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六畳院先生のオンライン講演視聴記

 2022/01/22の夜にぱおとんず先生が主催されたオンライン学習会で六畳院先生が「和歌」をテーマに講演された。そちらに参加して思ったこと、考えたことをつらつら。


0 はじめに

 とりあえず和歌を授業で扱う際の目的を以下5点に分割した上で六畳院先生の講演について考えてみることにする。

1 面白さを味わう
2 物語和歌を読めるようになる
3 題詠和歌を読めるようになる
4 和歌を詠めるようになる
5 古典との向き合い方を見出す

1 面白さを味わう

 和歌の面白さを味わう。
 こんな言葉を見た途端、和歌に縁遠い人はそっとページを閉じるだろう。それくらい和歌(というより韻文)というのは何か暴力的な気配を持っている。誰かが楽しそうに語るソレに共鳴する物が自分の中に何一つ無いと感じた時、人は自分の尊厳を踏みにじられた気がするのだろう、「お前には感性がない、人として大切な心がない」と。

 だから「面白さ」を大上段に振りかざして語ることは避けなければならない。その点六畳院先生の方法に僕は感心した。
 先生は枕詞や序詞、そして折句が聞き手の推測を可能にするという。聞き手は歌が披講されるとき、枕詞や序詞を聞きながらその次の言葉が自分の推測通りなのかそれとも裏切られるのかをドキドキしながら待つことができる。
 和歌の作者はその和歌を詠む時点で聞き手の受け取り方を意識している。それは考えてみれば当たり前のことだ。その当たり前を踏まえ、詠者(または披講者)が聞き手に少しずつ和歌を示すように、教員が生徒に和歌を示していく。一句ごとに共有できる情報を確認しながら和歌を読んでいく。
 この和歌の示し方が僕にとっては新しい。この解説ならば生徒たちは「その和歌が披講されたときの聞き手」役を演じることができる。授業の中に自分の役割を見出すことができる。そしてある程度知識があるならば、その次の展開を推測することができる。
 話はずれるが、先日「今井むつみ研究室」主催のオンライン学習会でアリゾナ州立大学のミキ・チー教授による「ICAPモデル」について学んだ。ICAPとはインタラクティブ、コンストラクティブ、アクティブ、パッシブの頭文字である。詳細は省くが、Iが学習効果が高くPが低い。そしてCとAの間に大きな階段がある。その階段が「推論」である。生徒が推論を構築する(コンストラクティブ)ことで劇的に学習効果が高まり、その推論を相互交換する(インタラクティブ)学びが最も効果的なのだ。
 和歌の学習に話を戻せば、聞き手を想定しない講義者の「和歌の面白さ語り」はパッシブだ。和歌を写させたり音読させたりするのはアクティブにあたる。現代語訳や解釈をさせるのはコンストラクティブにあたるだろうし優劣を論議するならインタラクティブと言えるだろう。聞き手が推論したくなるように導く六畳院先生の授業法は極めて現代的であり、学習者にとって効果的だと考える。ここがまず六畳院先生の講演に感心したポイントである。


2 物語和歌を読めるようになる

 こちらはぱおとんず先生の講演にも学ぶところが大きかった。物語和歌については特に、授業のステップが整理出来た点が嬉しい。

 物語和歌の読解授業は次のようにステップを設定できそうだ。

⑴歌以外の部分の情報整理(誰が誰に何についてどのような思いを詠んだ歌か)
⑵歌に句読点をふる
⑶歌を逐語訳する
⑷歌の修辞技法について検討する

 ⑴については当然すぎて言わずもがなではある。だが生徒は指示しないと忘れてしまう生き物でもある。ルーティンとして和歌読解の前にメモを作成するようにしむけたい。
 ⑵はぱおとんず先生が小田勝『百人一首で文法談義』を引きながら紹介していた手法だ。
 ⑶、⑷は説明する必要は無いだろう。

 従来の和歌の授業では⑷から始めることが多かった。そのため枕詞の暗記程度しか生徒には残らないのだ。しかし⑵を挟むことで物語中の地の文に近いアプローチが可能になる。⑵があってこその⑶であり、⑶まで出来れば⑷を学ぶ必然性が生徒と共有できるだろう。

 こちらについては和歌のある文章の授業法についてルーティン化できそうな可能性を感じる。大変ためになるご指摘があったと思う。


3,題詠和歌を読めるようになる

 こちらは交流会で僕が話題として出したものだ。教科書には万葉集や新古今和歌集などの和歌がずらりと並ぶ。詞書きなどはほとんど無いに等しい。これらは読めるようになるのだろうか。
 自分で話題に出しておきながら恐縮だが、題詠和歌を高校生が読解できるようになるというのは、一部の和歌好き以外は不可能なのではないだろうか。三代集以後徐々に固められていった歌語について知識を深め、数百から数千(ひょっとしたら数万)の歌を踏まえて当該和歌の系譜を見定め、あらゆる表現技法を想定して三十一字を解像していく。そんなことは現在の僕もとうてい出来ることではない。
 これらは授業者が十分に当該和歌について学んだ上で、「1 面白さを味わう」で示したような授業を展開する他なさそうだ。


4 和歌を詠めるようになる

 こちらについては穴開け短歌、フレーム短歌などの方法を示していただいた。他にもパロディ短歌、和歌のリライト、連歌の作成などのアプローチがあるかと思う。
 系統的な学習として授業を構築するアイディアはまだ僕にはないが、学期の始めなどにやっていきたい。


5 古典との向き合い方を見出す

 和歌はどうしても良いもの、すばらしいものとして学習者の目の前に提出されがちだ。それが読めないということで生徒にコンプレックスを生み出すというなら「1 面白さを味わう」で述べたとおり暴力的な授業と言うほか無いだろう。
 そうではない古典との向き合い方として、生徒が古典に対し批判的な読みを経験できるようにもっていきたいと考えている。

 例えば交流会中にすまう先生が提示された、古今和歌集などを一部通読してみる方法や、僕が今少しずつやっている歌合を読ませる活動などは有効ではないかと思っている。通読すれば歌集の構成を理解することができる。配列意図を感じることができる。するとその意図を踏まえた和歌一首の読解ができるようにもなり、批判的読解にも繋がるだろう。優劣を競い判詞がつく歌合がもとより批判的読解の実践であることは言うまでも無いだろう。


6 終わりに

 以上、昨日のぱおとんず先生主催の六畳院先生によるオンライン講演会の感想をまとめてみた。さらに学びが得られたら加筆していく所存である。

 最後までお読みくださりありがとうございました。





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