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ストレスから幸せを考える

『ストレス』って言葉をよく聞く時代

ふと考えるとストレスって言葉が出始めたのはいつからだろう?
そんな昔からではないですよね。

なんでもかんでも原因にされる『ストレス』って
そんなに悪いものなのに、それまで見つかっていなかったの?
もしくは原因として考えられてなかったの?

私はこう考えています。

『ストレス』が悪者になってくれている。

明らかに何かの菌に汚染されていれば
『インフルエンザ』や『風疹』などと病名が付くが分からないと
『風邪』

同じようなことが整形外科でも行われており
『ヘルニア』も似たようなところがあります。
何も腰の痛みを訴えたことがなかった方がお亡くなりになり
解剖してみたらヘルニアがあるケースも少なくないそうです。
つまり痛いからと病院に行っても行かなくても
ヘルニアは存在する可能性があり
ヘルニアが見つかったからそれが痛みの原因と言うのは
ナンセンスなのではないか。
痛みの原因が説明できないものが多く存在する中で
たまたまヘルニアがあった時にはヘルニアのせいにしておこう
みたいなことになっていないかと思うのです。

私が危ないと感じているのは
整形外科の先生が『人』としてでなく『整形疾患の人』とみてしまうと
もしその腰痛が婦人科疾患や内臓疾患からきていて
腰が痛いのはヘルニアとは関係ないのに
たまたまヘルニアだったとしたら
なんて思ってしまうのです。

ここまで聞いてなんとなく理解できる方は
ご察しがつくかもしれませんが

『ストレス』って同じように思いませんか?
都合の良い時に『ストレスのせい』とされる『ストレスちゃん』
可愛そうではありませんか?
悪い時にしかでてこず、まるで全ての原因がストレスのように言われ
けなげに全てを受け入れてくれる『ストレスちゃん』。

しかし私は『本当なのか?』と感じています。

ストレスとは本来『刺激』という意味で
フラットなものなのではないか、公平なものなのではないか

私の妻は海外で行くのが楽しいらしい
私は近所で良いので友達とわいわいするのが楽しい
海外は私にはストレスだろう、英語が喋ることができない、
でも寂しがりでコミュニケーションがとりたいから。
妻は英語かどうかよりマンツーマンでもコミュニケーションの方が
得意なようで対複数人との会話は苦手のようす。

つまり私には英語がストレスで妻には楽しい出来事。
妻には対複数人数がストレスで私にはパラダイス。

人によってストレスは違うのです。

何か病気や不調の時に『ストレスですね』と医療人が言った時に
では何のストレスかまで言ってくれる人はいないですよね。
言ってくれたらよいけれど、まぁ分かる訳ないですよね。

てことは自分で何がストレスか考えないといけない。
もっというと自分で解決しないといけない。

私は『ストレス発散』なんてあり得ないと考えています。
例えば
職場に何かストレスがあったとして
皆で飲み会だぁーって楽しくて
翌日また職場でストレスを感じる。
私には『ストレス発散』ではなく『ストレス逃避』だと
思うのです。
ストレスが減ったわけでなくストレスを感じない場所に行っただけ。

ではどうやったらストレスを減らせるのか。
①ストレスを感じない場所へ行き続ける
この例でいうと仕事をやめる
②ストレスの原因を取り除く
この例でいうと職場での問題を根本的に解決する
上司や同僚とうまくいっていないなら関係を修復する
③自分の心持ちをかえる

はっきり言って①も②もなかなかハードルが高いですよね。
自分以外の要素が関係し過ぎているから。
できるとしたら③だと思うのです。
これも実はかなり難しいです。ハードル高いことも多いです。
でも
自分一人でできることなので誰にも邪魔はされません。

この例でいうならば
もし上司や同僚がむかつくなら、上司や同僚を好きになることです。
大嫌いなのに難しいでしょう。でも不可能ではありません。
誰も邪魔してきません、あなたの心さえあなたがコントロールすれば。

私の例でいうならば
例えば夫婦は家事半分こと言う理想を持っていました。
だからこそ半分でないと感じた時にストレスを感じるのです。
もっとあれしてほしい、とか
私はこれだけしているのに、とか不満が出てきます。
ここで①を選ぶなら離婚でしょう
ここで②を選ぶなら妻に家事をさせることを考える。
どちらも他人の要素がありすぎてなかなか出来ないし
出来るならそもそも問題になっていないのではないかとさえ思います。
ここで③
家事は全て自分の仕事だと思うことにするのです。
仮に独身だと思えば全部しないといけないのです。
そう思うと仮に妻が3割してくれたとき
『こんなに家事してくれてありがとう』と思えます。
でも3割してくれたのに半分こだと思っていたら
自分は7割もしているのにとストレスになるんです。

ストレスを感じない心もちにかえる。
これだけで人間は幸せになれるのだと思います。

世の中の宗教などで同じようなことを言うと
胡散臭い感じになりますが
わかりやすく書けたのではないでしょうか?

私がいつも言っている『不健康を受け入れる』も
同じ考え方です。

健康を追い求めてもいつまでも叶わずそれがストレスになるのです。
美容もそうだと思います。
マイケル・ジャクソンが典型でしょう、いつまでも追い求めて
彼は綺麗になれたのか、彼は幸せだったのか
周りから見てみたら違和感を感じたことも
これで説明ができるのではないでしょうか?

幸せになるということは
自分の心持ちをかえること

幸せになるということは
高望みをしないこと

幸せになるということは
不幸(不健康)でも別によいと
受け入れること

だと思うのです。

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