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【世界一周の学び②イースター島の師匠】

いつの間にかやけにデカい、見慣れない男が船に乗船していた。

ピースボートは「水先案内人」と称して、各国の様々な分野の専門家を招き、船内で講座やワークショップを開いている。
この方の名前はエンリケ・イカ。
イースター島のミュージシャン兼活動家である。

ところで少し話が逸れるが、この「イースター島」という名前は西洋によってつけられたもの。
現地の方はイースター島のことを「ラパヌイ」と呼ぶ。
船の中でもイースター島を指すときはラパヌイと呼んでいたので、以下、イースター島のことはラパヌイと呼ばせていただく。

話を戻そう。
エンリケさんの活動は、大きく言うとラパヌイをあるべき姿に戻すというもの。
少し意外かもしれないが、国としてはチリに属するラパヌイだが、チリの中でチリ本土よりもラパヌイの方々の収入は群を抜いて多いらしい。
豊富な観光資源のおかげだ。
経済的に急激に豊かになっているラパヌイは、その生活も劇的な変化の最中にある。

野生的なイメージとは裏腹に島民はスマホを持ち、車に乗り、観光客向けのロッジを建てるための不動産投資が盛んに行われているという。
喜ばしい面がある一方、深刻な問題も浮上している。
代表的なものがゴミ問題だ。

世界で一番行きにくい場所とも言われるラパヌイ。
豊かになってよそから買い付けた、大量の製品から出るゴミを処理する方法がない。
人々は地に足ついていた生活から少しずつ離れ、お金でものを買って全てをまかなう生活にシフトしつつある。

そして、植民地時代から続くことだが、ラパヌイ独自の文化、言語が廃れつつある。
どちらかというとこちらの方が問題だ。
ラパヌイ語は消滅危機にある言語にもなっている。

エンリケさんは、これらの問題に彼なりの方法で取り組んでいる。

大きな柱のひとつが教育。
島で処分が難しい車のタイヤや、空き瓶などを使って学校を建てた。
こういう建築方法があるらしく、遠くに学びに行ったそうだ。
彼はそこで子供達に音楽やラパヌイ語を教え、教育を通して意識の目覚めた世代を育てようとしている。

エンリケさんは言う
「子供達のための場所、家が必要だ」

もちろん、家のような教育の場所、という意味だと思う。
果たして今の日本の学校は、本当の意味で子供達のための場所になっているのだろうか。
この言葉を聞いたとき、ふとよぎった。

そして音楽。
教育者である以前に彼は音楽家だった。
彼の歌は基本的にラパヌイ語で書かれる。
そして伝えたいメッセージを乗せる。

彼の作る音楽は人を魅了してやまない。
その理由は様々あろうが、私が惹かれている理由は、彼の音楽の背景にはラパヌイの風景や人々、彼の先祖が浮かぶからだ。
しかしそれは、私が彼と個人的に会話をしたことが影響しているのかもしれない。

エンリケさんに興味があった私は、見かけるたびに挨拶をして少し話をしていた。
あるとき、少し踏み込んでいろいろ聞いてみたときがあった。
そのとき聞いた言葉で印象に残っているものがいくつもある。

「サステナブルライフを実現するにはいくつかのステップがある。
まずはいい食べ物と水を作る。
そして教育、目覚めた世代、集団を作る。
その派生効果で政治に影響を与える。」

若い世代の心にどうやって触れるか考えるんだ。
私にとってはその手段が音楽だった。
それがスポーツの人もいれば話をする人もいる。」

「風に、海に、植物に、大地に歌うんだ。
人生の全てを歌に乗せて世界に放つ。
楽器はそのためのパートナーだ。」

また船内で、ラパヌイの問題と取り組みを切り取ったドキュメンタリー映画の上映がされたのだが、エンリケさんもその映画に出演していた。
その中でもエンリケさんは

「私やラパヌイのためでは価値を見出せない。
祖先が私に歌わせるんだ。」

と語っていた。
だからなのか、彼が歌うとき、その空気はまるで祈りのような、静かで、それでいて芯のある強さも感じる、そんな雰囲気になる。

どこかの本で読んだ言葉でもなく、誰かが言っていた言葉でもなく、その人自身から生まれ来る言葉、表現。
そんな表現、そんな表現をしている人を見ると、美しすぎて泣けてくる。

エンリケさんは一生涯の師匠だ。
と、私が勝手に思っているだけだが。
まさに私のありたい姿、やりたいことを体現している。
彼のあり方が全てを物語っている。

例えいま、私たちがひとり孤独だったとしても、この命がいまここにあるためにこれまで繋いでくれた命たちとの繋がりがある。
そんなことをエンリケさんは思い出させてくれる。

彼のように美しく、それでいて私だけの歩き方と言葉で、この人生を切り開いていきたい。

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