#40 正解
なんだかさらにむずかしいことが増えた。
頭の中の思考を常に支配するくらいのものがいる。
歩いてても、座ってても、寝てても、シャワーを浴びていても、自転車に乗ってるときも、授業を聞いているときも、授業をしているときも。
最近、なんか食事が喉を通ってくれないし寝つきも悪い。
ほんとに、なんでこう、、、
『正解』を欲してしまうのだろう。
というわけで、今回は今の自分の「とってもむずかしいこと」をいろんな切り口から考えてみよっ!っていう回です。
たまたまこの記事に遭遇した人のスパイスになればいいなという思いはもちろん、もっと先を生きる自分に向けてのエールを送るという意味合いもあります。
またどこかで自分が沈んでしまった時、岐路に立たされた時。
そのときに自分の言葉で自分を助けたい。
そんな願いを込めて、今回はいつも以上に温かみのある文章にしたいです。
弱ってる(まだまし)状態で書いてるので思いの吐露が多くなるとは思いますが、そこは温かい目で見守ってください。
ただ、たまたまこれを見つけた知り合いの方がいればブラウザバックして旅レポでも読んで下さい(笑)
恥ずかしいので。
1 悩みの種
「もっと知りたい」
そう感じる人っていませんか?
素敵な笑顔を振りまく人、優しい人、リーダーシップを発揮する人、ユーモア溢れる人、いつも本を読んでいる人、ふわふわしている人、自分の芯を持っている人、何かに向かって努力している人、自分とどこか似ている人。
もちろん、理由なんて漠然としてるか、そもそもないけど知りたいってパターンも全然あり。
そんな人の趣味とか、考え方とか、人に話していることはもちろん、あまり他の人に話さないような深いことも知りたい。
自分と違う世界を生きてきた人に対する興味。
恋愛感情の根源はこれだと今は思う。
若ければ若いほど、この知りたいという過程は短くて、それこそ一目惚れみたいなものは、急激に湧いた「好き」っていう感情にもっと知りたいという関心が付随するといったイメージか。
大人になればなるほど、お互いのことを知ってから、その先に好きになるかならないかという選択が生まれると思っている。
だってもっと知りたいと願う人と学校みたいに毎日会う場所が社会人にあるとは限らないから。
それに、大人の恋愛にはその先を見据えて、年収とか将来観とかが必要ですから、、、
もちろん、①知りたい→好きor好きでない、②好き→知りたいみたいな順序で2分化できるほど単純な話ではないのは確かだ。
でもやっぱり自分は①に寄ってきている。②みたいな恋にも憧れるけど。
正直なところ、あんまり甘酸っぱくない(笑)
苦いことばっかり。年取ったからかな。
苦いのなんてコーヒーだけで十分。
まだ苦いで済むならいいんだけど、今の私にはそれ以上の大きく2つの悩みの種があると思っていて、それをまずは整理してみることにする。
①知れば知るほど苦しくなる
知りたいってあんたが言ったんでしょ!
と総ツッコミをくらいそうな悩みですね。
いや、そうだと思います。めっちゃ矛盾してます。
でもちょっと聞いて欲しい。
あまりにも、自分と、”ちょっと知ることができた人”の間にスペックの差があったら。
それって許容できますか??
荒れに荒れた公立小中を卒業し、偏差値55くらいの高校から1年足踏みして、這い上がってきた人にとって、大学に入ってから関わる人たちの凄さは身に染みていた。
まあ、もう3年生だから慣れたってこともある。
ほぼ毎日関わる男子はフラットに見れるようになった。
フラットっていうのは、同じ大学の同じ学部に通う仲間として、みたいな感じかな。
ただ、やっぱり遥か彼方を歩んでいるように見える人物もたくさんいる。
なんで同じ学部の、同じ教室に、堂々と私とあの人は存在できているの?って感じ。
いろんな話をして、少しずつ知っていく程、自分とは明らかに違う環境で育ってきたことがよく分かる。
その差は、もはや埋めることのできるレベルではないかもしれない。
決めつけはよくないけど。
私が男ってのもあって、普段よりも強い得体の知れない劣等感に押しつぶされそうになる。
未だに男性は女性より優位に立ちたいとまではいかなくとも、少しは見栄を張りたい生き物だ。
そんなことないと思いたいんだけど、どうしてもそう感じる時がある。
まぁ、男女うんぬんじゃなくて、同じ環境で学んでいる人間として、あまりにも備えているスペックの差がありすぎることが問題なんだ。
こんなんじゃ、もしこの先、その人のことをだいたい分かった上で好きという感情が生まれたとしても、ついていけないかもしれない。
そう、どうしても思ってしまうのだ。
そんなこと気にしたところで意味ないだろ!とかじゃあ何か得意なこと、誇れることを努力して掴めよ!
って思うかもしれません。
いや、その通りですよ。至極真っ当だと思います。
実際、そうしようとも思っています。
分かってます。そんなことはとっくの昔に分かっています。
ただ、正論を振りかざすことだけが自身の道標を照らすことに繋がるとは思えません。
そんなことで悩みが解決すれば今頃みんなハッピーです。
「ロジハラ」という言葉がありますね。
相手を正論で追い詰めることです。
そんな言葉が現代で生まれる程、正論に苦しむ人がいるんです。
人間は機械じゃないんです。
正解なんてない。けど正解が欲しい。
だから、もがいて、もがくんです。
いろんな人に相談して、何が自分に合っているのか探し続けて、その先に答えに近い何かが見つかるといいな。
もし、今これを見ている自分がいるなら、とにかくもがけ!と言いたい。
②一途vs移り気
これ実は#6の記事タイトルそのまんまです。
よければそちらも見てみて下さい。
「一途」という言葉って良い意味で使われがちですよね。
同じ人をずっと真摯に慕い続けている素敵な人。
そんな感じの印象を抱くかと。
ただ、私には一途という言葉が、同じ人を追い続ける行為を美化した言葉にしか聞こえないんです。
ひねくれ者ですかね(笑)
そりゃ、漫画とか小説の世界では良いと思いますよ。
美しい結末にだいたい繋がるんですから。
繋がらなくとも、カタルシスを感じますし。
でも現実問題、ずっと追い求めた人が一生振り向かずにそのまま自分はよぼよぼになって死んだら?
なんじゃそりゃってなりません?
もちろん、それでもいいじゃないかという人もいると思います。
でも私は嫌ですよ。
いろんな人から一途な人ねって言われるたんびに、モヤモヤした感情が湧いてきていました。
もっと知りたいと思える人が何人もいれば、いろんな人と話して、それでいいなと思った人を好きになればいい。
これって人によっては悪いイメージを抱くと思われますが、何も悪いことはしていないんです。既婚じゃあるまいし。
まぁ、これができるのはあくまで選択肢があるくらい高スペックな人に限られますが。
だから私にとってこれは理想論であって、現実問題、選ぶなんて状況は生まれる気がしません。
でももしも、そんなことが起こるのなら。
私は一途かいろいろ試すかどっちに傾くだろうか。
いろいろ試すに傾けばこんなに一途が嫌と言いながらも、どうしても罪悪感は拭えないと思います。
こんな罪悪感なんて消してしまえればどんなに楽か。
どうしても、どこかでブレーキがかかる。
もう少し打算的に生きなくてはならないのに。
ただ、その時の自分の心理状態によっては一気に傾く可能性もあります。
知ったがゆえに自分との力の差を思い知って落ち込んでいるとき、些細なことで心が土砂降りのとき。
そんなときに、別の存在が現れたらどうなるか。
ただでさえ揺らいでいる自分だ。傾いてしまうだろう。
つまりまとめると、
誰か1人を追い続けることってほんとうに難しいんです!!!
話したくても上手く言葉にできなかったり、思ってたんと違う反応だったり、なんかきまずくなったり。
知りたくて知ったのに、知れば知るほど相手との壁を感じたり。
何もしなければもう悩まなくて済む。
何度も、もうやめようかとあきらめそうになる。
実際、半年くらい「休止」してたこともあります。
誰かをずっと追うなんて綺麗ごとなんです。
現実は厳しいんです。
でも、それでも、もっと知りたいという興味が止まることがなかった。
なんでわざわざこんな苦労してまで話しかけにいくのだろうって思うこともある。
上手くいかないことだらけ。
なのに、なのに、まだ追ってる自分がいるんです。
どこに、自分を動かす源があるのだか。
そんなの分からない。
明確な理由を聞かれてもきっと答えられない。
だって知りたいに理由なんてないでしょ?
まぁその知りたいという気持ちが形のないものである以上、いつまた途切れるかなんて分からないし、この先ずっと湧き続ける保証もできない。
だから、私はずっと揺らいでいる。
揺らいでいるというか、不安なのかもしれない。
この先同じ人を追い続ける程の覚悟があるか。
それを問われている気がする。
たぶん、そんな覚悟なんていつか崩壊する。
でも、それを決して否定しない。
少なくとも、自分がこれほど長い期間、一度途切れたのに再度知りたいと思える人物であったことは確かだ。
だから、その事実は心に留めて、もっと長い目で、気楽に、追い続ければいいのだと思う。
そして、その最中にまた別の選択肢があったのなら、それはその時考えればいい。
重圧なんて感じなくていい。
それがきっと最善。
そうは言っても、やっぱり心の中では揺れ続けています。
そんなときのための2つ目の切り口へ。
2 浮き沈み
人間誰しも、気持ちの浮き沈みってあると思います。
ポジティブ思考な日なら日常の些細なことに幸せを見出し、何の障壁もない明るく照らされた道を歩いているような時間を過ごせそうです。
反対にネガティブな日なら小さいことで落ち込んで、思考が常に悪い方向へ傾きがちで、ずっとどしゃぶりの雨が降ってるみたいな状態。
もちろん、人それぞれ個人差があります。
そもそもの心の耐久度、身につけている心の防具(防衛機制みたいなもの)、そのときの状態、天気などの外的要因などなど、、、
RPGゲームとかである体力ゲージ(HP:ヒットポイント)ですが、私はこれヒットポイントもですが、ハートポイントとも読めるなあと思います。
敵が物理攻撃でなく、精神攻撃を仕掛けてくるみたいな。
そんなゲームがあったらなんだかおもしろそう(笑)
それで、今の自分は心の耐久度が極端に落ちていて、些細なことで大げさに気持ちが沈みやすい状態なんでしょう。
そして気持ちの浮き沈みの周期もすごく短くて、ポジティブな日とネガティブな日が1日交代でやってくる、もっとひどいと1日の間で考え方がコロコロ変わる状態。
さっき書いた一途vs移り気の問題も、自分のなかでずっと揺れ続けています。
昨日の決心がすぐに折れそうになるというなんとも弱っちい感じ。
でも、無理に強くあろうとする必要なんて皆無で、今の自分は弱いと気づけたことが大きな1歩なんじゃないかと思うんです。
自分を見失ってしまうことなんて誰にでもあるはずです。
ちゃんと傷ついて、怒ったり、泣いたりして、悩んで、悩んで、答えなんてない問いに立ち向かう。
マイナス思考の渦に何度も飲み込まれる。
その過程で弱っている自分に気づくことができると思います。
常に揺らいでいる自分の心を一旦受け止め、肯定する。
そして、できればそれを「ことば」にしてあげる。
文章にしてもいいし声にだしてもいい。
誰かを頼ってもいいし自分自身を鼓舞することばで埋め尽くしてもいい。
弱さを飲み込むんじゃなくて、認める。それが強いということ。
私はことばにすることでかなり自分の気持ちが整理できるタイプなので、今だって、自分の思っていることを、雲を掴むような作業ではありますが文字に起こしています。
ことばには、浮き沈みの波を少しずつ穏やかにしていく力があります。
そして、時には誰かのことばに触れて自分の価値観を増やしていくことも大切。
ここからは、自分がいいなあと思った視点をくれることばを例にあげてみます。
3 誰かのことば①
誰の言葉とは言いませんが、きっと分かる人はすぐ分かる特徴的な関西弁ですね。
これ、聞いたとき鳥肌立ちましたよ。
なんだか難しいこと考えている自分を浄化してくれるセリフ。
好きの理由を説明できない。
でもたまらなく好き。
論理ではどうしようもない、人の心の本気の叫び。
これがもう本当に美しくて、綺麗で、泣いてしまいそうになるほどの温かな力を秘めている。
知りたいとか、追いたいとか、好きとか、そんな感情にきっかけはあったとしても明確な理由なんて言葉にできない程脆い。
行動原理が分からない以上、人はがむしゃらなバカになってしまう。
意味の分からないことをして黒歴史を量産するだろう。
でもなぜか、そんな時こそ、生きてるって感じがする。
生を瑞々しく彩ってくれる。
こんな経験が、いつか想い出になったりする。
だからね、私だってまだ若いんだから、何回でも失敗していいから、突っ込んでみようよ。
やらない後悔よりやる後悔。
これは自分でも痛いほど実感してるし。
バカになってもいいから。
泣いてもいいから。
頑張ってみよ!!!
4 誰かのことば②
今までは悩みの中身に対する視点から見てきましたが、これは悩みそのものと向き合う方法について教えてくれています。
私も家にずっといると思考がどんどんマイナスループになってしまうのでたまにふらっと外の空気を吸いに出かけるタイプです。
そこはこの方と似ています。
それで、この方の言葉の好きな部分が、「ここで行き交う人それぞれに、固有のドラマがある」という部分。
ドラマって素敵ですよね。
きっと歩いている人の中には、つらい思いをしている人もいるはず。
でもそれを顔に出さず必死に今を生きている。
そう思うと、ただの赤の他人に対する見方が変わってきます。
「頑張れ」ってエールを送りたくなる。
今度、東京に行ったら同じことをしてみようかな。
そう思わせてくれる素敵な言葉。
5 正解
卒業ソングの定番で、2018年にはNHKのRADWIMPS 18祭の2曲目に登場した「正解」という曲。
自分が高校生の時の合唱祭でもどこかのクラスが歌っていた。
その時はあぁいい合唱曲だなってふんわり思っていたのだが、今聴いてみると歌詞がとても刺さる。
「銀河」っていうあまりにも大きいスケールに圧倒されてしまう。
それだけ、正解を見つけるには途方もない時間がかかるってことなんだな。
そこらへんに転がっているわけがないってこと。
思い出してみれば、去年の夏もむずかしいことが増えたことをここに書き記していた。
その内容も、この歌詞に似ている部分がある。
1人が多かった自分にとって、様々な人間関係の渦の中にいた去年の夏はいろいろと苦しい時期だった。
#28でこんな感じに書いてからは、去年の自分は考えることをやめた。
「もっと知りたい」と思った人を知ろうとするのをやめた。
あれから1年弱。
私はまた懲りずに「もっと知りたい」と思ってしまった。
なにもしなければ、もう悩まなくて済んだのに。
目を背け、知らんぷりすれば楽だったのに。
自分のした選択が正解だったかなんて分からない。
これからの人生がその正解を探す旅になることを教えてくれる。
私はすぐ手に入る正解を求めすぎていたんだなって思う。
もっと知りたい人とのスペック差をどうにかする方法も、一途がいいのか色々試すのがいいのかについても。
これは「人生」っていう試験の問題用紙があるなら、そもそも問題にすらならないレベルの小さな質問だろう。
すぐ手に入る正解なんて人生の長い目でみたらちっぽけにすぎなくて、もっと大きな正解は、死ぬ直前まで分からないんだろうな。
だから、今はただひたすらに向き合って、いつかふわっと掴むことが出来るかもしれない正解の形を探していこう。
そこで得た経験こそが、もっと大きな人生の問題を解くための鍵になるから。
おわりに 嬉しいこともいっぱい
出会いは奇跡。
大学生になってからそう実感するようになりました。
果てしなく遠い場所で様々なドラマをつくって生きてきた人たちと共に、また新しいドラマをつくっていく。
自分がそれまで知らなかったいろんな価値観を分けてくれる。
自分の人生の1ページに出会った人が刻まれ、出会った人の1ページにも自分が刻まれる。
そうやって互いの人生の厚みが増していく。
これって本当にすごいことで。
今隣で喋っている友達に出会う確率なんて天文学的なレベルです。
だって2人とも人間として生まれてくる必要があって、さらに年も近くてここまで生きてきて、世界中ある中から同じ大学に通うという選択をして、さらにそこからその広いキャンパスで出会わなければいけない。
なにか1つでも歯車が狂えば出会えなくなる。
そもそも今の自分を形づくっている遺伝子だってものすごい数の中から選ばれたたった1つの組み合わせであり、少しでも違えば顔のかたちや性格が変わってしまう。
それを踏まえればもう論理でどうにかできる範疇を超えていて、出会いが運命という言葉にも納得してしまいます。
それで、そんな中で、「もっと知りたい」と思える人を見つけられたこともすごいことです。
その人を知る過程は苦いことばっかりだけど、嬉しいことだってたくさんあるんです。
時折見せてくれる素敵な笑顔だったり、優しい声だったり、お茶目なとこだったり。
愚痴を漏らしてくれたり。他愛もない話をしたり。誰かのために行動していたり。
そして、誰かの本気の想いのことばに向き合い、寄り添ってくれること。
この人になら伝わる。そう信じることができたこと。
そこは本当に感謝しなければいけない。
こんな人に出会えてよかったと思う瞬間がたくさんある。
だからこそ、もっと知りたい。
まだ見ぬ素敵な側面をたくさん探したい。
その先にどんな感情が生まれるかなんて分からないけど、この人を知ることがすごく大切なことなんだということは分かる。
未来の自分にエールを送りたい。
がんばれって。
いろんな切り口から見てきたけど
悩みは口に出したり文章にしたりして「ことば」に
気持ちの浮き沈みは誰にでもある。弱さを認めて!
知りたいに理由なんていらない。
思考が負のループになるなら家から飛び出せ!
他の人の人生を覗いてみて。みんな頑張ってるんだ。
今の悩みなんて長い目で見ればどんなにちっぽけか。
悩んで、藻掻いた経験が、後のもっと大きな問題を解決する鍵になる。
正解は、人生ぜんぶ使って探すもの。
出会いは奇跡ですごいことなんだということ。
その中で、もっと知りたい人に出会えたことも奇跡。
知ることで苦しむこともある。でもね、嬉しいことだってたくさんあるんだ。
今、自分はすごく大切なことをしている。
ただのお悩み相談的な枠を大きく飛び出して、なんだかはっとすることをたくさん見つけられました。
これだけたくさんの気持ちを書いておけば、後の自分も迷うことはないのではないかって思います。
とにかく、大丈夫だから。
どうとでもなるから。
辛ければ泣いていいから。
だから、自分だけの正解を探していって。
ファイトだよ!
未来の自分へ
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