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【世界一周の学び①タヒチ:先祖信仰】

「文化を守ることが現代の人にとって、どんな意味があると思いますか?」

遺跡を発掘し、かつての暮らしを再現しようとする、先祖の文化を手繰り寄せようとする初老の男性に尋ねた。
その方はこう答えた。

「文化を守り、伝えることは人の幸せを探求することです」

世界一周クルーズ2カ国目、タヒチ(フランス領)。
ピースボートが企画している現地文化交流ツアーに参加し、かつて火山が大爆発したカルデラの中心にある、先住民が暮らした土地を訪れたときの話だ。
豊かな緑と水をたたえた、美しい場所だった。

数で測れるものが人の意識を支配した現代において、「文化」という抽象的な、極端に言うと「あってもなくても違いがよくわからないもの」に対する人々の中での重要性が下がっていると思う。

まだ地域や家族の縛りが強い時代はそういった意味では文化が継承されてよかった面があった。
しかしそれらが薄くなった今、意識的に目を向けて繋いでいこうとしなければ、あっという間にこれまで何100年と続いてきたものも潰えてしまう。

そして文化というものの重要性も、それが消えたということの意味も、それらが失われてしまった後でさえ気づかないのだろう。

「気づかないくらいのものならばいいじゃないか」と思うかもしれない。
私自身、まだ人にとって文化がなんなのか、いまいち掴めていないからなんとも言えないが、絶対に失ってはいけないものだと思う。

と、初っ端から話が逸れてしまった。
が、ここでの本題は先祖信仰について。
最近宗教に関心があり、
「人がより良く生きるには正しい宗教の力が必要なのかなあ」
なんて考えているのだが、そのヒントをここでもらったので共有したい。

タヒチ先住民は、先祖信仰と自然信仰のふたつの信仰の形を持っていたらしい。
先祖信仰の話の中で、かつて人々は何かを決定する際、神殿に出向いて先祖にお伺いを立てたという。

これまで人は数え切れないほどの過ちを犯してきただろうが、人の過ちの小さくない原因は短絡的な判断だと思う。
その後数十年数百年のことを考えず、目先の利を求めるから過ちを犯す。

私がこの先祖信仰から感じたことは、
「ご先祖様ならどうしろと言われるだろう」と考えることで、長期的で俯瞰的な目線が得られるのではないか、ということ。

ご先祖目線にまで視点を持っていけるくらい高い視座を持てば、おのずと孫子の代に及ぶ影響まで意識がいくのではないだろうか。

世界中が繋がり、競争が煽られ続けるこの社会で、大切なことを見失わずに判断を下し続けるためには、人間の意思だけではなく、外的な要素、それこそ宗教のようなものをうまく取り入れることが大切なのではないかと思う。

絶滅する種と存続する種があるように、人間の生き方や文化もそれがあったから生き延びられる、ということがあるだろう。

その方はこうも言っていた。
「私は気づいて欲しくて活動を続けている。
自分は先祖と神のメッセンジャーです。」

文化を守りつないでいく。
そこに意義を見出し、自分の人生を惜しみなく注いでいく。
人がより良く生きるために全力で生きるあのおじいさんのように私も生きたいと強く思った。

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