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【お通夜旅】北陸本線金沢ー直江津編


旅行データ

行った日:2015年1月31日~2月1日(二泊三日)(当時大学2回生)
同行者:サークルの後輩S氏
行ったエリア:金沢ー直江津
参考:2015年3月14日、同区間は北陸新幹線開業に伴い、第三セクター各社へ移管。
行くことを決心したきっかけ:JRのうちに乗りたい
※サークルの機関紙に投稿したもの、また自身の同人誌に掲載したものを大幅に修正してお送りします。

行程の検討

願わくば、一日一往復の大阪長野間三社直通のしなのに乗りとおし、やはり第三セクターに移管される信越線に抜け、北陸線で帰りたかった。
貧乏大学生に負担できるコストではなかったし、ダイヤもなかなかシビアなものであった。
そんな矢先、駅で見かけた『北陸乗り放題きっぷ』のポスター。
フリーエリア(※)までの往復サンダーバードとフリーエリア内特急・急行の普通車自由席が3日間乗り降り自由というものであった。
(※フリーエリア 北陸線:福井ー直江津、七尾線、氷見線、城端線、高山線:富山ー猪谷、大糸線:糸魚川ー南小谷)
(補足:2014年11月末までとそれ以降2015年3月13日までで価格変更あり。また、2015年3月14日以降はフリーエリアが変更されたものの、発売を継続していた。)
これだ。
部活で忙しかった私はテストの合間をぬって、3日間捻出した。
問題は、西日本のおトクなきっぷあるある2人以上の利用制限であった。
テスト・バイト・金銭面を理由に3人くらいに断られたが、後輩一人を説得し、京都駅のホームで待ち合わせた。
決まっていたのは、行きのサンダーバードと富山駅前で連泊することだけ。

一日目 1月30日(金) いざ北陸へ

旅のスタートを飾る列車は京都10:10発のサンダーバード11号であった。
1号で行って北陸を満喫しろよという意見も聞こえてきそうだが、サークルの先輩が雪による近江塩津駅ポイント故障で閉じ込められたからとか、レポートを提出してから間に合う列車だったからとかいう理由でこうなった。
(レポートは前日に提出できた)
京都駅にはしまかぜ横目に近鉄で到着し、旅に出るぞとテンションを上げるべく敢えて中央改札から入場。スーパーはくとを見送りいよいよサンダーバードの入線である。
車掌はチームワークの光るおじさんとお姉さんのコンビであった。
最初の降車駅は、高岡。深い意味はない。
そこまでおよそ2時間半。
湖西線をこれでもかとかっ飛ばし、あっという間に敦賀。
ここから先、トンネルを出るごとに雪が深くなっていく。
「……降りたくないなあ」
すれ違う車両も521系などに替わり、交流区間、つまりは北陸にやってきたんだと思い知らされる。
そして、金沢に到着すると、車内の大半が降りていった。
終点まで乗らないなんて少し勿体ない気分になりつつも、高岡で下車した。名産の仏具・おりんを使用した限定の発車メロディが鳴り、サンダーバードは富山へと向かっていった。
4面7線の広く、長く、持て余し気味のホームと、ラッセル車を含めた留置されている車両が哀愁を漂わせていた。
まずは、昼食ということで改札へと向かう。改札を出るとそれはまぁ、綺麗でおしゃれな構内が広がっていた。北陸新幹線開業に向けて2011年に落成したとのことである。新幹線が停車するのは高岡駅ではなく、新高岡駅なのだが、高岡市の新幹線に対する並々ならぬ情熱がこの駅舎にも表れたのだろう。
改札外には、名産のおりんで実際に発車メロディを奏でることができるコーナーがあったので、S氏に演奏してもらった。(※この後激しいリフレインに襲われた上に、地下鉄烏丸線のメロディと錯綜し、大変なことになった)
肝心の昼食は行き当たりばったりで入った店の富山ブラックラーメンにした。当然ながら黒かった。魚介系が苦手な人にはお勧めできないが、スープと縮れ麺の相性は抜群であった。
腹ごしらえをした後の行程だが、この日はとりあえず富山に到着できればよく、極力駅スタンプを集めたかった。熟考の末、間もなくやってくる北越で魚津へと向かうことにした(行きすぎとるがな)。
そこで現れた北越は国鉄色を身にまとっていた。S氏が言うには2編成しかないそうだ。
さらにこの乗車中には、富山地方鉄道の京阪旧3000系とすれ違う。

6号車、手書きでは?


魚津で下車し押したスタンプは『蜃気楼に出会える駅』。どん詰まりの曇天の下、普通電車に乗って滑川へ。もう一度旧3000系を見れやしないかと、地鉄の駅へ向かったが、そこまで上手くいかなかった。
駅スタンプからバス停、地下道のタイルまでホタルイカづくしであった。
ここで一旦富山駅へ戻る。日没の早い真冬、暗闇の中電車に乗っても面白くない、そして長旅であるので、早く宿へ向かいたかった。
富山駅では工事中の駅舎を右往左往しつつ、トワイライトエクスプレスの撮影にいそしむ。一駅なら駅スタンプを押しに行けそうだったので、東富山だけ押しに行った。


夕食はなぜか焼肉屋でもつ鍋を食べた。これも行き当たりばったりだった。宿に帰投し、二日目の作戦会議という名のベッドでごろごろが、長きにわたって行われた。

二日目 1月31日(土) 浮上する直江津最強説

この日の計画は万全だった。スノーラビットこと北越急行の681系・683系の運用も考慮した上で、朝も早すぎず、それでいてやりたいことをほぼ詰め込んだ。
そのスタートを飾るのは、8:03富山発、大阪行きのトワイライトエクスプレスの撮影である。前日、発車標に「寝台 トワイライトエクスプレス」の表示があったことは、写真にも撮っていた。だから朝もこの表示があるはずだった。
募る不安にいてもたってもいられず、調べると、30分程度の遅延が発生していた。待てるほどの余裕はなかったので、途中でうまくすれ違うことを祈って、黒部行きの普通電車に乗り込む。
車内では時刻表を繰りに繰り、トワイライトエクスプレスとすれ違いそうな場所を予測する。終点の黒部駅で出会える可能性が浮上した。実際に、トワイライトとすれ違うことなく、次は終点黒部というアナウンスがかかる。魚津からのこの駅間がまた長いこと。来るな、来るな、じっと耐える。
「あ。」


本当に黒部到着直前だった。
トワイライトははるか後方へ去っていき、車内でも複数の溜息が漏れるのが聞こえた。まぁ、仕方がない。まずは駅スタンプを押す。
「受験のための切符を購入された方にビッグサンダープレゼント!」の掲示に和んで、後続列車を待ち、さらに北へ。
糸魚川で下車し、返し縫いのように泊へ。両スタンプを押印し、満を持して北陸本線の終点・直江津へと向かう。
新潟県内に入ると、日本海がますます厳しいものにみえた。特に「こんなところを通るのは親も知らないような者だけ」と古来から伝わる親不知の景色は格別であった。
トンネルの狭間に駅がある、そんな車窓が繰り返され、分岐する線路が増えてきた頃、念願の直江津に到着である。JR東日本の駅名標などを見て、遥か遠いところにきたのだと実感した。昼食へ向かおうとしたが、S氏の愛してやまない湘南色の115系がそこにいた。それも2本。昼食どころではなくなった。スノーラビットや北越も来たのでそれらをカメラに収めてから昼食、フォロワー推薦の中華料理屋さんへと向かう。


久しぶりに見る自動改札にテンションが上がるが、我々の北陸乗り放題きっぷは非対応だったので、やむなく有人通路を通った。
駅の外はそれはもうすさまじい寒風で、頭皮まで冷たさがダイレクトアタックしてくる。ニット帽必須である。
さて、肝心の中華料理屋は、駅に近いことからJRの方も利用されるとのことで、実際我々の食事中も一人入ってこられた。
ラーメン一杯では不安だったので、チャーハンセットにしたが、味もよければ安い上に大変量が多く、大満足であった。
再び寒風をくぐり抜け駅に戻り、モグラ駅(※地下鉄ではないが地下深くにある駅)の代表、筒石駅に向かった。名物駅員のおじさまと打ち解けた。京都から来たと言えば「ひえー」といわれたが、やはり我々のような乗り納めに来る人々が増えているそうだ。23分という短い滞在時間で、特急2本の通貨を目の当たりにしたが、それはもうすごい迫力であった。風圧で壁におしやられることはおそらくもうない。ただ、滞在時間の関係で上に出ず、駅スタンプを押せなかったのが心残りである。
次は、あれだけ盛り上がった直江津にもう一度向かう。
この辺の区間はこの日だけで相当往復しているものの、すぐに天気が変わるから面白い。
今度の直江津では、快速妙高号と鉢合わせになった。錆も浮いた車両はまさに歴戦の戦士のようであった。
今度は北越を一区間だけ乗車し、再び糸魚川へ。S氏が車内に帽子を忘れるハプニングが発生。駅員のお兄さんは大変親切でお世話になりました。
今度は普通列車で入善駅へ。駅スタンプは「ジャンボ西瓜と海洋深層水の駅」。一日一本だけ入善に停車するはくたかに一区間だけ乗車。他に乗った特急とか違って混雑しており、隣同士の席は空いていなかった。一区間だからよいのだが、車掌さんにどこまで乗るかを伝える際、一区間だとどうも気まずく感じてしまう。
昨日ぶりの魚津で普通列車に乗り換えて、水橋で駅スタンプ押印し、富山で行程を終えた。
この日の夕食は、やっぱり魚食べたいよねということでリーズナブルそうな居酒屋へ。昼食が多かったので、これだけは! というものを厳選して食べた。

3日目 2月1日(日) 大都会金沢

早くも最終日。この日の主な目的は金沢観光であった。テスト期間の真っ只中北陸に出かけて電車ばっか乗ってたと、友達に言うのは憚られるので、敢行もしたという実績を作るのである。
朝起きると、外はこの3日間で一番深い雪が積もっていた。逆に今までそこまでつもっていなかったことが不思議なくらいだった。道路の融雪用スプリンクラーもフル稼働していた。
もうこの旅行最後となる富山駅では、昨日逃がしたトワイライトエクスプレスの撮影にいそしむ。この日はちゃんと発車標にその名前がある、ホームの端には同志の人だかり。
一旦改札を出て、ますのすしなどを購入し、ホームへと戻る。
行程の都合で、小杉か呉羽のどちらかなら駅スタンプを押せるとなり、響きが可愛いからという理由で選ばれた呉羽へ。駅員のお姉さんがとても親切で、接近メロディのデイトリームビリーバーがまた味わい深かった。
そして一日目以来の高岡駅へ。雪のため、一日目と全く異なる様相であり、再訪した甲斐があった。
サンダーバード、北越、はくたかと乗ってしらさぎに乗らないのはいかがなものかということで、高岡から石動間しらさぎに乗車する。石動に停車するのはそう、一日一本。車掌さんに石動までと伝えるものの、名古屋に住んでいた頃の憧れの特急だったしらさぎに名古屋まで乗ってしまいたい気持ちを抑えるのに必死だった。
降りた場所は中間の車掌室から近く、後方確認される際にさりげなく「ありがとうございましたー」と車掌さんに言われ、萌え死ぬかと思った。そんな石動駅のホームは我々二人だけ。


雪を巻き上げ通過していく列車を興奮気味に見送りつつ、駅スタンプもしっかり押印。るろ剣の石動○十太のイメージが私の中で勝手にできていたが、駅スタンプは「メルヘンの街」。
時刻表で何これ気になるという理由で乗ることにしたホリデーライナーかなざわに乗車。特に専用の幕やヘッドマークがある訳でもない、何の変哲もない455系で登場。津幡で下車、駅スタンプを押印、七尾線から来た金沢行きにすぐに乗り換える。
この三日間で初めて降りる金沢駅。北陸随一ののターミナルは人も多く、列車到着時の改札の流れは決して逆らうことができない。コインロッカーも充実しており、身軽になって駅を出る。あの有名な鼓門は思っていたよりも豪勢なものだった。
既に長蛇の列が出来上がっているのを見て、これだと判断し、観光地を循環するバスに乗り込んだ。観光客を想定しているから当然ではあるが、案内がとてもわかりやすく、心地よいものがあった。曇った窓越しから眺める街並みは、どう見ても都会の景色であった。
21世紀美術館で多くの乗客が入れ替わり、たどり着いた兼六園。入場券を買うにあたって、小銭が欲しかったので500円のところ1000円を出した。すると、記念硬貨でお釣りがあるがどうするかと聞かれた。迷わず記念硬貨を選択。地方自治70周年記念500円硬貨の石川県バージョンであった。
「自販機などでは使えませんが、お店では使えますから。」
いやいや、大事に取っておきたいから使えないですよ……。小銭欲しさでお釣りもらったのに……。
さて、肝心の園内はとても広かった。雪はおすすめだと聞いていたが、それはきっと何もない時期を知ったうえで、雪の時期も見ごたえがあるよ、という意味だったのではないかと感じた。そもそもほとんど雪は融けていた。また、人がとても多く、騒がしかったのも否めなかった。
金沢駅へ戻り、今更ながら帰りの指定席をとる。更新されたての残席表示のディスプレイがとても綺麗だった。14:17金沢発のサンダーバー8号に乗るつもりでいたが、この列車だけ満席。妥協して13:56発の26号に乗ることに。ということであまり時間がなく、荷物もあり決して身軽ではないので、ホームで列車の撮影を楽しむことにした。ホームに上がるや否や、新幹線ホームに北陸新幹線の車両が見えた。糸魚川など、新幹線の高架と並走する区間はあったが、実際の試運転を見るのは初めてだ。車両の行先のLEDもちらほら変わる。ヘルメットを被った職員の方がうろうろしておられたので、すぐ発車するのかと期待していたがそうでもなかった。
そうこうしているうちに、在来線ホームもスノーラビットやら北越やらが次々に入線してくる。ああもう忙しい(笑)
雪もちらつき、決して撮影に良いとはいえないコンディションの中、ホームの端で粘っていると、新幹線が動き出した。当然ではあるがつやつやのピカピカであった。満足な表情を浮かべて、サンダーバードの乗車位置へ向かっていると、発車までまだまだ時間があるにも関わらず接近放送が鳴る。慌てて乗車位置に立つも、車両はそこに止まらなかった。
???
元々和倉温泉始発のサンダーバードで、金沢で3両増結するということだった。増結終了を見届け、車内に乗り込み、朝に富山で購入したますのすしを頂く。
芦原温泉で乗客がどっと増え、復位でトワイライトとニアミス。敦賀まで戻ると懐かしい新快速が見える。琵琶湖が見えてから京都は早かった。たくさんの下車印で埋め尽くされたきっぷに使用済のスタンプを押印して頂き、今回の旅行はお開きとなった。

あとがき

最終的に押したスタンプは15個。全駅設置ではないとはいえ、日中の活動だけでよく押せたなと思ったいる。見ることができる車両も見尽くした。帰って色んな人に話していると、羨ましがられるくらいに。
この記事を書くにあたって、様々なことを思い出すのだが、写真を見ずとも大部分の記憶が鮮明に残っている。10年近くなって書き直していてもだ。
その記憶のどれを取っても良い思い出で、やはり北陸の皆さんの人柄がよかったのかなぁ、と思う。また、初めて極寒地域への旅行だったので、友人改札の足元のヒーターやあちこちに設置されているスプリンクラーなどの設備がとても新鮮だった。
第三セクターの体制も定着し、JRより良くなったと言われる声も聞くが、この頃の雰囲気も忘れないでいたいものである。

こういう感じの盛り上げって行こうぜ!展示、好き。

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