8月5日 「タクシーの日」

花冷えのタクシー。2012.04.10 Tuesday
花冷えの桜並木。深夜メーターの明かりがついたタクシーとすれ違う。ああ、あの桜の夜も、こんな夜だったな。大学時代、片思いの彼がいた。女子大生時代の数年間、友達がクリスマスだのイベントを楽しむ中、法律の本がいっぱいつまったリュックサックの後ろ姿を見つめ続けた。その彼が法曹の夢を叶えた、片思いも3年目の春。私の想いも花咲くかのように思えた彼との花見の帰り道、彼が「実は…」と口にしたのは、私の知らない他の女の子の名だった。「『行かないで』って言ってくれるかと思ったけど…そんな事言わなそうだもんな!」まだつぼみ混じる桜の下で、私の気持ちも知らないで彼は笑った。何を言えばいいのか、何を言いたいのか、よく分からないまま、桜を見上げ、涙がこぼれないよう瞳に力を入れた。涙ごしの桜が、あまりにも美しくて、瞳の桜が揺れた。冷たいの桜の下、恋人同士でもない花見帰りの男女2人が行き着く先を探しているうち、最終の電車を逃してしまった。そこへ「さあ、もういいでしょう」とでも言いたげに、タイミングよくタクシーが通りかかったので、「じゃあ帰るね。彼女と仲良くね。」と彼から離れた。扉が閉まると、どんどん、どんどん遠く小さくなる桜の彼。するとタクシーの運転手さんが、「ほんとに、いいでんすか?」たずねてきた。「いいんです…」と答えたら、喉の辺りから溢れるように、涙が止まらなくなった。「まだ戻れますよ?」「いいんです…」ひっくひっく、オイオイ、オエオエ、泣きじゃくる。そして、彼をずっと好きだったこと。でも試験勉強中だったからそっと片思いだったこと。そして、試験に合格したこと。そしたら、合格した同期の女の子に告白されて、付き合うことになっちゃったこと。そのことを、今日告げられたこと。タクシーの運転手さんに全部話した。話しているうちにだんだん落ち着いて来て、今度は、泣きすぎて、こんな顔じゃ家に帰れないと困っていると、「少しだけ遠回りしましょうか。料金はこれ以上頂きませんので。そして、戻りたくなったら、戻りましょう。」と、メーターを留めると、真夜中の花冷えの桜並木をひたすら走ってくれた。23歳の花冷えの春。桜並木が終わる頃、タクシーは来た道を戻ることなく、私の青い春も終わった。あの時によく似た、36歳の花冷えの春。夜中の花見ドライブの週末。桜並木を走る深夜メーターのタクシーとすれ違う。「戻れるならいつにもどって、その自分になんて声をかける?」大きな彼が聞いて来た。えええっ、なぜに今その質問!?今の全部声に出していたかしらと少しドキドキした。窓の外に目を向けると、触ったらあたたかな温もりを帯びていそうな桜が、風に揺られて手を振っているようだった。「戻らなくていいよ。おうちに帰ろう。」大きな彼と、それから、花冷えの深夜タクシーの後部座席の私に、そう囁こう。


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