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七・石造りの塔

「でっかい・・。」
 呆れたようにリュートが言った。レイラ、ケイル、セイラの三人もその後ろに並んで立って、眼前にそびえ立つ、意味がわからないくらい巨大な門を、ほとんど口をあけんばかりにして見上げていた。  
 サークを思わせる荒れた砂漠を何日も歩いてやっと辿り着いたその門は、一体どこからと思わせるような太い太い材木を組み上げた異様に背の高いもので、もちろんその幅もゆったりあった。それに繋がり、果てしもなく左右に伸びる、同じく木造りの頑丈そうな塀。
 「どうやって開けよう・・。」
 呼び鈴も何もついていないその門を見上げてリュートは途方に暮れたようにそう言った。
 「叫んでみる?」
 「聞こえるかなあ?」
 「やってみるか。」
 「おっセイラ、おまえが?」
 「まさか。こういったことはおまえに任せる、リュート。」
 「まさかと来たか・・まあいいや。」
 リュートはすうっと息を吸い込んで、大きな声を出そうとした・・が、そこでかたりと音がした気がして、彼女は膨らませた胸から息を吐き出した。
 「あれ。」
 「開く・・。」
 やがてお定まりのぎぎいという音をさせてそのばかでかい扉はゆっくりと重々しく、少しずつ開いていった。
 「・・どっから見てたのかな。」
 「誰何もされずに開けてもらえたな。」
 四人はそれぞれ少しづつ首を捻りながら、それでも開けられた扉の間から、順番にその中へ入っていった。リュートが先頭、次がレイラ、それからケイルが続き、しんがりはセイラが勤める。
 扉が開いたからといって何かのお迎えがあるわけでもなかった。入ってすぐは、広い広い広い、白っぽいまっ平らな広場となっていて、門からまっすぐに伸びる一本のまっ白な石を敷いた道以外は何もない。その道の正面突き当たりはやはり白い石の横長の段々が短くあって、その上はまたすこし平らに、さらにその先からまた階段が始まって、これはずいぶん長く登る。登った先にはこれも横長の、やたら堂々とした建物の、これまた入り口部分が見えているだけだった。建物自体は今度は赤っぽい、柔らかそうな石でできているようだ。
 四人はとことんがらんとしたその空間を、特に相談もせずどんどんまっすぐ歩いていった。しばらくは相変わらずまるで何の反応もなかったが、四人が白い階段の一番下まで辿り着いた頃、眼前高くの建物の入り口から、三人の若い修道者と思しき男たちが現れて、背すじをまっすぐに伸ばしたまま駆け足で段を下り、四人の前に立つと揃って礼をした。
 「シーアのケイル様ご一行ですね。」
 中でも一番背の高い、凛々しい顔の青年が、きびきびとした口調でそう言った。凛々しいといえば揃いの紺の服を着た三人はいずれも目元涼し気な凛々しい青年で、へえ修道者ってこうなんだ、とレイラは少々感心した。
 彼らに先導されて四人は長い階段を登り、赤い建物の口をくぐった。その中はまたも広い庭のようになっていて、平屋の大きな建物がいくつも、きっと何かの様式にのっとっているのだと思われる風に点在していた。一隅には細長い塔もあったが、一見してリュートは、あれは問題の“石造りの塔”ではないなと、なんとなく思った。
 どうやらそれはその通りのようで、彼女たちを迎えに来た修道者たちはその中庭に踏み込もうとはせず、中庭のぐるりを囲んだ屋根のある廊下づたいに進むと、その庭のそのまた裏手に抜けていった。ケイルたち一行ももちろん黙ってあとに続く。
 「あ・・。」
 裏に出てしばらく行くと今度はかなり小さな門の前に来た。
 「遠い場所で申し訳ございません。」
 先頭の、あの背の高い青年がそう言いながらその小さな門をまずくぐった。くぐった先の風景を見て、ケイルたち四人は揃ってまた目を丸くした。
 そこは再度、広大な砂漠の地となっていた。
 門から出てすぐには、巨大な方形の格子状に、つまりいわゆる碁盤の目のように、石を敷いた道が作られていた。あたりには建物のひとつもなく、依って彼らにはその通路のほぼ全容が見渡せた。左手遠く遠く、通路から外れてさらに遠くに、ぽつんと一つばかでかい横長の、やはり赤い石でできた建物があった。そして右手斜め前ずっと先には、威容を誇る、黒い石を積んだ、巨大な円筒状の塔がひとつ立っていた。
 「あれが“石造りの塔”です。」
 例の背の高い修道者が四人にそう言った。
 一同は、方形のど真ん中を走るまっすぐな道を、どんどん歩いていった。驚いたことに、石の道に囲まれた、方形の枡目部分はところどころぽっかりと穴になり、地下に空間があった・・そのうちのいくつかでは、二、三十人の男性の修道者たちが整列し、おのおの身体を伸ばす仕草をしていたが、やがてそのうちのひとつで号令がかかり、すると修道者たちは、決められた通りの順番で、拳法の型をひとつひとつ、一糸乱れぬ動きで決め始めた。ひとつの穴が始めると、順次他の穴でもその訓練が始まった。あたりに張り詰めた修道者たちの、揃ったかけ声が時間差で響く。
 「こちらでは拳法を修めていらっしゃるのですか。」
 ケイルが興味深そうな顔で、修道者のひとりに尋ねかけた。
 「はい。当地では拳の修行に大変重きをおいております。」
 「では修道者の方は全員・・。」
 「はい、左様でございます。」
 「シーアでは違ったのですか。」
 「ええ、シーアの大院では特別に拳法部がございました。こんなに大規模に訓練をしてはいなかったのですよ。わたしも拳法には全く心得がありませんし・・。」
 そのうちに一同は石の道を通り終え、また道なき道を黒い“石造りの塔”の方へと進んでいった。乾いた風に時折髪を乱されながらとうとう彼らがたどり着いたそれは、近くで見れば見るほど他を圧倒する重々しさだった。開くのかどうかはなはだ疑わしいとさえ思えるぴたりと閉じた、同じく石でできた扉に修道者のひとりが手を触れると、地の底からでもわきあがってくるかのような一種おどろおどろしい音とともに、重たい石の引きずられる音がして、黒いその扉はゆっくりと開いた。
 「ご到着早々長々とご案内して申し訳ありません。」
 例の背の高い修道者がもう一度そう言って四人に詫びた。
 「すぐに客間にお通し致します。そちらでまずは喉をお潤し下さいませ。じきに我らが大師もご挨拶に参ります。」
 「畏れ多いことでございます。」
 一同はえらくひんやりとしたやはり黒い石の螺旋階段をすこし登り、上の階の廊下を歩いていった。塔の中はずいぶん薄暗く、ものが見えないほどではないが視界はあまりはっきりしなかった。
 「“石造りの塔”の中に客間があるのですか。」
 リュートが訊くと、
 「いえ本来はただの一室です。ここにお客様をお通しすることはまずございませんから。しかしケイル様がたは特別でございます。重要なお話にもなりますし、こちらでお目にかかるのが良いだろうと我らが大師らが申しましたので・・。」
 「そうですか。」
 さらに階段に行き着きそれを少し登って一同はまた長い廊下を歩いていく。
 「こちらでございます。」 
 とうとう修道者が示した扉はやはり黒い、しかし今度はぶ厚い木の板で作られていた。若者がそれを開こうとした時、ふとケイルが、廊下のむこう突き当たりを見遣って彼に尋ねかけた。
 「あれは何ですか?」
 「・・あれは“うつせみの部屋”への入り口でございます、ケイル様。」
 「“うつせみの部屋”・・。」
 ケイルたち四人は興味をもってしげしげとそちらを、並んで目をこらして眺めた。そこは一見ふつうの壁のようだったが、うす暗い中それでもよく見ると四角く何やら口が切れており、まわりの壁と同じ色の黒い岩でできた確かにどこかへの扉のようだった。しかしその扉は、先程のこの塔への入り口がそうだったように、やはりぴったりと、およそ開くなどということは考え及びもしないほど、固く固く冷たく閉じられていた。
 「普段はあそこは開きません。わたくしもあれが開いたところを見たことはございません。けれど後程ケイル様があそこをお開きになるのでしょう・・あ。」
 終止落ち着いていた修道者の顔色がそこで初めて動いた。他の二人の修道者もずいぶん驚いた様子で“うつせみの部屋”への入り口を見ている。ケイルたち四人はもう少し派手に驚きを表情に見せて、目をきらきらと見開き半ば食い入るように、そちらで起こっていることを見つめていた。
 まず、石の扉の周りから、薄い金色の光がこぼれ出してきた。それは一同の注視の中どんどん強い光になり、とうとう眩しいばかりのものとなった。と、不意にがたがたっと塔全体が大きく揺れ、不意を突かれた彼らが思わずよろけた足を何とか立ち直らせた頃、今度はまた急に塔は揺れを止め、一瞬あたりがしんとした。次の瞬間、
 「わっ!」
 がたん、と一度大きな音がして、“うつせみの部屋”への扉が切って落とされたように下に消えた。
 あとにぽっかり開いた口いっぱいから大量の光がどっとばかりに流れ出し、一同の目をしばらく眩ませてしまった・・やがて彼らが視界をとり戻した時もそこからは強い光が溢れたままで、さらにそこからは光だけでなく強い風まで噴き出して、皆の髪を乱して舞わせた。その風音の中、もうひとつ、何かのうなりのような音も聞こえていた。どこか遠い、ここではないと
ころから、何かが何かを呼んでいるようにリュートには思えた。 
 「呼んでいる・・。」
 頭の後ろで自分の考えと同じ言葉が聞こえたのでリュートは驚いてそちらを振り向いた。そこには例の背の高い修道者がいて、“うつせみの部屋”への入り口を、取り憑かれたように半ば呆然と見つめていた。
 「石が・・。」
 「石?」
 「“うつせみの部屋”には秘石があると言います。わたしにはわかる、何故かわかる。石が呼んでいる。石がこの方を・・。」
 「それは・・。」
 「・・わたしも感じます。」
 風の中、落ち着き払った声でそう言ったのはケイルだった。リュートと背の高い修道者をはじめとした、一同の目がさっと彼に集まった。
 「ケイル様・・。」
 ケイルは流れる風に長く細いその金の髪を任せ、黄金の光にまっすぐに顔を向けて、唄うように唱えるように言葉を続けた。
 「わたしにも判ります、石が・・石が呼んでいます、わたしを・・。リュートさんレイラさんセイラ、先に部屋へ行って休ませていただいていて下さい。わたしは“うつせみの部屋”に行って参ります。」
 「ケイル様!」
 「ケイル様、わたしも・・。」
 「いいえセイラ、あなたもリュートさんやレイラさんと一緒に行っていて下さい。多分あの部屋にはわたししか入れません。少なくとも今は・・。」
 「けれどケイル様おひとりでは・・。」 
 「大丈夫リュートさん、行って会ってくるだけです。一目会ったらすぐに戻ります。それまでおふたりのことをよろしくお願いしますよ、セイラ。」
 「・・はい、ケイル様。」
 「ケイル様・・。」
 呼び掛けるレイラとその側のリュートにケイルはにっこり笑ってうなづいた。
 「ご心配はいりません、すぐに戻ります。ごゆっくりお休み下さいね、おふたりとも。」
 「はい・・。」
 「お早くお戻り下さい、ケイル様。」
 「はい、すぐに。」
 ケイルは居並ぶ六人にむかって小さく頭を下げると、吹き付ける風に逆らってしずしずと、四角い“うつせみの部屋”への入り口に進んでいった。
 一同が息を詰めて見守る中、彼の小さな姿は圧倒的な量の光の中に、溶けるように消えてしまっていった・・彼をその中に取り込んでしまっても、その口はまだ大きく開いて、風と光を放ち続けていた。リュート、レイラ、セイラの三人は、修道者たちに促され、客間にあてられた部屋の扉を並んでくぐった。
 「?」
 しかしそこは妙にがらんとした、椅子のひとつもないような部屋だった。天井だけが妙に高く吹き抜けになってでもいるかのようで、何だかとても不自然だ。はっとしたリュートが戸口を振り向くのと、彼女の鼻の先で木の扉がばたんと強く閉じられてしまうのがほぼ同時だった。続いてがちゃりと重い鍵の掛けられる音。
 「おいっ!」
 リュートは扉に取り付き、そこをばんばんと手で叩いた。セイラとレイラも彼女のすぐ後ろに立って、見開いた目で黒い今や不吉な扉を凝視する。
 「おい、何のつもりだ、これは一体・・。」
 「リュート!」
 セイラの声にリュートが再度振り向きまた部屋の中央に目を転じると、うす暗いそこには何やらもやもやとした灰色がかった白い煙が、その身を妖しくくねらせて細く立ち上っているところだった。
 と、それはいきなり大きく膨れて霧のようにあたりに立ちこめ、鈍くなった視界のそこここに、今度はけものの目のような光がいくつもとさらに黒い影が無数に、彼らの前に現れ出でてきた。
 「・・!」
 「リュート!」
 レイラはリュートに身を寄せ、リュートはレイラを庇うようにその前に立った。そんなレイラを同じく隠すように、セイラもリュートと触れ合わんばかりに並び、刀を抜いて部屋の中を睨みつける。
 「リュート。」
 「セイラ、これはどういうことだろう?ジュンナの情報が間違っていたのか?ここは本当の“石造りの塔”ではないのだろうか。」
 「それとも。」
 「それとも・・。」
 同じ頃。
 まばゆい光の中、そっと目を閉じていたケイルは、浮遊感がふと終わったのを受けてそのまぶたをあげた。するとそこはすでに、ひとつの部屋の中になっていた。広いようなそうでもないような、板張りの床をしたその部屋はぐるりをすべて壁の代わりに本棚にしていた。使い込まれた深い色の、つやのあるほとんどいかめしいそれら本棚は果てがないと思われるほど高く高く上に伸び、しかもどの棚にもぎっしりと、重々しい古びた革の背表紙の書物が立ち並んでいた。
 ケイルの正面すこし向こうにはひとつの茶色い台があった。美しい木目を見せるそれは、ずいぶん小振りで高さもケイルの胸までもない。その上にひとつ、やはり茶色がかった大理石の台、さらにその上にひとつの黒い、かどのない石・・。
 「わたしを呼びましたか。」
 ケイルはその石にむかってそう語りかけた。石からはかげろうのように何かがゆらゆらと立ち上っている。そのうちに、その石はすうっとまっすぐ上に浮き上がり、ケイルの背より高いところで宙に浮いた。と、突然そこから熱を少し帯びた強い光が発せられ、ケイルは目を眩まされて一瞬、顔をそむけた。しかしすぐに彼はそれに抗し、まぶたをうすくあげて石を見返した。
 「あなたは・・。」
 石のまわりの揺らめきがますます強くなっている。光は明滅を始め、まわりの棚とその中の革表紙が、照らされ闇に隠されちらちらと視界を乱す。しかしそのようなものには微塵も気持ちを動かされぬように、ケイルはやはり石を見つめ、それにむかって言葉を続けた。
 「あなたは・・“秘蹟の石”ではないのですか?にせもの、なのでしょうか?いえ・・いえそうではない。そうではありませんね。」
 ケイルのいつものような穏やかな顔の上に、すこし悲し気な色が宿る。
 「あなたは確かに“塔の秘石”。けれどあなたは・・一体どうして・・」
 石の光の明滅の度が増す。どこからかまた吹いてきた強い風がその部屋の中を渦巻いて、ケイルの髪と服の裾を、大きくきつく乱し始めた。 
 「どうして汚されてしまっているのですか・・。」
 ごおっと風のうなる音がした。
 一方、客間と称された部屋に閉じ込められたリュート、セイラ、レイラは、うす闇の中、いつの間にかそこに満ち溢れた、異形の魔物たちと激しくやりあっていた。レイラは先程から身体を小さくして宙に舞い、ひらりひらりと飛んで火薬をふりまき、それなりに功をあげている。リュートとセイラも大車輪の活躍ではあったが如何せん相手の数が多く、倒しても倒してもきりがない。ええいとひとつ、また魔物のかげを切り裂いて、リュートはその背中をセイラの近くに少し寄せた。
 「どうするセイラ。」
 「この分ではケイル様が心配だな。」
 「違いない。とっととこんな場所、出るに限るな。」
 「この戸、破れるか。」
 「並の手じゃあ破れんだろうな。仕方ない、いちかばちか・・。」
 リュートは目をあげて、頭の上あたりにいた小さなレイラに声をかけた。
 「レイラ!ここから雲が呼べるかなあ?」
 「雲ねえ・・。」
 レイラはひらひらとリュートの頭のそばを飛び回りながらその首を傾げた。
 「閉められているから・・どうかしら。でもやってみる価値はあるかもね。」
 「じゃあそうしよう。」
 「いいわ。」
 レイラはくるりと宙返りをすると、ぱっとリュートたちと同じ人間の大きさになった。リュートとレイラは空の一点をそれぞれ見つめ、頭の中、胸の中で強く念じた。
 “来い!わたしの雲・・。”
 届くかな?
 程なくがちゃんと音がして、天井のひどく高かったこの部屋の、上の方にごく小さくついていたはめ殺しの窓から、それを割ってふたつの白い固まりが、リュートとレイラめがけてまっしぐらに降りてきた。はじめは固く小さかったそれは、魔物どもを掻き分けて彼女らのそばに来ると、ふわりとほどけるように広がってふたりの足元にかしづいた。
 「来たわね!」
 「いい子だ。」
 リュートとレイラはちょっと嬉しそうに、それぞれの雲に飛び乗った。さっと上げた明るい顔のその目をきらりと光らせて、リュートがセイラの顔を見た。
 「よしセイラ、乗れ!」
 「大丈夫か?」
 「こないだ大丈夫だったろ?こいつはなかなかやるよ。ケイル様のところへ行くぞ、すぐに乗れ!」
 セイラは大きなストライドでリュートの雲に駆け寄るとぽんと彼女の後ろに飛び乗った。
 「前より派手に強行突破するぞ。しっかりつかまれよ!」
 リュートの言葉が終わるか終わらないうちに、ふたつの白い雲はぐうんと上に持ち上がって一度魔物たちの頭上に登り、ぐるりと大きく旋回して一気に閉じられた扉へ突っ込んでいった。掴み掛かる魔物どもを高速で無理矢理ふりきって進む雲の上で、先に立ったリュートがくるくると、自分の身体の前で彼女の棒を縦にして旋回させた。
 「突っ切るぞ、頭を下げろっ!」
 凄まじい音がして、リュートとセイラを乗せた雲は黒い扉をぶち破り、嵐に吹かれたように廊下に飛び出した。さして奥行きのない廊下を急カーブで切り抜け、そのままリュートらの雲は、廊下を進んで突き当たりを目指す。
 「閉じてる。」
 いまいまし気にリュートがつぶやいた。見れば先程ケイルが消えた、あの“うつせみの部屋”への入り口は、今は一番最初に見た時のように固く閉じ、黒い岩の壁に溶け込んでしまっている。
 「あれは破れんだろう。」 
 「ああ、ちょっと無理だ。下手をして怪我をすればあとに響く。さてどう行くか・・部屋の位置さえわからんからなあ・・。」
 「一旦外に出ましょう、リュート!」
 後ろからレイラがそう言う声が聞こえた。
 「そうするか。」
 リュートは突き当たって左に廊下を折れ、その正面のガラス窓を高速のまま目指していった。
 「もう一遍破るぞ、怪我するなよっ!」
 ガチャンと派手な音をさせてリュートとセイラが、続いてレイラが、中空高くに飛び出した。眼下には乾いた砂漠、あちらに方形の道、遠くに赤い横長の建物。それらが視界の中でくるくると回り様々な角度で映像の断片のつぎ合わせのように、次から次へと意識の中に飛び込んで来る。これがいわゆるリュートの曲乗りか、とセイラが思っているとようやくそこで動きが安定し、彼らは少し離れた高い場所で、黒く背の高い“石造りの塔”を目の前にしていた。
 「さてケイル様はどこだ。」
 「ありそうなのは最上階だな。」
 「確かに。誰か捕まえて締め上げたら話すと思う?」
 「うーん・・相手はつわもの揃いっぽいからねえ。口だけは固いかもよ。」
 「舌でも噛まれたら辛いよな。仕方ない、自力で行くか。」
 リュートはすうっと自分の隣に雲を寄せていたレイラと目を合わせ、ふたりはちょっとうなづき合った。
 「手分けしましょうか。」
 「ああ・・しかしきみはひとりにならない方がいい。セイラ、一緒に行ってくれるか。」
 「あら大丈夫よ、お探しするだけだもの。雲もあるし小さくなってもいいわ。三人でばらばらになりましょう。その方が絶対早いわよ。」
 「そうかな・・じゃあケイル様をお見かけするか何か問題があったら雲で外に出ていよう。セイラとはあとで落ち合う場所を決める。くれぐれも誰も無理をしないで。レイラ、本当に気をつけてくれよ。」
 「もちろんよ。わたし昔からがんばらないタイプだったでしょ。」
 「それでよく叱られてたよな・・よし、今回はそれで頼むよ。最上階にはみんな一緒に飛び込もう。もしかそこにいて下されば一遍で片付くからな。いい?」
 「よくてよ。」
 「ではもう一度行くぞ・・セイラまさか怪我などしていまいな?」
 「おかげさまで。」
 「よし、今度も気をつけろよ。レイラ、続いてくれ!」
 「いつもあなたばっかり先頭で申し訳ないわねえ。」
 リュートとレイラの雲は高度を上げると、少し細くなっている黒い塔の最上階と等しく並んだ。手頃な窓をまた見つけ、リュートは再度、自分の前で例の棒をぐるぐる回す。
 「行くぞおっ!」
 二つの雲はふっと一回呼吸をためると、急に速力を出して今度は黒い“石造りの塔”の中に、すごい勢いで突っ込んでいった。
 「・・・!?」
 飛び込んでみると、塔の最上階はやはりうす暗くて黒い石の壁をしていたが、実はそこには廊下も部屋もなかった。
 そのフロア全体がひとつのがらんとした空間になっていて、隅に古い本棚があるきり、他のフロアと比べると妙なことにずいぶん小さい。
 「空振りか。」
 「穴が二つあるわ。」
 リュートとセイラの雲、レイラの雲はそれぞれひとつずつの穴の前で止まった。彼らは雲から降り、しげしげとその穴の中を覗き込んでみた。そこにはどちらにも古びた木の階段が付いていて、そこから下階に降りていくことができそうだった。
 「わたし、ここからおりるわ。じゃああとでね。」
 まずレイラが元気にそう言うと、あっと言う間に自分の前の穴の中に身を躍らせて滑り込んでしまった。
 「セイラ、わたしたちも行こう。雲はここで大丈夫だ、呼べばまたすぐ来てくれる。」
 ふたりは相次いで階段を下り、一階下の廊下に出た。そこは何故か一本のまっすぐな廊下が無愛想にあるだけで、途中枝分かれもしていなければ他の通路と交わってもいない。その廊下にはむこうにひとつきり、どうも下へ降りる階段がついているようだ。あとは扉ひとつ窓ひとつ確認することはできなかった。
 リュートとセイラは目配せをして、続いて廊下を走ると反対側の階段を飛ぶように駆け降りた。次の階の廊下は今までより少し広くなっていて、やはり一本道だったが、今度は反対側の突き当たり付近の右手にも左手にも、ひとつづつ階段がついているように見えた。
 「俺は左に行こう。」
 「ではわたしは右へ。」
 ふたりがそう言い合いながら廊下を駆け、丁度半分位までに差し掛かった時である。いきなり二人の左手の壁が、中で爆発でも起こしたようにこちら側に吹き飛んで、強い風と光が一気にこぼれ出してきた。
 「!」
 「うわっ!」
 直撃こそまぬがれたが、リュートもセイラも爆風のあおりを喰ってはね飛ばされ、床にばたばたと転がされてしまった。
 「なんだ・・?」
 ふたりが床から肩を起こして顔をあげ壁の穴を見ると、そこからはもう何の風も光も出てはおらず、しんと静かで、かえって暗くからっぼな感じが強くした。リュートとセイラはぱっと跳ねて再度立つと、無惨に崩れているその壁の穴を、警戒しながら覗き込んだ。
 「ケイル様!」
 「ケイル様っ!」
 そこは何だか冷え冷えとした暗い部屋で、まわりの壁はすべてぎっしりと本の詰まった重たそうな本棚になっていた。リュートとセイラの正面にあたる壁の本棚は、しかしこちらから吹き飛ばされたように部屋の向こうに向かって崩れ、そこから寒々とした白い光が射している。部屋の中程には背の低い、美しい木の台、その前に倒れている小さなからだ。
 リュートとセイラはばたばたと部屋の中に駆け込み、ケイルのそばにかがみこんだ。セイラに抱き上げられた腕の中で、ケイルはゆっくりと目を開けて、リュートを見て小さく微笑んだ。
 「ケイル様。」
 「ケイル様、大丈夫ですか。」
 「ええ・・大丈夫、わたしは大丈夫です。石は・・石はどうしましたか。」
 「石?」
 「台の上の石です。小さな、黒い・・。」
 リュートが木の台に駆け寄ってその上を覗くと、そこにはばらばらになった黒い石のかけらと思われるものが、茶色っぽい大理石の台の上やそのあたりにばらまかれたように散らばっていた。
 「壊れています。粉々に・・。」
 「そうですか。」
 ケイルはそこでちょっとだけ安堵したように息をついた。そしてその上身をセイラの腕から起こそうとしたが、直後、顔を大きくしかめてもう一度セイラの腕に倒れ込んだ。
 「ケイル様!」
 「大丈夫、大丈夫です。ただちょっとまだ頭が・・。でもわたし早く行かないと。」
 「行くってどちらへ。」
 「むこうです。あの穴のむこう。何かがあっちにむかって逃げていきました。きっと石を操っていた者です。あれがここに巣食う何ものか・・早く、早く行かないと・・。」
 「石を、操る?」
 「ここは侵されていました。秘蹟のための石さえも、何者かに。わたしはそれと戦って・・石は割れたのですけれど、その中の何かを逃がしてしまって・・。」
 「この場が、侵されている・・・。」
 リュートとセイラははたと目を合わせた。そうか、やはりそうか、それで自分たちもあの魔物の部屋に通されたのか。
 「この学び舎が全て?」
 「どうだろう、知らされていない者もいるかもしれないな。とにかく親玉を押さえれば何とかなるんだろう?」
 リュートは一旦背中に収めていた棒を再度手の中に握り込むと、かちゃりといつものように、一度鳴らして刃を出した。
 「早く行かないと逃がしてしまう、そうおっしゃるのですね、ケイル様?それに、一旦はケイル様に負けてしまった以上、むこうがどんな反撃に出るかわからない。お任せ下さい、ケイル様。ひと足先にわたしが参ります。」
 「リュートさん!待って、わたしも行きます。相手は術を使います。おひとりでは・・。」
 「大丈夫、足留めくらいはできます。ケイル様は落ち着かれてからセイラと一緒にお越し下さい。セイラ、ケイル様を頼むぞ。あとできたらレイラと連絡をとってくれ、あの子ひとりにはしておけないから。ではケイル様、お先に!」
 「リュートさん・・。」
 ケイルは再度身を起こそうとするが、またも頭痛に襲われて眉をしかめた。リュートはそんなケイルに、たしなめるように微笑ってみせて、セイラにうなづきかけると崩れた本棚のむこうがわ、光の中に、棒を片手にひとり飛び込んでいった。
 「セイラ、レイラさんを探しに行ってください。」
 ケイルがセイラを見上げながらそう言った。
 「わたしは大丈夫、すこし横になればすぐに治ります、置いておいて下さい。わたしたちも急いでリュートさんを追わないと。レイラさんもおひとりのままでは危険です。お願いします、すぐに・・。」
 「・・わかりました、ケイル様。」
 セイラはそこで、ひょいとケイルを抱きかかえて立ち上がった。
 「セイラ。」
 「少し揺れますがよろしいですか。」
 「はい・・大丈夫です。」
 ケイルは少し息を吐き出して小さくうなづいた。
 「セイラ・・あなたたちにはもう・・何と言っていいのか・・。」
 およし下さいケイル様、とセイラは微笑った。

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 「おおあれは妻たちではないか。」
 うす青い空を仰ぎ見て、ジュンナがシンムにそう言った。それは丁度リュートとレイラの雲が例の魔物の部屋から抜け出し一旦塔の外に出て、また最上階へ突っ込もうとするその間だった。
 どこをどうしたのかジュンナとシンムは二人連れ立って、問題の“石造りの塔”に裏の方から近付いていた。つまり正門を通らずにその反対の砂漠の方から直接そちらに近付いていたのである。空に浮くふたつの雲にジュンナは相変わらずの楽しそうな目を向けて、いーなーセイラの奴、と妙にのんびりした台詞を吐いた。
 「しかし陛下、いささか様子がおかしくはございませんか。」
 「うん?そうだな何だかちょっと緊迫しているように見えなくもない。やっぱりなあ。あれたちの行くところはどうもいつも話がややこしくなっておる。」
 「いかがいたしましょう。」
 「うんまあ、助けないと・・あの分じゃどうやらあの総本山とやら、どうもまっとうには機能しておらんな。シンム、あの六人を呼べ。今より我らは総勢にてあの変な塔に乗り込むぞ。」   
 「御意。」
 シンムがさっと手を振ると、もうそれだけで、この何もない砂漠のどこから現れたかさっぱり傍目にはわからなかったのだが、いつの間にか例の六人の長身の男たちが、相変わらず色だけは黒で揃えた衣服を身に着けて立ち並び主君らを囲んだ。それを見たジュンナはいたくご満悦のていだったが、シンムの方は少々思案気に頭を傾けた。
 「大丈夫でしょうか本当にこの薬。効果は絶大のようですが・・。」
 「大丈夫大丈夫わたしを信じなさい。ちゃんとあの本に書いてあったんだから。これで我らの親衛隊も古えの大国家なみ、姿が消せるなんてすごいよな。しかも出るも消えるも自由自在。時間限定とはいえど。」
 「しかしあの、身体の方には・・。」
 「だーいじょうぶ、なんてったって昔の人は実際に使ってたんだから。うちの六人は鍛えに鍛えた鋼の身体だよ。古代人にも負けるわけがない。」
 「はあ・・。」
 「だからわたしがまず飲むって言ったのにおまえたち飲ませないんだもの・・でも良かったよな、さっきの街でとうとうナージの根、見つけられてさ。探してたんだ、この薬ばかりでなく、他にもいろんな薬に使えるのだぞ。これもあの本に書いてあった。」
 「はあ・・。」
 「まあとにかくさあ行こう、件の塔へ!殴り込みなら人数多く見せてた方が迫力あるしな。そうだ、どうかするとあの中にはまだ、見たこともないような薬の本がたくさんあるかも知れんぞ。わくわくするではないか、なあみんな。」
 「はあ・・。」
 わくわくしているのはどう見てもジュンナひとりのようだったが、例によって彼は一切それを意に介していなかった。相変わらずの笑顔の中で、しかしジュンナは改めて、凄みを秘めた目で黒い塔をやや上目に見た。
 「諸君、あそこはちと骨がある。心してかかれよ・・では参るぞ。」
 シンム以下七人の男たちは、合わせるまでもなくしかしほぼ同時に、御意、とジュンナに応えて言った。

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 光に飛び込み視界を失ったまま少し行ったリュートはどうやら、ひやりとするうす暗い一室に出た。
 「おや、ここは・・。」
 変に見覚えのあるそこはよく見れば確かにあの、さっき雲に乗って飛び込んできたこの塔の最上階の空間に違いなかった。おかしいな。階が違うはずなのに。
 先程は隅の古い本棚以外は何もない場所になっていたが、今はその本棚の横に妖しい青い光の玉が伸び縮みし、その部屋をなんだか不健康な色に染め上げていた。リュートはまっすぐにその光に近付こうとした・・が、ふっとその足が止まり、彼女は素早く身をかがめてうしろに引いた。
 “!”
 襲いかかる刃をよけきり、棒を構え直してリュートはきっ、と疾風のように自分の前を横切った影を睨みすえた。それはそれほど見慣れぬながらしかしやはりリュートの意識には、確かに刻み付けられている姿だった。リュートは我知らずその名をつぶやいていた。
 「ロウコ・・。」
 その男は例の三日月刀を右手にかかげ、腰を落としてあの月夜のように、リュートを見つめ返していた。
 「・・邪魔をするな。」
 リュートは彼に向かって放つように言った。
 「わたしは急ぐのだ。あの光のむこうに行かなくてはならない。」
 あの青い光はまた次の空間への口であるとリュートはふんでいた。あの先にケイル様と戦ったものが、わたしの追うものが行っている。急がねばそれを逃すかもしれずまたあの青い光すらいつの間にかすっかり閉じてしまうかもしれないではないか。
 「おまえに関わっているひまはない。」
 「・・俺にはある。」
 ロウコは心持ちゆっくりとリュートにそう言った。
 「俺はおまえを止めるために来たのだからな。」
 「何故だ。」
 ロウコの言葉が終わるか終わらないうちにリュートは鋭く問うた。
 「何故おまえがわたしを止める。あのむこうに何がある。あのむこうには誰が・・。ロウコ、おまえは一体何のために、わたしたちの前に現れるのだ。おまえは何のために、そんなふうに動いているのだ。」
 「誰がいるかわからんか?」
 「わかるものか・・いや・・少しは。ここを侵したもの、この学び舎を牙にかけた邪悪なものだろう。そいつにはケイル様が邪魔だったのだ。だから・・だからおまえはケイル様をつけ狙っていたのだな。あのたくさんの魔物たちも・・。するとおまえはそんな妖魔に使われた・・」
 リュートの瞳がそこで少し細く絞られた。
 「わたしたちの敵・・。」
 魔物の手先、か。
 「当たらずと言えど遠からずだな。」
 三日月刀の構えを崩さないままロウコはそう答えた。
 「確かに俺はおまえたちの敵の使いだ。そしてそれはこの塔を変えた者たちだ。それに違いはない。俺は彼らから話を受けて、おまえのケイルを葬ろうとしていた。それもその通りだ。」
 「ではどこが違う。」
 「おまえが使った言葉さ。あの者たちは“妖魔”ではない。」
 「では何だ。」
 「ただの人間さ。これは侵略ではない。単に堕落だ・・おまえたちの立場から言うのならな。そちらの方がよほどありそうなことだろう?」
 「堕・・落?」
 「奴らは聖人であることを自らやめたのだよ。それだけのことだ。」
 ロウコの口調は不自然なままに淡々としていた。
 「ろくでもないと言えばそうだ。しかしそれがそんなに責められるべきことなのか?」
 「堕落しようがしまいが知るか。聖者の道など興味はないぞ。」
 そこでリュートはあっさりそう言い放った。
 「おまえ、あの子を軽んじる気か。聖者の道はあの子の道だろう。」
 「わたしに大事なのはケイル様自身であって他のものではない。」
 「堕落は嫌いではないのか。」
 「わたしには基準はない。何が堕落で何が正道なのだ。何でも好きにすれば良いのだ・・今のわたしはただ、ケイル様をお守りできればそれでいいのだ。そして自らが堕落とやらをしたからと言って全く知ったことではないが、ケイル様を葬ろうとする輩ならわたしはそれを許さない。」
 「ただケイルのため、か。」
 「他に何がある。」
 リュートにはロウコが、何故かすこし笑ったように見えた。
 「・・そもそも手前たちに引け目があるからってケイル様を殺そうなんてとんでもないことだ。何だってそんなことに・・堕落とやらがシーアにばれるのでも怖れたか。」
 「ま、そんなとこだ。」
 「ばっかばかしい、せいぜい制裁でも受けるがいいさ。とにかくわたしは行って来る。むこうに誰かいるのだろう?おまえの雇い主か?悪いが話をつけてくる。ことによっては戦わなくてはならないな。」
 すっと構えをほどき、棒を片手に一歩踏み出したリュートの鼻先に、三日月刀の刃が突き出された。
 「まあ・・そうだろうな。」
 と、じろりとリュートはロウコを見た。
 「変わった奴だ、おまえは。」
 呆れたようにロウコが言った。
 彼らは同時に一旦左右に散ると、すぐにおのおのの獲物を合わせた。リュートの棒とロウコの三日月刀の刃が幾度もぶつかり合い弾き合って、文字通りあたりに火花を散らした。
 “全く何だってこんなことに。”
 戦いの邪魔だとわかっていたが、リュートは小さな苛立ちを抑え切れていない自分に気が付いていた。
 “わたしには時間が・・。”
 時間が?
 「やめないか、ロウコ!」
 打ち合いながらリュートは大声で彼にそう言った。
 「おまえは・・おまえはそれでいいのか?おまえの言う“堕落”した者たちに使われてそれでいいと言うのか?」
 「俺には基準がない、おまえと同じだ。奴らのことは支持も庇いもしないが、糾弾する気も責める気もない。」
 「であれば・・支持がないのであれば手を引くが良いではないか。」
 「勝手を言うな。俺の仕事だ。」
 「仕事?仕事だからか?何がおまえを動かしている。何のためにおまえはこうしているのだ。義理か?報酬か?それともすじを通すために?」
 「どれでもあってどれでもない。覚えておけリュート。おまえの望みはケイルを助けること、そして俺の目的はあの子を葬ることだ。」
 「だから何故・・」
 「いいか。」
 リュートの言を遮ってロウコは言った。
 「あの子を助けたければ俺を止めるがいい。」
 「おまえを打ち据えろと言うのか。」
 「ああ・・しかし俺はなかなか止められんぞ。手っ取り早く済ますには、一瞬でカタをつけるのだな。」
 「何?」
 「おまえの刃で俺の喉を裂くことさ。」
 「・・。」
 リュートは口元を噛み締めてロウコの顔を睨みつけた。
 「俺たちは多少のことでは死なぬだろう。ただひとつ、喉を一文字に掻き切られぬ限りは・・。それが最も早いぞリュート、一振りで済む。動けなくなるまで打ちすえるのはお互い時間がかかり過ぎるからな。」
 「殺せと言っているのか。」
 「殺されぬ限り俺はケイルを葬りに行く。」
 「・・。」
 「おまえはどうする、リュート?」
 「わたしは・・。」
 “リュートさん。”
 「わたしは殺されぬ限りケイル様をお守りする。」
 「決まったな。」
 かつん、と一度、また大きく刃の触れる音がした。
 “なんだってまたこんなことに・・。”
 全く互角の戦いを続けながら、先程と同じ言葉をリュートは胸の内で繰り返し続けていた。わたしは・・わたしたちは何をやっているのだ?殺し合い、か。そう、殺し合いだ。何と浅ましいことだ。それも・・
 わたしとこいつが。
 わたしと・・この男が・・
 “・・ケイル様!”
 お助け下さい、ケイル様!
 あの、ロウコを初めて見た月の夜のことが、リュートの頭の中に鮮明に甦ってきた。そう、そもそもこんなことがなければ会うことさえなかったかもしれないわたしたちだった。しかし、選りに選って、選りに選って何故わたしたちがこういう出会いなのだ?何故わたしたちはそれぞれ、このようなものとして向かい合っていなくてはならないのだ?
 “来た!”
 しかし、一瞬の決定的な好機をリュートの身体が見逃すことはなかった。彼女はロウコの胸をついて彼の背中を壁に叩き付けるとその首筋すれすれに彼女の棒の刃を力いっぱい突き立てた。
 ロウコはリュートの目を見、リュートはロウコの目を見返した。
 「・・見事だ、リュート。」
 落ち着き払った声でロウコはそう言った。
 「おまえの勝ちだ。俺の首をかきさばくがいい。」
 「・・。」
 「どうした、急げ。おまえの敵が待っているぞ。」
 「・・ロウコ、おまえはそれでいいのか?」
 「何がだ。」
 「わたしたちがこのようで本当にいいと思っているのか?」
 「おまえと俺がどうした?」
 「わたしは・・わたしたちは・・。」
 この世でただふたりの・・。
 「やめると言ってくれ。ケイル様を狙うのをやめると言うのだロウコ。」
 「できないと言っただろう。」
 「だから何故!」
 「リュート。」
 ロウコは覗き込むようにリュートの目を見て言った。
 「おまえが俺なら何と言う?」
 「なに?」
 「おまえの喉に俺の刀の刃があった時、おまえなら何と言うのだろうな。」
 「・・。」
 「ケイルを守らないと言うのか?」
 「わたしは・・。」
 「言うと思うか?」
 「わたしは・・。」
 わたしは・・。
 「わたしは死んでもケイル様をお守りする。」
 「そうだろう。同じことだ。」
 リュートは血が出るほどに自分のくちびるをきつく噛んだ。
 「どうした。急がねば時間がないのだろう。」
 「・・。」
 「ためらうな。戦いでは一瞬でもためらった方が負けだ。リュート、おまえはこれからも戦い続けていくのだろう。」
 「わたし・・。」
 「どうした。」
 「わたしはおまえを・・。」
 「・・。」
 「わたしはおまえをずっと待っていたのだ・・。」
 “リュートさんはあの方を待っておいでなのでしょう?”
 「ずっと待って・・。」
 「リュート。」
 彼女と目を合わせたままロウコは言った。
 「俺がおまえを探していなかったと思うのか?」
 瞬間、リュートの頭を火花が駆け抜けた。彼女はその目をきらりと光らせると、ロウコの首元につき立ててあった棒をひと息に抜いた。
 そして目にも止まらぬ速さでそれを大きく頭上に振りかぶると、使い慣れたその大事な棒を、いつにも増して渾身の力をこめ、空を裂くように降り下ろしてのけた。


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