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本という海の一部になる

大学の授業が終わり、バイトがない日は、図書館にこもって閉館まで本を読んでいた。

1冊の本を読んでいると、次に読みたい本がたくさん立ち現れてくる。それらを続けて読んで、ノートにメモを取る。派生して考えたことも書きつける。そして帰りの電車でも読む。自宅に帰ってからも読む。

大学に授業のために通っていたのか、図書館のために通っていたのか、わからないぐらいだ。

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リアクションで動くことが苦手で、人間関係を築くために膨大なエネルギーを要した。

本は、常にそこにある海のような存在だ。普段、海はこちらにリアクションを求めてこない。読者の側が、主体的に潜っていくことができる。その海の中にいるとき、僕は生きている感じがした。泳げることが悦びだった。

本が僕を生き延びさせてくれたこともある。死にたいと思っていた頃、周囲の人々に窮状を訴えられなかった。言えば、結果的に「あなたが離れたら死ぬ」という脅迫として作用してしまうと感じたからだ。しかし本は、海のようにいつでもそこにある。暮らし向きが良くなる気配のないまま、貪るように本を読み、時間稼ぎをしていた。

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時間をかけて読むことは、本の本質的な価値だと思う。

書いているのは著者だが、好きなタイミング・スピードで読者が受け取る。その自由に、僕は救われてきた。解釈のしかたも自由だ。書かれた本は著者の手を離れ、どこか遠くにいる1人の、心の奥底に届く。

長時間そこにいて、心の奥底で受け止めていると、海は突如として僕に襲いかかってくることもある。人生を変えざるを得なくなってしまうような、読書体験。本には力がある(だから、独裁者は本を燃やすのだ)。

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はじめての著書を出版する。

その海の一部になれるのが嬉しい。

図書館や書店の棚に置かれて、ふとした拍子で手に取る未来の読者がいるはずだ。かつて大学の図書館にこもっていた僕自身のように。

遠くの誰かが潜ってくれたことを、著者である僕は知ることができない。でも、もしかしたら、人生を変えるかもしれない、その力を秘めていると思いたい。その“誰か”が存在することを信じて書いた。

タイトルの「死なない」にはふたつの意味がある。ひとつは、かつて死にたかった僕が長生きすると決めたこと。もうひとつは、生を全うしていつか命が途絶えたあとでも、誰かの記憶のなかで生き残ること。

はじめての本が、死なない本であってほしい。そのことを僕は、海の一部となって祈っている。

『僕は死なない子育てをする 発達障害と家族の物語』(創元社)



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