【玉葉集】春歌5/我思う、故に春来たれり
春来ぬと
思ひなしぬる
朝けより
空も霞の
色になりゆく
春が来たと
思い定めた
その夜明けから
空も霞の
緑に染まっていく
(玉葉集・春歌上・5・伏見院)
「京極派」の中心人物がやってきた。
伏見院だ。革命の人・京極為兼をとことん理解し支援した。そして自らも最高の詠み手となるほど研鑽を積んだ。
今回の歌では「思ひなしぬる」はなかなか癖が強い。攻めている。平安時代の歌人ならこうは詠まない。いや詠めない。天の働きに人の思いが介入するなんて。あるいは平安時代どうこうではなく院だから許されたのかもしれないけれど。
『拾遺集』で壬生忠岑は
春立つといふばかりにや三好野の
山もかすみて今朝はみゆらん
(拾遺集・春・1)
立春となったと
言うだけで
冬景色に閉ざされているはずのあの吉野の
山も霞んで
今朝は見えるのだろうか
と詠んだ。これがスタンダードだ。二四節気は天の運行。和歌の世界では節気に景物が従う様を喜びと共に詠み上げる。
伏見院はそこに自らの認識を介入させた。
立春の到来。その認識。景物の変化。
この強気が清々しい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?