから一度だけ会いました。彼女は別れた時のまま、六歳の少女のままであの箱の中にいました。
 彼女のように幼いうちに箱の中に入ることは稀だそうです。ただあの場合
には、彼女が直系の最後のひとりだったために致し方なかったと聞きました。もしトーランに何かあれば、あとは親族の流れに継承されていくのだそうですが・・。
 あの子はあの箱の中で・・この世が破滅へとむかうのを食い止め続けていました。身体の全細胞が生み出す熱量をひとつひとつ使いながら。彼女の鼓動が今のこの世を支えているのです・・わたしたちが運命に抗うために。
 我らの血族の女性たちはずっとそうしてきたのです。五百年前に、世界が終末の時代を迎えてからずっと。
 わたしたちの一族は“巫女の一族”と呼ばれているのだそうです。そんなこともわたしは・・凍った眠りから覚めた時に、わたしの師、シーアの長老からはじめて知らされたのですが。
 師はわたしをトーランにお会わせになり、そしておっしゃいました。彼女は最早この箱から出ることは叶わない、死を迎える日が来るまでは。そのようにこれは作られているのだし、もしや彼女を外に出せたとしても、その場でトーランは命を落としてしまうだろうと。
 百五十年、その生命の営みを世界を守ることに使い続けてきた彼女の身体は、もうすでに箱の外で生きることに耐えられないのだと。この状態はいつまで続くのか、とわたしはお尋ねしましたが、それは師にもわからないということでした。いつか・・いつか何らかの理由で、彼女の身体がその働きを止めるまで。
 トーランの意識はどうなっているのか、ともわたしは師に伺いました。意識はほとんどないようなものだそうです。ただ彼女は夢見て・・ずっと夢を見続けているのだということです。いつまでも
いつまでもいつまでも・・。
 それでもわたしはトーランの姿を見てむごいと思わずにはいられませんでした。彼女の命が削られていっているようでわたしには辛かったのです。
 わたしはトーランを解放することはできないのかとお尋ねしました。師はふたを開くことはできないと仰せでした。ふたが開かれるのは只二つの場合だけ、箱の中でトーランの命が終わってしまった時、もうひとつはトーランがもはやその勤めを行う必要がなくなった時、つまりこの世が終末の危機を脱した時、それはすなわち世界が救われた時・・。」
 ここに及んでケイルの瞳は、炎を見ながらずいぶんぼんやりと、夢うつつのようになってきていた。言葉はケイルの口からこぼれ、闇に溶けるように広がっていった。ケイルは何かに憑かれた如くもしくはどこか譫言の如く、音楽に似た語りを不思議なリズムで、そっと発し続けていた。
 「世界が救われた時、世界が救われる時、世界を救う者が現れた・・時。師匠はおっしゃいました。シーアで学びを修め秘蹟の石に触れ、“石造りの塔”へ渡るものが出た時は・・その者がこの世を救う者となった時には、トーランの勤めは終わるだろうと。
 だからわたしは思ったのです。わたしがそれになってトーランを解き放つことはできないものかと。」
 セイラは相変わらず表情は動かさず、静かにケイルの言葉を受け止めている。
 「それからわたしは正式にシーアの大院に入り・・そして今に至っています。こんなに早くここまで来られたというのも信じ難いことです。きっと向いていたのか・・何かの力が働いたのか・・ともあれわたしはここまでやってきました。
 だからセイラ、わたしがこんなことをしているのは、何もそれほど崇高な目的があるからではないのですよ。世界を終末から救う・・そうできればという気持ちが全くないとは言いませんが、そんな大それたことをひとりで背負って立とうなんて英雄的な志を建てたわけではないのです。
 わたしはただ・・トーランの代わりになりたかった。彼女がその全身で支えている重たいものを取り除いてあげたかった、それがわたしにできるのなら・・ただそれだけのことなんです。
 セイラ、だからわたしは、あなたについてきてもらえるようなそんな者ではないのですよ。ましてや師匠と呼ばれるなんてそんなこと、面映くてできたものではないのです。でもわたしは、セイラがいてくれるのが嬉しかったから・・。」
 それきりケイルは口をつぐみ、セイラもしばらく黙っていた。ぱちぱちと火のはぜる音がする。ややあってセイラがいつものように短く言った。
 「わたしはどこまでもケイル様のお伴を致します。」
 「セイラ。」
 「・・。」
 「・・ありがとう・・。」
 「・・。」
 ついていきます、かあ。
 “いーな、セイラの奴。”
 リュートは並んで腰掛けるケイルとセイラの姿を意識で捉えながら、ちょっと胸の真ん中がつんとするような感じを覚えていた。何があっても奴はケイル様の側を離れないだろう。これからも、ずっと。そしてわたしも
 “ケイル様のお側に”
 いたかったんだけど・・。
 この身体のない感覚、これが最後の挨拶かもしれない。わたしがずっとケイル様のことが知りたかったから、最後でこんなところに来られたのかもしれない。
 すまない、セイラ。こんな大事なところでひとりだけ行ってしまって、おまえには負担がかかり過ぎるかもしれない・・けれどもうどうやっても、指先さえも動かなくて。
 申し訳ありませんケイル様。結局わたしは何のお役にもたてないままだった。もっとお近くにいたかったのに。もっとお守りしていたかった、そうしていたかった、のに・・
 “こんな情けない”
 ことになって。
 そしてレイラ、きみのことは一番心配だ。頼むから大事に生きてくれよ。もう百合の谷にも帰らなくていいじゃないか。ケイル様やセイラといればいいんだ。
 ああやっぱり、こんなにもいろんなことを残してもうだめだなんて、一体どういうことなんだろう。でももうこの身体は使い物になりそうもないのだ。気持ちだけでも残せるのなら、それとも何かに変化して、違うものになってでも甦ることができるのなら・・
 “わたしの身体。”
 わたしの・・。
 「あれっ。」
 何だか急にひょいと自分が持ち上げられたような気がしてリュートはあたりを確かめようとした。先程までのケイルとセイラの姿は消え、周りはただの闇になっていた。その中をリュートはどうやらどんどん前に進んでいっている。いや一寸待て、これはどうやら誰かに運ばれてどこかに連れていかれているようだ。何だそれは?一体どういう・・
 「・・セイラ!」
 「お、気がついたか。」
 ふっと視界がほどけ、いきなりセイラの顔がやたら近くにあった。あたりは相変わらず闇だったがその中を、セイラはリュートを抱きかかえ、どこかに向って一目散に疾走していた。走るセイラ、抱えられている自分、その手足。そんなものがごく普通に、リュートの視界に入ってくる。
 「これは・・。」
 「安心しろ、ケイル様が俺たちの生身の周りに結界を張って下さっている。とりあえずあっちは大丈夫だ。おまえの客はレイラが介抱している。まだ息はあったぞ。」
 「で、これは・・。」
 「ケイル様がおまえを迎えに行くように仰ったんだ。何だかよくわからんがおまえが転がっていたんで持って帰る。」
 「・・帰れるのか?」
 「帰れてるだろう。」
 はあ、まあ。
 「戻ると多分痛いが耐えろよ。」
 「わたしの身体、ひどいのか。」
 「すごいぞ。」
 「・・動くのか。」
 「動かせよ。」
 「・・。」
 「リュート、おまえはおまえが動かすしかない。おまえのことはおまえが生かすよりないんだ。」 
 「え・・。」
 「レイラが言っていた、おまえの身体は他の生き物よりもずっと精神に左右されるって。ケイル様も同じようなことを仰っていたな。急所である喉をかっさばかれればまあ生きてもいないのだろうがそれ以外でおまえたちが死ぬのは、寿命でなければ、おまえたちが自分自身でもうだめだと思った時だけらしい。」
 「わたしが思った時・・。」
 「そうだ。だから気をしっかり持て。だめだなんて絶対思うなよ。簡単に見えてこれは難しいぞ、リュート。強がってもだめだ、無理に大丈夫だと自分に言い聞かせてもだめだ。心から本気で自分を信じなくてはならない・・迷いがあれば本当におまえ戻れんぞ。
 全てはおまえが握っている。頼むぞリュート。この状況にはおまえが必要だ。ケイル様にもレイラにも・・そして俺にも。」
 「セイラ。」
 「有り体に言えばこの場面、俺ひとりではやはり少々重すぎる。
 正直に認めよう、俺にもおまえの力が必要だ。俺と一緒に戦ってくれ・・リュート。おまえには無理をさせるが。」
 「セイラ。」
 「力不足だ、すまない。」
 「まさか、そんなことはないさ。」
 リュートはセイラの腕の中でひとつ大きく息をついた。
 「セイラ、おまえは強い。あの刀さばきなど見たこともない。魔力の属性が足りないだけだ。素で戦えば魔物などものともしないだろう。わたしと戦っても・・勝つかもしれない。
 そうだおまえにいつか、魔刀を探してきてやろう。人間にも扱えるやつだ。それさえあればおまえも本来の力で魔物と戦える。もうはがゆい思いはせずにすむさ。」
 「そいつは有難いな。」
 「もうすこしの辛抱だセイラ、もうすこしの・・。おい、ところであれは出口か。向こうが何だか明るいな。」
 「ああ、多分そうだ。」
 「そうか・・セイラひとつ頼みがある。もう一度、わたしに言ってくれないか。」
 「何だ。」
 「おまえは戦わねばならない、とわたしに言ってくれ。それでわたしは思い知る。こんなところで投げ出すわけにはいかないとな。
 そうすればわたしはわたしを疑うひまもなく、きっとあの身体で立ち上がる・・から。」
 「リュート。」
 ふたりの姿はもう間もなく、明るい光に飛び込んで溶けるところだった。リュートを抱えたまま、セイラはまっすぐ前を見て言った。
 「行くな、リュート。ケイル様とレイラが待っている。みんなにはおまえが必要なんだ。たとえ・・動けず戦えないとしても。」
 「セイラ・・。」
 「戻るぞ。」
 「ああ。」
 リュートはもう一度息をついてまぶたを閉じた。そんなことあんまり考えたことがなかったな。けれど・・けれどもしそうなら・・。
 彼女のおろしたまぶたの向こうで、あたりがぱあっと明るくなった。


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