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舞台『D.C.III~ダ・カーポIII~君と旅する時の魔法』その2 プリプロ編

かくして、舞台版D.C.IIIの脚本を書くことになってしまったわけだが、まだどのような作品になるかは、引き受けた時点では勿論、決定していなかった。

舞台D.C.III キービジュアル

僕の場合、一番最初にするのはヒアリングだ。クライアントの注文をできる限り最初に聞いておく。
依頼を請けて創作をする、ということをされない方にはピンと来ないかもしれないが、注文が多ければ多いほど、制約があればあるほど、それを守っている限り、それ以外の部分での自由度が増し、やりやすくなる、という傾向にある。
逆に「何でもいいです」と言うクライアントほど、想定が足りておらず、「何でもいいならば」と作って来た企画に頷かないケースも多く、その場は通ったとしてもあとで覆されるリスクが高くなる。

その点、CIRCUSさんとはある意味ツーカーだ。僕たちがD.C.シリーズに関わっていた頃に窓口だったスタッフさんがすでにいないので、完全なツーカーではないかもしれないが、その分、いい距離感はある。
CIRCUSさんからは、依頼の時点で「主人公(清隆)が影ナレで進行する」という注文をいただいていたが、それ以外に、ファンディスクのような物語ではなく、D.C.III本編をベースにした作品、プラスアルファでオリジナル要素が欲しい、などの注文をいただいた。
一方、劇団飛行船さんからは登場する人物の数(10名前後)、衣装の数、など現実的な部分での制約をいただいた。

コロナ禍時代ならではのオンライン会議で大体の注文を聴き終えたところで、僕はプロットについて考え始めることとなる。

希望する舞台尺は約120分。大体、ドラマCDだとシンプルテキストにして120KB前後の分量だが、舞台だと動きや間もあるので、それよりは短く描いた方がいいだろう。
美少女ゲームのルート突入後のテキストは大体300KBくらいが相場だ。
と考えると、あまり複雑なことはできない。
メーカサイド的には、完全オリジナルエピソードというよりも、D.C.III本編をベースにした作品を欲している。

まず第一に考えるのは、『D.C.III』とは何であるか、ということ。

我々にとってのD.C.IIIは簡単だ。本編である「風見鶏編」こそがD.C.IIIという作品の本筋である。初代D.C.の約半世紀後であった前作D.C.IIとは対照的に、初代の半世紀前の世界を舞台に、前作D.C.IIのラストであんなことになった芳乃さくらから彼女の祖母の手に桜が渡るワルプルギスの夜までの期間の、葛木清隆という青年の恋と青春と魔法の物語。

しかし、世間の認識は違う。
「初音島や風見学園を舞台にしないD.C.が果たして売れるのだろうか?」「今までのユーザにわかりづらいのでは?」などといった商業的要請から追加した「初音島編」が、これまたプロモーション的な理由で、途中からあたかも初音島編が本編であるかのように広報展開(風見鶏編の情報は発売月まで出せなかった)したこともあり、メインが初音島編であるかのように誤認されてしまい、本編を「いつまでも終わらない回想」と思う人まで出現してしまった。
初音島編ができたことで生まれた奇跡もあるし、閉ざされた道もある。ある意味、諸刃の剣だ。

紆余曲折を知ってるが故に色々と考えてしまうが、やはり、世に出たものこそがD.C.IIIだ。だから、D.C.IIIを名乗るからには、初音島編から始まり、メイン部分を風見鶏編で紡ぎ、エピローグは初音島で締める「往きて還りし物語」にする必要がある(少なくとも舞台版の第一作なら)。
そうなると、問題は序盤の主要コメディリリーフである美琴だ。序盤の30分だけ出てお役御免にするわけにはいかない。メインプロットとは別に、美琴という存在を活かす方向でサブプロットを考える必要が出てくる。

大体の方向性は見えたので、プロットを考えることに。

プロットを考える際、まず舞台というよりは、映画版D.C.IIIを作るなら、というアプローチで作品を組み立てることにした。
永年、舞台に携わってきたのだから、舞台であること(衣装替えや小道具の用意など、脚本段階から意識する必要がある)を意識するのは脚本に落とし込む段階で何となかるだろう、という見込みもあった。

一口に映画と言っても様々だ。

コミック、アニメ、ゲームなどを原作に映画を作る場合、
・本筋を換骨奪胎して二時間に収まる作品として再構成する再話としての映画化
・独立した劇場版オリジナルの外伝エピソード
といった、主に二種類の方法がある(細かな話をするならもう少しバリエーションがあるかも知れないがここでは割愛)。

前者(仮に「映画版」と呼ぶことにする)は、例えるなら『愛・おぼえていますか』のような作品だ。初期の『ドラゴンボール』劇場版や多くの実写映画作品がこれだろう。本編を知ってもらう分には良いのだが、本編のパラレルという位置に落ち着いてしまう、という弊害もある。
後者の劇場版エピソード的なもの(こちらは「劇場版」と呼ぶことにしよう)は、微妙に本編に入れ込めないものも多いが、うまくやれば本筋のどこかに位置する挿話として描くことが可能。ただし、基本設定を知っている者以外に楽しんでもらうためには、工夫が必要だ。

版元からは前者の「映画版」を求められているのだが、常々考えていた、「映画版と劇場版を両立させられないか」という命題に、D.C.IIIの基本設定なら応えられる気がした。

D.C.IIIを知らない者には、D.C.IIIの体験版、エントリィモデルとして機能し、D.C.IIIをよく知る者にとっては、本編の一部でありながら、見知らぬ、予想を裏切られるような作品として成立させられる道筋が、初手の段階で見えたような気がする。

考えていて、ちょっとわくわくしてきたのだった。


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