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2月22日 Happy Birthday, GW!(ワシントンDC・フィラデルフィア①)

ジョージワシントンは戦争に勝ち,歴史に名を残し,塔が立った。残念ながら塔に登ることは出来なかったけれど,下から見上げた塔は思った以上に真っ直ぐだった。真っ直ぐと,何もない天に向かって伸びていた。 その先にいるジョージワシントンは,自らが初代大統領を務めたこの国のことをどのように見ているのだろう。世界の覇権国家となるまで前進したことを喜んでいるか,国内に溢れる断絶を嘆いているか。彼が何を思おうと,この世界は変わらない。存命中のリーダーシップも影響力も,彼にはもう無い。塔は連邦

    • 2月4日 夜空は全てお見通し

      失敗に厳しすぎる世の中を正せ。挑戦すらしていない奴に,挑戦して失敗した者や,もう一度挑戦しようとしている者を笑う資格はない。挑戦する者には機会が与えられ,何度失敗したってやり直せる。そんな世の中に変えていかなくちゃいけない。 この世界は絶妙なバランスの上で成り立っているのだろうか。小さな人間関係一つをとっても綿密な気遣いが求められているような気はする。実際,細かいところに気遣いができる人は周りからも大変尊ばれる。口は災いのもと。身を滅ぼすのはいつだって小さな嫉妬心だったりす

      • 2月3日 夕暮れ時に宿に着いて(タークス・カイコス諸島)

        夕焼けってライブ感だ。刻一刻と空の色が変わり,みんなで見ているけど,みんな思い思いのことを考えている。クライマックスを迎えて,それが終わって景色が暗くフェードアウトしていく時の物悲しさも良い。朝焼けとはそこが違うんだよね。夕焼けを見たら,帰っていくのは我が家と相場が決まっているところは,なんだかほっとする。僕たちは夕焼けを見た後は夜の街遊びに繰り出していったから,ちょっと状況は違ったんだけど。すっかり暗くなった砂浜沿いのテラス席では,波の音だけが響き渡る。けたたましいBGMが

        • 1月24日 死後の世界への一本道(デスバレー国立公園旅行③)

          デスバレー国立公園の名所の一つにBad Waterというところがある。海抜は-86m。かつて(何十万年も前)は巨大な湖だったが,干からびてしまい,今は塩だけが地表に残っている。塩で地面が一面真っ白になっているエリアまでは駐車場から1.6kmほどの広い一本道。その真っ白で美しい塩湖に向かって歩く人と戻ってくる人がまばらにすれ違う。 その一本道はとても幻想的である。大きな湖が干からびた跡であるから,盆地のようになっており,果てしなく平坦な土地が広がるその先を,山々や崖が囲んでい

        2月22日 Happy Birthday, GW!(ワシントンDC・フィラデルフィア①)

        • 2月4日 夜空は全てお見通し

        • 2月3日 夕暮れ時に宿に着いて(タークス・カイコス諸島)

        • 1月24日 死後の世界への一本道(デスバレー国立公園旅行③)

          1月23日 真っ暗な道路を走って(デスバレー国立公園旅行②)

          ラスベガスのハンバーガー屋で腹ごしらえを終えたら(どうやら有名なシェフがテレビ番組内でプロデュースしたバーガー屋さんらしい),いよいよデスバレー国立公園に向かった。道中,雲はどんよりと厚く,雨が降っていた。てっきり,からっと晴れたネバダ州の砂漠道をドライブするものと思っていたからあてが外れた。そもそも日が短く(てっきり,ネバダ州は日が短いことなどないと思っていたからあてが外れた),街灯も少なく,走っている車の数も減ってきて,道路はすぐに暗くなってしまった。暗い夜道,特に雨が降

          1月23日 真っ暗な道路を走って(デスバレー国立公園旅行②)

          1月18日 非日常と日常(デスバレー国立公園旅行①)

          ラスベガスという街は本当にどうしようもなくて,私はそこに何の魅力も感じないのだが,その周辺には壮大な岩山と砂漠が広がっており,それらを訪れようとするとまずはラスベガス の空港に降り立つこととなる。そういう訳で,今回はデスバレー国立公園を目的地としていたが,まずはラスベガスのハリー・リード国際空港(前回訪れた時はマッカラン国際空港という名前であったが,2021年の12月に改名されたらしい)に向かい,そこからレンタカーを借りてデスバレー国立公園を目指すこととした。 ラスベガスの

          1月18日 非日常と日常(デスバレー国立公園旅行①)

          1月13日 なぜ日記を書くのか

          何かを質問されたときに,それに対して何を答えれば良いか即座に分かって,その瞬間には「回答文」の全文が脳内には浮かんでいないものの,話し始めさえすれば結局は(少なくとも個人的には)納得感のある回答を返すことが出来る(自信がある)。私が大学生の頃,高校生たちに大学受験を教えていたとき,私はそのような状態に辿り着けていた。初対面の素性も知らぬ高校生から飛んでくるどんな質問に対しても,即座に返すべき話が思い浮かんだ。堂々と,相手やその場に適した具体例や笑いどころなども時に臨機応変に交

          1月13日 なぜ日記を書くのか

          1月12日 お疲れの夜には

          ふと理解する。浮き足立っていたなと。浮き足立っていてろくなことはない。ふわふわしてしまった一日も,必ず帰ってこれる心の在り処がありますように。それはきっと,ほのかな灯であり,手触りの良い紙であり,心安らぐ香りであり,歌詞のない音楽である。そして,居心地の良い友である。

          1月12日 お疲れの夜には

          1月11日 またソファで寝落ちしてしまった

          大人になると人間は寝落ちしなくなるのだろうか。両親が(お酒とかを飲まずにただただ眠さから)寝落ちしているようなところを私は見たことがないので,大人は寝落ちしないものだと思っていたが,俺は30歳近くなってもまだまだ寝落ちしてしまう。 きっと「おやすみ」を言う相手もいなければ,起こしてくれる人もいないからだろう。家族ができたら,寝落ちしなくなるのかもね。

          1月11日 またソファで寝落ちしてしまった

          1月10日 ここで一句

          文末に 草を生やして 徒然に 流れる画面に 笑顔一輪 ふと俳句を詠んでみた。これは俳句にあたるのだろうか。季語となりうるのは「草」だけだと思うけれど,果たして「草」はいつの季語なのか。Wikipediaの「季語一覧」というページを参照してみると,どうやら「草」単体では季語にならないらしい。残念,詠んだのは俳句ではなく,川柳でした。 詠んでみて分かったのだが,俳句も川柳も自分で詠んでなんぼ,という気がする。もしかしたら,あらゆる芸術がそうなのかもしれない。自分でやってみて初

          1月10日 ここで一句

          1月9日 歴史に想いを馳せ,未来を想像する

          人生いつ終わるかなんて分からない。明日生きている保証もない。自分の死後に何の興味もなければ,未来について考えることには無駄がある。極論,一時間後に自分が絶対に生きている保証もないのだから,「今」だけを考えれば良い。 裏を返せば,真に未来を思うということは本来自分の死後を思うということだ。自分はもうこの世にいないのだから,徹底的に利他的な視点である。自分の損得は抜きにして,未来の為に何かを気遣う。身の回りの人や物や仕事に気遣う。ハイデガー曰く,人間(現存在)は死を意識すること

          1月9日 歴史に想いを馳せ,未来を想像する

          1月8日 気持ち良く晴れた二日酔いの朝に

          「私,二日酔いの日はとてもよく晴れるの」 彼女は自嘲気味にそう言った。そんな特殊なパターンの晴れ女がいるとは。午後になって少し曇ってきたから,彼女の二日酔いもだいぶ治ってきたのかもしれない。

          1月8日 気持ち良く晴れた二日酔いの朝に

          1月7日 人に興味がある人とない人

          人に興味がある人とない人。あると思われている人とないと思われている人。どう違うのだろう。昨晩の飲み会でふと思った。 俺はどちらかと言うと人に興味がある方だと思うが,それは多分コミュニケーションの取り方を微妙に調整するために行っている,言わば自分が上手くその場で立ち回るための方便の一つである。周りの人とより良い関係性(必ずしも近しい関係性というわけでもない)を保つ為に,自分の感性の中に他者を位置付け,細かくチューニングして,丁度良いコミュニケーションを取る為に,それが可能とな

          1月7日 人に興味がある人とない人

          1月6日 未完成さそう僕は,未完成なんだみんな

          昨日は少し天狗になりすぎていた。自分は優秀だ,頭が良い,仕事が出来る,と思うことほど自分の視野を狭め,成長を遅らせることはない。そして頑固な人間になってしまう。今の自分を正当化するロジックばかりを受け入れ,自分の至らなさを示すものは眼中になくなる。 難しいのは,自分に自信を持つこととの違いだ。自信の無い人間は脆い。何か自分の身に危機が生じた時,強いプレッシャーに晒された時,最後に自分を助けるのは自分への信頼だ。「これくらいどうってことない」「この勝負,勝てる」「自分はこの程

          1月6日 未完成さそう僕は,未完成なんだみんな

          1月5日 俺のコピーを作るには(導入編)

          異動の時期が迫ってきており,後任への引き継ぎの準備をするように指示があった。後任を,私と同じような仕事ができるレベルまで育てるには,どのような指導をするべきか明らかにして欲しい,とのオーダーだった。「俺はいつでも替えの利く会社の歯車かい」なんてツッコミを入れるまでもなく,自分の仕事は替えが利くことは自分が一番分かっていることであり,むしろ自分の去った後でも自分のコピーが必要とされるほど,今現在,自分が必要とされているということに嬉しさを覚える。そして何より,当然自分も着任当初

          1月5日 俺のコピーを作るには(導入編)

          1月4日 掃除とは

          部屋は綺麗な方が良い。体にも良いし,何よりも心に良い。汚い部屋,散らかっている部屋は気持ちが塞ぎ込む。そうは分かっていても,一人暮らしを始めて約5年,未だに掃除や片付けがあまり習慣化できていない。 自分なりに大切だと思うことを二つ。一つは,物を減らすこと。物はそれ自体が汚れるし,何より掃除の邪魔になる。収納も難儀になり,整理整頓がどうでもよくなってくる。物を減らすと言っても,より厳密には,物の種類を減らすということかもしれない。同じ種類のものは,いくらあっても,ひとところに

          1月4日 掃除とは