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古典の入門5<教科書へのしかえし>田中貴子『検定絶対不合格教科書古文 朝日新聞社 2007

不合格で結構!

 古典の入門書を語るnote、今回が5回目だ。春休みの課題として自分に課していたけれど、春休み中には4回しか書けなかった。それでも学びはあったから、今後も続けてみようと思う。

 5回目の今回の著者は国文学者の田中貴子だ。田中は最近『いちにち、古典』(岩波新書 2023)を上梓し、話題となった。『いちにち、古典』では古典作品に描かれた生を時間帯別に整理し、朝から真夜中まで順に並べて紹介している。柿沼陽平の『古代中国の24時間』(中公新書 2021)と発想は似ていると思う。いずれ取り上げたい書である。
 今回の『検定絶対不合格教科書 古文』はそんな田中が「不合格で結構!」と吠える「古文の教科書」だ。
 中高生に古文の魅力を伝え奥深い世界に誘う役割を背負っているはずの教科書。しかし田中からすると、教科書はどうやらその責任を十分には果たしていないらしい。大学の教員として学生と向き合う田中は次のように語る。

 この本は、大学で古典文学の授業を担当している私が日々悩んでいる体験が執筆の動機となっています。はっきり言って、国語の授業時間の減らされた新課程(※2007年当時の「新課程」…私注)の教科書を使っていた学生の古文力には大きな問題があります。基礎的なことさえ把握していないのです。従来なら、「それは高等学校で基礎をすませてくるべきこと」と構えていられたのですが、とてもそんな悠長な場合ではありません。古文は今では受験のため仕方なく勉強するもので、多くの生徒が「古文はいったいなんの役に立つのか」という不毛な問いを繰り返しています。この状態をなんとかしたくて、自分なりに現在の古文教育についてまとめてみたのです。

「はじめに」より

 基礎的なことさえ把握しないまま古文不要論に染まる生徒たちへのやるせなさ。それが田中が本書を執筆した動機の一つであるようだ。生徒たちをそんなふうにした教科書への<しかえし>を試みたのが本書である、と田中は言う。

 では田中は生徒に「基礎的なこと」を把握させるためにどのような方法を提案しているのだろうか。
 田中が示した方法は大きく2つだ。1つは教科書によく登場する教材を取り上げ研究者の視点から読解すること。たとえば『宇治拾遺物語』の「児のそら寝」を取り上げ、僧たちと児の関係に性的なものを読み取り、田中は「児は僧たちのあこがれの存在だったのです」と結論する。確かにこれは、その後の生徒たちが「僧侶と児」ものを読む時に、一つの指針を与えてくれそうだ。先入観を植え付けないようなウデが必要そうではあるけれど。
 もう1つの方法が「古文は明治時代から時間をさかのぼって読む」ということだ。これは姫野カオルコの意見に触発されるところが大きかったらしい。そういえば僕も、10年前程(もっと前かもしれない)に何かの番組でお笑い芸人が歴史の学び方について同じようなことを言っていたのを見て感心した覚えがある。が、やはり僕が最初に選ぶのは『伊勢物語』だろうな、と思う。登場人物や長さ、内容、そして他作品への影響力を考えてのことだ。ただ田中はこの部分の読者として既に高等学校での学習を終えている人(高校の国語教師などだろうか)を想定しているようだ。それなら面白く読める人は多いだろう。

 田中の授業はきっと面白いのだろう。古典教育への怒りを背骨に、研究者らしい視点と分かりやすい言葉で語る本書を読むと、きっと痛快であろう田中の授業の有り様が想像される。そしてこんなにエネルギッシュに古典について語れる田中と、そんな語りに出会えた学生たちとを少々羨ましくも思う。必ずしも高校生向けの「教科書」とは言えないかもしれない。しかし現行の古典教育から一歩抜け出してみたい高校の古典教師ならば、本書の読者となってきっと損はない。
 
 
 

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