4月27日 「哲学の日」
なんでだろうの果て。2012’08.02・Thu
「あのさ『なんでだろう』を繰り返していたら、
分かったことがあるんだ。」
…「なんでだろう」を繰り返す?
「うん、どんなに物知りな人でも、
自分に問いを続けていたら、いつか自分の問いに答えられなくなる。」食べた食器を下げながら、いきなり哲学。うーん、問いって、どんな問い?
「それは、人それぞれ。完璧なひとがいないのと同じように、知らないことがない人っていないってこと。
問い続けるかは、うーん自分次第。」
使える言葉は、まだ少なく幼い。
言葉で掴みきれていないけど、深いところに小さな手を伸ばしてる。難しい算数の問題が解けた時、
どんな問題にも答えがあるのかなと始めたらしい、
「なんでだろう」との追いかけごっこ。
なんでだろうは、果てしない。
果てしないなんでだろうの果て。
それは、「無知の知」の入り口。
「なんでだろう」追いかけていたら、
いつか、出会うのは君自身の後ろ姿。
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