見出し画像

「普通になりたい。#1」

「普通になりたい。」
「ありのままの自分でいたい。」

この2つの想いが私の奥深くに根付いているかも。
変わり者にはなりたくない。とびだせない。みんなと同じでいたい。環境から排除されるのが怖い。
と周りを気にする一方で、ありのままの自分でいないと苦しくなりもする。(難しい....)

早く全ての殻を破って何も気にせずスッキリ真っ直ぐ生きてみたい。

逆に、それができている人って日本にいるのだろうか??
みんな何かしらきっと葛藤している事ってあるんじゃないかな。

自分の事を全部を受けとめて、この経験があったからこそこの身体だからこそ得られた事成長できた事があるって、心から思えた時もっと人生が輝いて楽しくなるんじゃないかな!
私はそうなりたいな!

20歳の今、ことの20年間をここに記してみる。

あの時の素直な感情も今の私が思うことも全部ゆっくり言葉にしてみる。

自叙伝書く!とみんなに言ってから人にどう見られるんだろう。何か今と変わっちゃうかなとか色々考えて自己開示するのが怖くなって1投稿目を書くまでに時間がかかっちゃった。


全て書き終えた時、自分を好きになれるようになりたい。

ことは、ことでよかった。
って本気で思えるようになりたい。
そして、読んでくれた人の前進する一歩に少しでもつながったらいいななんて思う。


前置き、長かったね。ごめんなさい。


今のことから、昔のことへ
(お手紙形式で)

2000年11月13日。ことはアソ家の長女として生まれたね。パパが新たな仕事に踏み出した年でもあるね。「熱き○○人」と題されたインタビュー記事で、ことが合格届を持って生まれてきたのではないかって書いてくれててなんだか嬉しくなっちゃったよ。だから、熱量だけはある子に育ったのかね。?
改めて、合格おめでとう。20年経った今でも楽しそうに仕事をして進み続ける姿を間近で見てるとパパみたいな人になりたいって思っちゃう。家ではドリフの真似をして家族を爆笑させてくれるし(たまに情緒不安定なのはどうにかして欲しいけど笑)
家庭も仕事も両立するパパみたいになりたいし越したいのに一生追いつけないよ。最近なんて料理始めるし。
ちょっとはスピード落としてくれないかね笑笑 
いつもありがとう。(これ昔の私じゃなくてパパ宛てや🙃)



よし。話を戻して〜

私は、朝川崎市の病院で生まれた。うん元気な女子。
右足の指は6本あったらしい。他指症ってやつだ。赤ちゃんの頃手術して無くなってるから今は跡しか残ってないけど。

小学校2年生の時、授業か何かで他指症の話が取り上げられて、私はクラスのみんなに恥も知らずと私こうだったんだよーって跡のある足を堂々と見せてた。でも、家に帰ってママにそんな見せびらかさない方がいいよ的なことを言われて、あっこれ。普通じゃないのか。ことだけ変なのか。って気づいた。
多分そこから、誰かに気にされるのが嫌でプールの授業で裸足になる時自分の指の上に左足を置いたり右手を被せて隠すようになった。
小2の時に妹が生まれたんだけど、すぐさま指の数を数えて、あー5本だ。よかったって安心したのを覚えてる。

大きくなってからもその指の爪の形が変で上手くネイルも塗れないし、運動で怪我した時は指うまく使えてないから?って思ったり、なんでこうなの??って何度も思った。
でもね。つい最近、トレーナーの人がこの指のことに気づいてくれて、私は「あー見つかっちゃった。なんか思われちゃうな。」って沈んだ気持ちになった。だけど「1000人に1人ぐらいで神の子って言われてるんだよ!豊臣秀吉、マリリンモンローとかもそうだったんだよ!」って教えて貰ってそんな事今まで知らなくて、ちょっとだけ、まあそれならいいかな、、、。と視界がちょっと広くなった気がした。

身体の事。もう一つある。
これは、私が色んな事に挑戦して成功体験を幾ら積んだとしても、自分に自信を持てない、自分を好きになれない。どうせダメだ。普通になりたい!!!私なんか。。ありのままでいたい。。と今も強く思ってしまう根本的原因。

それは、肩に大きなアザ?シミ?がある事。扁平母斑っていうのかな。診てもらったことないか
らわからないけど。

半袖でピッタリ隠れるから、温泉に行かない限り気付かれない。だから逆にいつまで経っても隠し続けて自分を受け入れられない認められない。

いくら相談事に乗ってもらって全てを打ち明けたつもりでいても、温泉に行かなければ最後にこの関門は残っている。

私は4歳からバレエを習っていて、レオタードはそのせいでいつも肩つきのものを選んでた。(肩つきの可愛いものってあんまない)衣装を着る時は、ファンデーションみたいなのを肩に塗りまくって隠す。中学生になってバレエの先生に「私肩に。。」ってレッスン後暴露して初めて今まで大嫌いだった衣装でのリハの時少しだけ安心できた。

中3から高3までは寄宿舎に入った。一緒に住んだら全てを打ち明ける事になるからありのままの自分を晒した上での友達ができるとも思った。
初めて寄宿でお風呂に入る時。お風呂に入る前に友達wさんに私シミ見たいのがあるんだよね、、って勇気を持って伝えてみた。
「気にしないよ!そんなの!」って言ってくれてその子にちょっと心を許せた。多分その言葉を求めてた。
濡れた髪の毛で左肩を隠したりしながら、お風呂に入ってたけどそれで私をいじってくる人は誰1人いなかった。
高2で、バスケ部に転部する時も、最後の最後まで迷ったのはバスケのユニフォームが肩出しだから。それがなかったら、あんなに〆切ギリギリまで迷わなかった。(バスケ部に転部した話はまた後で書こう。)
でも、一個上の大好きだったバスケ部にいた上級生Hさんに寄宿の寝室で話したいことがありますって呼んで初めて打ち明けたら、「なに!そんなことでバスケ躊躇してたの!そんなんだれも気にしないよっ!」って。言ってくれてそれを伝えた瞬間にもっとHさんの事を信頼できて、Hさんの話も聞けて何でも話せる、本当のお姉ちゃんみたいな存在になった。(その人の姿を見て私は今の私になれたと思う。感謝がいっぱい。その話もまた後で。

今思えば、そんだけ自分を認めてくれる人はいるのかな?、いる!って信じたくて新たな環境に入る前に誰かに聞きに行ってたのかもしれない。

自分の肩をいつから気にするようになったのかは分からないけど、ママに私のシミいつできたの?って問いかけても「わからない!」の一点張りだった。
小学校の頃、ママがお風呂に入っている隙に親のスマホで何度もこのシミが何かを調べた。どうやって消せるのかも調べた。生まれた時の写真を掘り出して、肩に何かあるか何度も見た。でも、はっきり左肩が写った写真が見当たらない。「ママに消したい!」と泣き叫んでも、「しらないよ。自分のお金で大きくなってからやりな!」としか言われない。小学生の私からしたら何十万なんて想像できない値段だし絶望って感じだった。


ついこの前、「この肩のせいで私はノースリーブも着れなくて服選びも大変だし、堂々とできないから手術したい!」とパパとママのいる前で話した。なんと、ママに私が小学生の頃から訴えていたことをパパは知らなかった。。パパは「ほんとに綺麗になるのかは知らないし余計ひどくなる可能性もあるけど手術いいよ。」って言ってくれた。もう溢れぬばかりの涙が出てきた。小学生の時パパが知ってたらもしかしたらこの問題は解決していたのかもしれないし、何も気にせず生きれたかもしれない。なんであんなに泣くほど伝えてたのにパパが知らないんだって。何でパパに言ってないんだって。ママと自分を責めた。(結局、今も何も話は進んでない、隠せばどうにかなる。自分が綺麗になる以上にやりたい事がたくさんあるから。多分自分の中での優先順位もそこまで高くない。ただ、ふと自分なんかって考え始めたら、自分を責めまくり、普通になりたいなって思うだけ。)

まあ、そんなこんなで、小学生の時から得意なことと言えば、左肩が見えないような早着替え。体育着の着替えは多分プロってた。今も尚使っている。

私はこの肩があるから、いつまで経っても堂々と人前に立つ勇気が持てない。(まだ自分を受け止められない) 海外に行けば認めてもらえるんじゃないか!ノースリーブで過ごせるんじゃないか!って、勝手に期待してる部分もある。
でも、それって逃げだよね。
いつか

これがことなんだ。

ってどこに行っても思えるようにもなりたい。

この身体のおかげで今の私ができたんだって思いたい。
恐らく自分の性格に影響したとすれば、人の目をめちゃくちゃ気にする。大人数が集まってる笑い声に敏感。繊細。謙虚?
って感じかね。


この私のnoteを読んでくれた方。
一言素直な気持ちを私に伝えてくれたら嬉しいな。もしかしたらあなたに安心感を覚えてあなたの事がもっと好きになって頼りにいっちゃうかもしれない。(ごめんなさい。)

そんぐらいこれを書くまでに勇気と時間と自分への強さが求められた。

あー。いつ投稿する?この文章(笑)
書き終えたら書き終えたで世に放つの怖いんだけど。
どうする?明日から、みんなが私の顔じゃなくて肩と足ばっかりみてきたら。
多分家に引きこもっちゃうわ笑

まあ、こうゆう時は夜のテンションでサッと!!!

これにて、
「普通になりたい。#1」
おしまい!

一つ目の自己開示にして、多分1番開示しにくいの開示した。きっと次以降はもう大丈夫。何でも話せる。
読んでくれてありがとう。

これが私。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?