贔屓して贔屓される

学校教育では先生が子供達全員を平等に扱う、というのが「正」で、A君を贔屓するというのは「悪」として扱われていた記憶が強い。でも平等に扱うことって不公平だったりもする。

極度に機会を平等に与えないのは教育において良くないかもしれないが、「自分の気に入った者に目を掛け力を添えて助けること」を贔屓と定義すると、実際世の中贔屓だらけ。好き嫌いで決まっていくことが大半。機会ですら平等でないことも多々。でもこれは「悪」ではない。

海外教育を見ていて思うのは、教育は「先生」と「生徒」との関係というより「人」対「人」だということ。当然生徒夫々キャラクターも違うし、先生も生徒との相性があり、その二人だけの関係がある。この関係をお互いで良くしたい前向きな気持ちがあった結果、良い関係性が生まれればお互いに贔屓したくなる気持ちが生まれるのは当たり前。A君を贔屓する反面、B君を貶めるというのは駄目ということ。

贔屓して贔屓される、そういう関係が多い人はいつも楽しく生きている。


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