あ、別れた!

東京みたいな人のわんさかいて、それも数百年の歴史のある街になると、至るところに「いつか誰かが振られた場所」があるんだろうと思う。そこの道角では赤面した男子高校生(circa. 2017)がぼうっと立ち尽くし、あそこの架橋の下ではクラブ行きの装いをした青学の女子大学生(circa. 1978)が涙を堪えていて、そっちの橋からは舞妓との年不相応の青春が終わってしまった中年の官僚(circa. 1904)が身を投げたんだろう。僕は日本橋駅の東西線プラットフォームで大好きな彼女と別れた。ちょうど西船橋行きの6番車両から出たところにあるグレーのベンチで別れたので次に通りかかった時、もし思い出したら、献花でもしてみてください。

好きな人から別れを告げられたその日にすることは人によるけど、大体四つの類型がある。一つ目は逃避型で、誰かがイエスと言うまで友人リストの上から下まで順に電話をかけていき、どこかのタバコくさい居酒屋に出かけて、愚痴と後悔を肴に記憶が朧げになるまでビールを呑むタイプ。二つ目はサバサバ型で、そそくさと次の人に行ってしまう。三つ目は高生産型で、見返してやろうと、あるいは別れのことに意識を持っていかれまいと、ジムまでランニングして行き、鉄球の上下運動に勤しむタイプ。最後は絶望型で、蒲団にただ突っ伏したまま、ブルーノ・マーズの「Grenade」をループで流しながら、涙に溺れて塩分過多になるタイプ。

僕は過去に4人の恋人がいただけだから統計的に有意とは夢言えないけど、大体二つめのサバサバ型にあたるのだと思う。そもそもそんなに未練が残ることはなくて、帰りの電車で少し涙を堪えて、家に着いてシャワーを浴びている時に嗚咽を漏らすが、タオルで濡れた身体を拭う頃には未練も綺麗さっぱり消えて無くなってしまっている。そもそもそんなに好きじゃなかったんだなぁって呟きながら布団に入る。2022年にイギリスで出会ったアメリカ人の女性の時だけは高生産型で、あれがあったから今は多少なりともムキムキ・ボディである。

でも今回のガールフレンドは少し訳が違った。なんだか涙が止まらない。羽田からロンドン・ヒースロー空港まで14時間のフライトだったが、3時間寝た以外は泣いているばかりだったので、隣席の老夫婦が綺麗なイギリス英語で「Nothing like wine to sooth the heart」って言ってワインを分けてくれた。随分と好きだったんだなぁとしみじみブリティッシュエアウェイズのお世辞にも美味とは言えない機内食を掻き込んだ。

なんだか月面基地に一人置いてかれたくらい寂しいので、ひとまず友人と沢山呑んだ。一人でいるのが好きで、文化祭後の打ち上げにも料理が美味しそうじゃなければ参加しないような人間だけど、流石に持つべきものは友だなという感想だ。

それで少しは気分が紛れるのだが、やっぱり寂しいので一人旅でケンブリッジまで来てしまった。ケンブリッジと言えば英国屈指の偉人をおよそ半分輩出してきた名門大学なのだが(残りの半分は言わずもがなオックスフォード大学だ)、ロシアのエミグレ(亡命貴族)も多くがここで教育を受けていて、僕が心酔してきた小説家のウラジミール・ナボコフもここで学んでいる。今日は彼の在籍していたTrinity Collegeなんかを訪れて、彼の足跡を辿っていけたら良いなと思ってる。もちろん、寂しいから一人旅をすると言うのは本末転倒で、今は気管障害の治療を頑なに拒む老人みたいに嗚咽を漏らしながら歴史ある大学街を徘徊している。

ナボコフだったら別れた後にどんなことを考えるんだろう。きっと彼の気ままでナルシスティックなやり方で、さっさと忘れてしまうんだろうな。「俺の魅力の分からん女になんて惹かれない」とか言って。或いは失恋したことないのかも知れない。ハンサムで詩の言葉で話す、亡命貴族の青年なんて、さぞモテまくったに違いない。少なくとも禿げ始めるまでは。ナボコフは恋愛において(ただし恋愛に限定はせず)なんの参考にもならない。

まだ別れたという実感があまりなくて、ケンブリッジの公園で小説をぐだぐだ読みながら、呑気にnujabesを聴いてる。きっと死ぬ時も死んでからしばらくは気づかずにその辺をほっつき歩いてるんだろうと思う。

まぁ、でも別れたんだ!腕をパタパタさせても飛べないのと同じくらいどうしようもできない。とりあえずこの街を歩き回ってみよう。nujabesは彼女との思い出の曲が多いから、スキップボタンを多用しながら!



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