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【新古今集・冬歌12】ごめんね紅葉

初時雨しのぶの山のもみぢ葉を
あらし吹けとは染めずやありけむ
(新古今集・冬歌・562・七条院大納言)

(訳)
今年初めの時雨が降り葉を染めた
しかし耐えがたい思いが秘められた信夫の山の
情熱のもみじ葉を
激しい風などに吹いて飛ばせようと思って
色濃く染めたわけでもなかったろうに

 歌人名がいかめしいが女性だ。藤原実綱の娘で七条院に仕えた女房だったらしい。実綱はどうも中納言止まりだったみたいだけど。
 ジャパンナレッジ所収の『日本人名大辞典』の記事がシンプルなので引用しておこう。

父は藤原実綱(さねつな)。母は三河内侍。高倉天皇につかえ,のち七条院(1157-1228)の女房となる。建礼門院右京大夫と交遊があり,後鳥羽上皇にまねかれてしばしば歌合わせに参加。

 父の実綱は後白河院側だった。だから清盛に窓際に追いやられた。七条院大納言は沈み行く家の姫君だったのかもしれない。


 歌。
 時雨が降りはじめて信夫山の葉が染まっていく。しかし紅葉を風が吹き散らす。そんな風のために染めたはずもないのに。

 春日社歌合で八条院高倉の歌に番わされ勝ちを得た。そこで「下句優に聞こゆ」と評された。
 『和歌大辞典』では「優」は

表現された感情や用語の最も標準的なありようが優であり、(中略)優とは王朝の最も基本的な、優美繊細な女性的情趣を表徴する評語であった

と説明される。とはいえ「優には、すぐれた歌というごく日常的な用法もある」らしいが。

 七条院大納言の歌に女性的情趣があったとしよう。
 その仕掛けの第一は信夫山だ。先行歌に

いかにせむ信夫の山の下紅葉
しぐるるままに色のまさるは
(千載集・恋歌一・691・二条院前皇后宮常陸)

がある。
 この歌の信夫は忍ぶに通じて我慢の象徴だ。下紅葉は隠されて染まる情念の赤。我慢して流される時雨は紅涙の比喩だ。恋人を思い忍び流される赤い涙が見えぬ思いをより深く染め上げる。この信夫=耐え忍ぶは七条院大納言の歌にも通じている。待たされ忍ぶは女性の恋。これが第一の女性的情趣。

 続いて彼女の歌ではそんな情念がこもり始めた紅葉が嵐に吹き飛ばされていく。こんなはずではなかったと悔いがこめられている。
 久保田淳はこの歌への影響歌として

たらちめはかかれとてしもむばたまの
我が黒髪を撫でずやありけん
(後撰集・雑三・1240・遍昭)

をあげる(角川ソフィア文庫『新古今和歌集 上』)。出家した我が身の親不孝を振り返り述懐する歌だ。
 「ずやありけん」が両者を近づける。捨てた俗への悔悟にも似た思いが七条院大納言歌に響いている。

 七条院大納言の嵐は紅葉に吹く。思い忍ぶ心を情念で染め上げることすら許さずに吹き飛ばすのだ。
 男性的とも言えるその横暴。そんな嵐に対峙させられる信夫山。他者的存在である嵐のふるまいに対峙したとき悔悟はあるまい。遍昭の悔悟は此処では諦め混じりの嘆きに転化しているのだろう。 

 これが第二の女性的情趣だ。

 耐え忍ぶ山と嵐の横暴。秘められた情熱とかすかな嘆息。
 七条院大納言は古歌を取り入れ信夫の山に女性的な振る舞いを演じさせたのだ。

 確かにこの歌は「優」と評されるにふさわしい歌だったのだろう。

 

 

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