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”脱白衣”ムーブメント〜それは生き方を表す〜

白衣とMY STYLE

2007年11月までは白衣を着て毎日仕事をしていた。
そこに理由などを求めることはなかった。
それが前回述べた職業的適正だと思っていてドクターではないが医療類似行為従事者においてはそれが適切だと考えていた。

このコラムを読んでいただいている方は考えたことがあるだろうか。
自分の仕事着のことを。
もちろん無いわけはないであろう。
毎日着るものだ。

同業者であれば白衣、他の職業であればその制服にあたるものである。

その昔、整体の学校で購入した白衣は丈は合っているんだけどなぜか身幅が広過ぎてダボダボ。
着ていても体型もわからないくらいのデザイン。
でも当時のプロフェッショナルの先生もみんなそんなタイプのものを着ていた時代だった。

学校を卒業して間もない頃に勤務していた整体院では上はその白衣に下はグレーのジャージ、白スニーカーという僕にとっては屈辱的な(笑)格好が仕事着。
でもその場所においてはそれがデフォルトだっただけに僕の感覚は抜きにそれに従った。

そのジャージも当時の僕は本当に本当にお金で苦労していた時期。
とてもここでは明かせないくらいの月給だった。
当然新しいジャージを買うことすらままならず高校のハンドボール部の時にチームでお揃いで作ったグレーのジャージをタンスの奥から引っぱりだしてきた。
ウエストの部分にはアルファベットの名前が刺繍でしっかり入っているやーつ(笑)
ダボダボ白衣に10年以上前のグレーのジャージにやっつけで1980円で買った白スニーカー。
僕にとってはある意味伝説だ。

数ヶ月後にそこの整体院は極度の体調不良で辞めることになるのだが。
(そこであの格好から逃げられたことにはホッとした笑)

そののちに整形外科のリハビリ部門に勤務することになった。
そこでもみんなは普通の白衣だったがやっぱりみんなダボダボしていて予定調和な雰囲気。
なんだか普通過ぎる。
しかし『空間的適正』を考えればそれでいいのだ。
ここはドクターの下で働く病院だ。

白衣は支給ではなかったのでそれぞれ好きなものを着てよかった。
さすがに学校で購入したアレ(苦笑)を着る気にはならず(メーカーも名前も忘れたが)細身の半袖の白衣を着ていた。
その白衣も素材感も綿ではなくさらりとしたポリエステル素材の他の人はあまり着ていないタイプだったので差別化しているつもりだった。

リハビリ室で履くサンダルもイケてないサンダルの先生ばかりだったので思い切ってビルケンシュトックを買ってきた。
お金のない時代のビルケンがどれほどのものだったかは想像に難くないだろう。
しょうがない、差別化優先(笑)

なんでも形から入るタイプなのは学生の頃から変わっていない。
まぁそのお気に入りのビルケンもある朝だれかの手によって洗濯機に突っ込まれていてとても履けない状態だったので廃棄せざろうえなくなるわけだが。
こういったリハビリ部の職員(国家資格保持者)による院内イジメなどもいつか語ろうか・・・(笑)

話は逸れたがそれからというものその白衣がお気に入りになりそのタイプのものをずっと身につけることになる。
だれとも被らないけっこうお気に入りの白衣だった。
自分で開業したあともそれを身に着け続けた。

そんなわけでかれこれプロの整体師となってからもかれこれ7年くらいは白衣を着続けたということになる。

しかし僕は自分のことを掘り下げた時にそれが違和感として残るなにかがあった。

それが前回のコラムにもあったクライアントの直の声だった。

白衣とはなんだ?

これを考えることは自分の仕事スタイルを変えることにもなる変化への大きな一手であった。

もっとクライアントと近くなること。
オリジナルな存在になること。
「先生」と言われたくないこと。
コトーのキャラを理解してもらいたいということ。
そしてもっと『自由』になること。

そんなことを考えながら”脱白衣”を進めてきた。
要は自分の空間的適正と照らし合わせながら『自分のSTYLE』の構築をしていく作業。

ちなみに辞書で引いてみるとSTYLEという単語にはいろんな意味がある、ご存知だろうか。

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