なぜ夜行バスに乗るたびに曲をおすすめしてもらうのか

コロナウイルスのパンデミックの幕開けとともに大学に入学。外出はできず、遠出などもってのほかというムードがしばらく続いたが、ここ一年は余談を許さない状況ながら、たまに遠出をすることもでてきた。一番行っているのは東京で、交通手段はもちろん夜行バスである。

今まで夜行バスを用いて東京に行った回数は3回であるが、その全てで道中に聴く音楽をツイッターのフォロワーの方々にオススメしてもらい、それだけを聴いて車中の時間をすごした。おすすめしてもらう曲はどれもシチュエーションにぴったりで、道中の体験もとても良いものとして記憶されている。

夜行バスに乗るたびにおすすめを尋ねているのには理由がある。
夜行バスはもっとも用途の幅が狭い乗り物の一つである。お世辞にも快適とはいえず、外の風景も楽しめない。およそ移動手段が付随的にもたらす快楽がすべて封じられている夜行バスは、もっとも"人の輸送"に特化した乗り物といって良いだろう。私はここに定型性を見出している。ここで定型性とは、「あることをするとき、最終的には受け入れるしかない所与のもの」である。言い換えると、「夜行バスに乗る」という選択をするとき、環境の劣悪さや娯楽性の低さなどは受け入れるしかない、ということである。
そして重要なのは、この「夜行バスの定型性」を多くの人が(たとえ乗ったことはなくとも)共有していることである。そして、夜行バスの乗客に唯一認められている娯楽である「音楽を聴く」という行為、どの曲・アルバムを聴くかを考えるとき、自然と「夜行バスの定型性」に対してオリジナルな仕方でアプローチすることになる。この定型への各々のアプローチに可能性を感じるのである。曲をすすめる者は夜行バスにのる者の様態を想像して曲を選びすすめる。夜行バスに乗るものは(多くの場合は未知の)曲を聴くことを通しておすすめする者の不可視のメッセージをキャッチする。この夜行バスという定型を媒介としたコミュニケーションには、他にない心地よさが確かにある。

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