9月29日 接着剤の日


ムドラーは逆さにすればオッケーの指。


朝からずっと図書館にこもり、
調べもの書きものを淡々と終わらせ、
夜、暗く冷たい誰もいない家に帰る。

これから先ずーっと、こんな日々が続くんだなあ、
と家に帰ってからも淡々と、
ひとりで夕飯を食べ、洗濯をたたみ、
ペロンと剥がれたままだった靴底を、
玄関で修理。アロンアロファが、
なかなかくっつかなくて、
靴と靴底と格闘するうちふと気づく。

親指と人差し指が、
くっついている!オッケー!の手のまま、くっついている!
さっきまでの淡々から一転、ひとりで大騒ぎ。

お決まりの「お湯に浸ける」も全然取れず、
ネットで同じ経験をした方から、
除光液かシール剥がしでも取れるとの情報を得る。

家にあったような気がするが見つからず、
オッケーの手のまま、仕事中の夫に電話。

血を吐いたとかの緊急事態じゃないけど、
ちょっと大変なのごめんね感を出しながら。
「シール剥がしはもうないよ」の返事を受け、
オッケーの手のまま、100均に走る覚悟を決めた。

それでも取れなかったら、
このコロナのご時世に病院かと、
情けないやら、さっきまでの静けさが恋しくなった。


もしこのままだったら、
何を聞かれてもオッケー!の手で生きていくのかなとか、
余計な想像をしながら。

そして、玄関を出ようとした瞬間、
親指と人差し指が、パッと取れた。

お湯にずっと浸けておいたのが功を奏したのか、よく分からないけれど、とにかく、自由になった親指と人差し指に、
心まで解き放たれた気持ち。

さっきまで、なんとなくひんやりした気持ちだったのに、
温めたオッケーの指とともに、何かが解きほぐれた。

何事もなく、心配事も少なく、痛いところもなく、
どこも不自由を感じずに、淡々としていられることの、
ありがたさ。

どうして、すぐに忘れてしまうのか。
これから先、ヨガの指を作るたびに、思い出そう。
あれは、ムドラーだけど。(ヨガの先生、ごめんなさい)

私にとっては、くっついちゃったオッケーの指。
指と指の温もりを感じながら、
淡々としていられる、何事なき時間を慈しむ。

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