B'zにハマった私が越えてきたもの(8)

2017年は、私にとっていろんなことがあった年だった。
まず、骨折で仕事を半月ほど休んだ。同年代の職場の同僚(闘病中だった)が亡くなった。
それから、B'zがフェスに出た。

正直、私は、B'zがフェスに出ることを、あまり良しとは思わなかった。
これは、以前、職場の若い子がフェスに行く話をしているのを聞いた、そのイメージだけで判断しているので、非常に浅はかなのだが、でも、私は出てほしくないと思っていた。

ネットでたまにB'zを検索していると、B'zは、もう若い子から見たら、だれ?となるか、なにこのおじさん?となっているように見えた。
これはもう致し方ない。だって、おじさんだもの。でも、ただのおじさんじゃないのは、B'zをよく知っていて好きな人にはわかるが、わからない人も多いだろう。そんな子たちが参加しているフェスに出るのってどうなんだろう。マイナスしかないのでは?そう思っていた。
B'zは以前にもフェスに出ていたようで、その関連記事がヒットしたときは、私は、我が事でもないのに落ち込んだ。B'z(稲葉さんだったかもしれない)のアンチが、非常ベルかなにかを鳴らして捕まり、その動機というのが、あれはロックじゃない、とかなんとか言っていたそうで、その記事はだれかのブログに貼られていたのだが、そのブログの管理人が、気持ちはわかる、とその容疑者のやらかしを肯定していた。
これを見て、また、こんなことがあったら悲しい、と思ったのである。
フェスのこと、よくよく聞いてみると、参加する人の年齢層、意外と高いよ、という人もいたが、でもね、と、私は、B'zの関係者でも身内でもない(しかもFCでは休眠会員だ)なんの発言権もないのに、勝手に、B'zがつらいことになりはしないか、と余計なお世話を発動していた。厳密にいうなら、そんなB'zを見た自分がつらくなるかもしれないという勝手な思いから、フェスに出てほしくないなあ、と思っていた。

それと、一番は、参加が無理、ということもあった。
まず、石狩に行くのは無理として、ひたちなかは(結局骨折したのでどうせ無理だった)頑張れば行けるんじゃないか、生でB'zを、もしかしたら、あり得ないぐらいにすごく近くで見られる、と一瞬思ったが、その考えはすぐに消えた。まず会場までの移動時間、それと真夏の炎天下、人の多さ、密集具合、おばさんは、熱中症かなんかで倒れて周りに迷惑をかけるであろう。そして、だれのファン?となったときに、B'zファン?最低やな、となったら、B'zにも迷惑がかかる。

ざっと、当時はこんなことを考えていた。
本当に今から考えると、すべては杞憂だったのだが、このときは、いろいろ気を揉んでいたのである。

蓋を開けてみれば、出たフェスで、B'zは、B'zのありのままで、評価されていた。
ネットで見る、B'zに対する評価はかなり良かった。それを見ると幸せな気持ちになった。
なにより、B'zはちゃんと考えていた。できうる限りの準備(セトリは完璧であった)をし、対策もしていた。考えたら松本さんが、そんななんの考えもなく、用意もなく、行動を起こすわけがない。

この年、私は夏ごろから秋にかけて浮かれていたかもしれない。
秋に出た「DINOSAUR」に入っていた曲は好きなのが多かったし、中でも「CHANP」は近年にない名曲だと思っていた。そういえば「声明」のコーヒー豆に曲を聴かせてみた、という動画も好きだった。
しかも「DINOSAUR」には、見たい見たいと思っていたフェス出演時の映像が付いていた。

「今年はいい年だ」とそのとき私は思っていた。自分的にはいろいろあったし、悲しいこともあったが、でも、相殺して、いい年だ、と思っていた。なによりB'zにとっていい年だ、と思っていた。
私は、その落とし穴に気づいていなかったのである。
B'zのツアーのスケジュールが、この年はけっこう過酷だったんだとわかったときも、B'zなら大丈夫、いや、そんなことも考えないほど、B'zのとりわけ稲葉さんの頑丈さを疑うことなど微塵もなかった。

たしかに、稲葉さん、こんなスケジュールなんやな、とは思っていた。FCの会報で見て、こんなことになってたのか、とは思っていた。
ホールツアーの合間のフェス参加、あと、イナバサラスとしてもフェス参加、レコーディングもあっただろうし、12月から始まるアルバムツアー、そして、年末にもう一つフェス参加の予定があった。

私は、もうB'zのフェス参加に対して、なんの心配もしていなかった。
夏ほどの盛り上がりはなくても、きっと、いいパフォーマンスを見せてくれるに違いないと思っていた。


この日、その年の日程は、あと、年末のフェスと単独ライブを残すのみとなっていた。


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