【玉葉集】9 来たぜ為兼
鳥の音ものどけき山の朝明けに
霞の色は春めきにけり
(玉葉集・春歌上・9・京極為兼)
鳥のさえづる声がする
のんびりゆったり山の中
朝が来る 夜が明ける
光差し込む霞の色は
一度に春の緑に染まる
来た来た来た!
京極派の首魁、革命の旗印、既存の和歌へのドロップキッカー、京極為兼!
その京極為兼の第1首、それがこれ!
なんだか興奮しちゃう。『玉葉集』冒頭から貫之・俊頼・定家という伝説的歌人の歌を三首並べた後には当代歌人の霞詠。その最後にしてクライマックスに為兼が自分の歌を持ってきたのだ。
たまたまではない。何となくであるはずがない。
為兼のライバルだった二条為世の弟子に和歌四天王と呼ばれる男達がいる。あの兼好法師を最弱とする4人だ。
筆頭を頓阿という。その頓阿が記した歌の本が『井蛙抄』だ。その末尾にこの歌の記事がある。冷泉為秀の談話だ。為秀によれば花園法皇が為兼のこの和歌について語っていたという。為兼の自慢の歌だったとして。
今回の為兼歌について花園法皇が語ったという話を為秀がしていたのを頓阿が聞いて書き留めたのだ。伝聞を挟みすぎていて正確さが不安になる。とはいえこの歌が為兼詠として注目されていたことには間違いがあるまい。
注目を集めていたらしいこと。そして為兼が玉葉集に最初に載せた自分の歌であること。
得意の一首であった可能性は極めて高いのだ。
そんなハードルを上げてみたこの歌。はたしてどんな歌だったろう。
最初から目を引く。
「鳥の音」はチュンチュン鳴く小鳥の声。八ヶ岳か軽井沢あたりの高原の朝を思わせる。類型的だろうか?実はこれが革命的。なぜなら王朝和歌の世界で「鳥の音」といえば夜明けの一番鶏の声を指すはずだったからだ。
為兼は小さな声で小鳥をチュンチュン鳴かせた。あたかもペール・ギュントの「朝」がフルートのかすかな音で始まるように。
革命的チュンチュンが響くのは穏やかな山。そこはやがてゆるやかに明るくなっていく。すると朝の存在感は揺るぎなくなる。細いフルートの音に変わってオーボエが力強く主題を受け継ぐように。
やがて曙光は霞をまとう。日の光に霞も染まる。世界が一面春になる。フルートやオーボエが奏でていた主題に弦楽器と管楽器が和して壮大なオーケストラの音となるように。
京極派の和歌は道具の多さを批判されることもある。しかし今歌はどうだろう。確かに道具は多い。だがそれぞれの道具は重層的に響き合っていないだろうか。バラバラになることなく一つの世界を作ることに成功しているのではないだろうか。
こんな歌を見ると嬉しくなる。為兼や伏見院や永福門院が目指した歌の世界をもっと見たくなってしまうのだ。
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