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無調の誕生を読んだ。

<無調>の誕生 柿沼敏江著について。

ラジオの番組の中で「無調音楽」って何ですか?という質問を受け、回答に困った事がある。クラシック音楽を聴かない層に向けての番組なので難しい説明はできず、その時は、「無調音楽の父」とシェーンベルクについて軽く触れ、音楽の例を流して、相方になんだかホーンテッドマンションみたいな音楽ですよねと視聴者視点でまとめていただいて無事?終えることができた。実際「無調」がなんなのか説明するのは難しくて、なんだかんだ分かったようで分かってない人が多いと思う。

この本の中では「無調という誤称」という文があった。曰く調性が無い音楽がイコール「無調」ではないのだ。無調音楽と言って関連する中に、モノトナリティ、彷徨う和音、12音技法、スペクトル音楽、トータルセリエリズムだとか、なんとなく「無調」っぽいよねと一括りにされている音楽があるが、特に調性が無い音楽を作りたくて出来てきた音楽ではないし、そもそも調性か無調かの判断は音を受け止める人間の聴覚にもかかっているし、二項対立みたいに考えられることではない。僕がラジオで取り上げたシェーンベルクだって「無調音楽の父」と呼ばれてはいるが、当の本人はこの「無調」という言葉を全く認めていなくて、どちらかというと従来の「調性体系」からギリギリまで拡大させた形だと思っていた。

シェーンベルクの調性の捉え方で面白い話がこの本で書いてあって、彼はまず曲の中でどんなに転調をしても同じ調性の中の出来事だとする「単一調性」という考え方を提示している。そして長調と短調をジェンダー(性)の違いのように捉えていて、転調はその性の転換だとして説明されている。音楽を天使のような超自然の存在と考えていて、天使は性別がなく、どちらとも捉えることができ、音楽も同じだということだ。つまり、「無」調ではなく、多くの調性の可能性を秘めているということなのである。

ヴェーベルンのセリエリズムにしろ、聴くものによっては調性を感じることもできるし、ハウアーの音楽に至っては12音技法の規則には従うものの結果として最後の和音が調性の和音で締め括られても、それは許されるとしてる。

4:00頃から、https://youtu.be/pUNT8zVdgvg

他にも様々な作曲家の例を挙げて沢山解説されていて、一度は「調性音楽は歴史的に終焉への道筋を辿り、英雄的な最後もしくは悲劇的な死を遂げた」とされた、音楽の未来について改めて、再検討しなければならないと述べている。

「無調の裏側に見えない調性があるとすれば、完全な「無調」などそもそも存在しないだろう」という一文が印象的で、「無調」という言葉は、学術的に多くの人に理解してもらいたかったために、多くの音楽家がとりあえず用語として研究の途中経過で使っていたに過ぎないという。今の時代「無調」とはなんなのか、現代音楽の中で「無調」と呼ばれるジャンルの技法が当然のように中心となっていることについて再考している内容で非常に面白かった。

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