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僕を作家にした三文字

火神子 天孫に抗いしもの 2019 朝日新聞出版社


デビュー作。

大学を卒業し、新卒で入った会社を1ヶ月で辞めた僕は、作家を目指すために25歳までアルバイト生活を送る事を決める。

1ヶ月で辞めるきっかけとなったのは、朝日新聞出版社からの「最終選考に残りました」という一本の電話。その年は受賞する事はかなわなかったが、踏み出すきっかけにはなった。

そこからのアルバイト生活は今思えば楽しかったものの、二度目は良いかなと思うものである。

家から徒歩30秒の自転車屋、手取り12万。

家賃に75000円が消え、水道光熱費、通信費を引けば残るのは30,000円あるかないか。毎日白米とふりかけを食し、週に2回ほどはご馳走のレトルトカレー。

この時期身体を壊さなかったのはひとえに長年の粗食に身体が慣れていたからだろう。もっと言えば大学で実家の熊本を出るまで、正しい食生活を送らせてくれた両親のおかげか。ありがとうございます。

この頃の記憶として、手に残っている感触は自転車の部品か、パソコンのキーボードのみと言っても過言ではないくらい。

6時に起きてキーボードを打ち、9時に出勤し、昼休憩は自宅に戻って白米を3分でかっこみ、キーボードを打つ。そこからアルバイトに戻り18時まで働くと、家に戻り18時10分にはキーボードを打ち始める。

特段辛いとも思わなかったものの、精神は病みはじめていた(これは英雄讃歌の方で記述します)。

自転車屋はとても楽しかった。変な人が多く、36歳の大学生は未だに心の中で師と仰いでいる。

半年経ち、一年経ち、二年が経つ頃、最初に決めた25の誕生日が近づいてきた。まだ作家にはなることができていない。

焦りの中で書いたのが火神子だった。ページ数にして900ページを超える物語。書き終わったタイミングで、25歳の誕生日がきた。

夢に比重を置くのはここまで、社会人としての生き方にも比重を置こうと決めた。

誕生日の翌日に転職サイトに登録し、12月、新たな職場で働きはじめた。前職が1ヶ月で研修期間で辞めているから、正確には転職とは言い難い。

新たな職場で働きはじめた一年目。火神子を送ることはしなかった。

正直、モチベーションは低下していた。ただ、惰性で書いたものを送っただけである。見抜かれたのだろう。それまで二年連続で最終選考まで行っていたものが、二次選考で落ちた。

翌年、まだ書き連ねていた。

ただ、良いものは書けない。書き上がった原稿を読み、そして二年前に書いた火神子を読み直した。面白かった。当然未熟な素人が書いた文章だから、粗はいっぱいあったものの、自分の文章だと思えた。

そこで、僕は書き上がった原稿をボツにして火神子にかける事にした。これで最後、そう覚悟していたらかっこよく、物語性があるのだけど、この時の僕にはそんなかっこよさは無かった。

落ちても続けていたと思う。

900ページ以上の物語だ。名もなき少女が卑弥呼と名乗る決意をする物語。卑弥呼としての名実を手に入れる物語。なぜ卑弥呼となった少女が、大乱をおさめる物語。この三つに分け、書き直しはじめた。

原稿を朝日時代小説大賞に応募したのは、10月末だったと思う。

締め切りは12月末。

締め切りがきて、俎上に載ったなと思った時、作家の葉室麟さんが亡くなった。衝撃だった。作家になると目指しはじめた年、選評で面白いと言ってくれた先生だった。

その後のアルバイト生活の中でも、筆を折らずにいられたのは葉室麟さんのたった三文字を見たからだった。

その翌年、僕は朝日時代小説大賞を受賞する。選んでくださった松井先生、縄田先生にしてみれば、小粒だったと思う。受賞ののち、大幅に改稿して本となった。ここでも出版社の編集長、担当編集の方に大変お世話になった。

今、こうして振り返ると、僕の作家としての第一歩は、全て周りの人に助けられた。

大学時代、つらつらと書いては互いに見せあった友人S。作家を目指すために会社を辞めて大丈夫かと迷う僕に、自分の半生を6時間にわたって話してくださった大学の恩師。

思えば、作家を目指すと決めることができたきっかけはこの2人だ。もう1人いるが、酸っぱさしかない思い出なので割愛する。

書き続けるきっかけとなったのは、葉室麟さんの三文字。そして松井先生、縄田先生の叱咤激励であった。

そして、右も左もわからない森山光太郎の手を引いてくれた朝日新聞出版社の編集長と担当編集のお2人。もちろん、出版にあたっては相当数の方々にご助力いただいた。

そしておこがましい気もあるが、葉室麟さんに面白いと言ってもらえるだけの作家になろうという気持ちは、今現在の僕が筆をとる理由のひとつでもある。

誰か1人でも欠けていたら、作家としての一歩は絶対になかったのだろうなと思う。

本当に、人の人生とは、人との縁である。

この本の書影を見るたびに、おそらく死ぬまで僕が思うことである。

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