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ゼロの平方根・後編③

【運転免許試験場に来た男】


平成20年4月10日
(友人に届いた佐藤晴美からの手紙)


久々お便りしました。
私は今ブリスベン日本領事館の翻訳サービスのお仕事以外にも沢山のお仕事依頼が多く、てんやわんや。一度だけ東京でお会いして以来日本に足が向いていません。なかなかブログも更新できません。
その沢山のお仕事相手の一つ、フランスの通信社。そのお仕事で知り合った通信社の方と昨年から親しくしていましたが、来月、この方と結婚する事になりました。五月連休に父母を呼んで小さな結婚式をします。フランス育ちのオーストラリアの方です。
ずっと葉菜の遊び相手にもなってくれていて、葉菜からの信頼は完璧です。葉菜の事考えてって、と言ったら私の下手な言い訳みたいですが、葉菜の新しいパパにふさわしい方と思い、プロポーズお受けしたんです。
ご存じですか「ラ・リベラシオン」。そのウエブサイト担当記者です。エドワール・アスキ、36歳、彼は初婚、私バツアン。
本人、今こちらではちょっと話題になっている人、ウィキリークスのアサンジュ似(写真二つ同封しました)をしきりに訴えますが、葉菜に言わせるとオデコ似だけ、と笑って指摘されてしまいます。エドも私も気になりませんが。ハハハ。
エドは事故事件を取材してます。先月末もブリスベンすぐ沖でタンカーが座礁した時も荒海にヘリで出動、傾く船体を間近で撮影しました。今でも動画サイトで見られますが、結構向こう見ずでコワい事してる、そんな人です。(普段はお釈迦様みたいなんだけど)こんどこちらに来られたら紹介します。

葉菜は元気ハツラツ、もう治療プログラムも終わりかけています。
今日はエドたちと、モモとクリップを連れて、(また一匹増えました)ボートを引いてサウスウェールズの湖まで出掛けています。
最近の写真同封しました、見てください。かずみちゃんによろしく。
4月4日 佐藤晴美


平成20年5月20日

(静岡市実家に届いた長女からの手紙)


5月の来豪ありがとう。ジジババももう七回目?すっかりブリスベン通ですね。
おかげさまで無事結婚式ができ、エドのご家族も大喜びでした。
普段の三人と二匹の生活は以前とあまり変わりません。変わった事と言えば葉菜がフランス語の授業を受け始めた事。エドがそばにいる時はそのフランス語でやり合っています。またまた速い進歩にオドロキ。
先月葉菜がエドたちと湖行った話はさんざん聞かされたでしょ。それから葉菜もちょっとハマって、とうとうマイロッド(竿)、マイルアー(擬似餌)マイリール(日本製)を買わされました。良く思い付くと呆れるくらい好奇心バリバリの子供になっています。まあ他の子供たちが夢中の日本製製品(ニンテンドー)にはあまり興味がない事は、ママとしてはちょっと嬉しいかな。

啓一兄さんから頼まれていた由美ちゃん用ウォンバットのぬいぐるみは別便にてそちらに送りました。
5月15日 アスキ晴美


平成20年5月17日

(日豪エクスプレスQL版)
昨日、ホールデンコモドア60周年記念「明日の夢の車」大賞でメリックプライマリースクール5年佐藤葉菜さんがジュニア部門グランプリを獲得しました。表彰は来月1日、シドニー市レイモンド記念ホールで行われます。葉菜さんの作品は家族が安心して観光目的地まで辿り着ける交通システムを提案。電気エネルギー車両、景勝地をつなぐハブ化構想なども組み込みました。特に審査員の指示を集めたのが一枚の挿し絵でした。運転に専任する父親が車内で後ろ向きに家族と談話する姿でした。


平成20年6月1日

(日豪エクスプレスウエブ速報)
今日午後からシドニー市レイモンド記念ホールで行われたホールデンコモドア60周年記念「明日の夢の車」大賞表彰式はリウ・シンプソン同社CEOから表彰状と賞金が各入選者に手渡され審査員の選考評価が披露されました。ジュニア部門グランプリ、ブリスベン在住の日本人小学生葉菜アスキさん10歳は成人部門のトップをも交わし総合グランプリでの栄誉も獲得しました。大会の終盤大会審査員を代表して元駐日大使ウォルター・マクファーレン氏が総評を語りました。


平成20年6月1日

(実家と日本の友人たちに送ったメール)


みなさんへ今葉菜の表彰式から帰る途中、ブリスベン空港に下りてエドの迎えをロビーで待っている所です。葉菜はずっといつもと変わらず外部で見せてるポーカーフェイス、引き換え私はオロオロするばかりでした。やっと落ち着けてます。葉菜は疲れて今こっくりさん。
シドニー便搭乗前のゲートでは会場にいたみなさんから握手攻めハグ攻め、スゴい事、葉菜がやりました。
エド来ました、じゃ。晴美、葉菜


平成20年7月2日

(鈴木英二氏に届いた手紙)


拝啓 鈴木英二 様
 先般、母の葬儀に際しましてはご多忙にもかかわらず遠方福岡までお越し頂き多大なご香料も賜りました。十分な御礼、為すべきおもてなし、など何もできず恐縮の極みでございました。ここに改め慎んで御礼申し上げます。
 母は弟の不始末を最期まで詫びておりました。母にとって一番可愛かった我が子を死ぬ直前までその罪多きを釈明し続けておりました。そして只々黙々と没頭しておりました敬愛奉仕活動の最中、心不全により急逝いたしました。亡き父と共に喜寿を待たずして他界いたしましたのは私の誠に親不孝、不徳の致す所でございます。母は常々亡き父と鈴木先生の銘をしっかりと心に抱き続け、晩年の苦しみを克服して来ました。ありがとうございました。
 何から何まで本当にありがとうございました。ご改葬御礼の前急いでお便りさせて頂きました。   敬具  平成二十年六月三十日 柴山聡


敬具


平成20年8月20日

(昭和工科大学の鈴木英二氏に届いた手紙)

拝啓 鈴木英二 様

 過日、母の四十九日法要にさいしましては多大なる御志しを賜りありがとうございました。父母そして俊の墓前にも報告いたしました。
七月に公安委員を辞された後教壇に復帰された事、伺いました。ご体調を崩され一時入院された事も後から知りました。父のご友人のお話ですぐに退院されたとも伺い安堵しております。お見舞い等にも伺わず誠ご無礼いたしました。ご教授ににおかれましては先生の更なるご活躍を心から祈願しております。
 さて私事ではございますが、母の逝去の後、私の妻の母の介護のため一家が埼玉県に転居する事になりました。県警には再び転属願いを提出、一昨日に埼玉県警の交通安全センター付を拝命頂きました。
 勤務先となる鴻巣市は義母の暮らす久喜の養護施設も近くまた娘が志望する医療専門校も周辺多く、近々物件を決め年内早くに転居いたします。
 住所等詳細は改めてご連絡申し上げます。
 お身体をお大切に。 敬具   平成二十年八月十八日 柴山聡


平成21年3月21日
(3月20日白血病から腎不全により急逝した鈴木英二氏の喪主宛に届いた弔電)


御尊父様の急逝の報を受けただ茫然となるばかりです。御尊父様からはわが人生に多大なるご厚情を賜り続けてまいりました。微塵の恩返しすらできず無念でなりません。偉大なる鈴木英二様のご冥福を心よりお祈りするばかりです。 柴山聡



平成22年2月9日
(EBC記者に届いた手紙)


拝啓 唐木田和穂様


 突然貴殿勤務先にお便りいたしました。まずご無礼お詫び申し上げます。
 私は埼玉県県警警部、鴻巣交通安全センターの柴山聡と申します。以前は福岡県警におりました。
 去年、鈴木英二氏の告別式でご子息の光一様からご紹介頂きご名刺頂戴しております。思い出して頂けますでしょうか。
 先日ある事をきっかけに貴殿が報道記者である事を思い出し、貴殿らが手がけられた著書などを読ませていただきました。私は現役の警察官ではありますが貴殿の書かれた記事については反感を感じる事もなく貴殿の柔和なご姿勢で語られた記述にはおおいに腑に落ちる事多くひたすら感心いたしました。二冊だけではありますが最後まで興味深く拝読いたしました。俄にご著書を拝読しただけで今日のお便りというのは甚だ失礼かもしれません。お許しください。
 ご存じ無いと思いますが、私は四年前の三月に目黒で起きた殺人未遂事件の犯人の兄でございます。弟は事件直後に交通事故を起こし亡くなっております。
 何故弟が罪を犯すに至ったのか、同様事件が繰り返されない為にすべき事は何か、犯行直後はそんな強い思いに駆られておりました。しかし、歳月とともにその思いも薄れ、故鈴木英二氏や警察庁のご厚意で職を辞する事もありませんでしたから、最近はごく普通の警察職務をこなすだけの毎日でありました。被害に遭われたにもかかわらず、また思いもよらず、頂戴したその考古学研究者様のご丁寧な労いと励ましのお手紙にも結局甘えてしまいました。償いの実践も未だできず仕舞い、申し訳のない有り様です。
 その怠惰な警察官である私が先日不可解な想いに駆られたのです。それはわが警察内部においてはとても誰にも相談できない事なのです。思案の末に貴殿のお名刺を探し出しました。もし貴殿にその話に耳を傾けて頂けないか、そしてご意見をお聞かせ願えないものか、と本日筆をとりました。内容をお伝えしないまま尋ねるのもおかしな話ですが、是であるも非であるも、何らかのご返事賜れば幸甚です。
       二月七日 柴山聡


平成22年2月13日

柴山聡様

私はご承知のように物書きの端くれです。その物を書くためには沢山の情報を集めなくてはなりません。沢山の人と会って取材もしなければなりません。ですから、貴殿の不可解な想いという物を聞くに吝かではありません。
ただし、もう一度ことばに記したものをいただけないかと思います。
もし、今の時代の便利物、インターネットメールを扱えるようであればパソコンなり携帯なり私のアドレス宛てに通知いただければスピーディーに疎通が叶うのですが。(もちろん紙でも一向にかまいませんが) 電子メールは書式や体裁にあまりこだわる必要もありませんから。

貴殿の情報が私に共有できた後、再会したいと思います。

鈴木英二氏の告別式の席で貴殿とお会いしたのは喪主の発案や偶然などではなく、貴殿の来席を知って私が友人の鈴木光一に合わせてくれるように頼み込んだからです。光一からは貴殿とお父上の関係を前に聞いていましたから。
私はその事件についても報道チームの中である程度の取材をして承知しておりました。
実は、被害者の窪寺さんは私の親しい友人の一人なのです。事件後もご結婚後もお話しを交わしています。ご主人にも専門の言語学の事でお尋ねした事があります。お二人は去年からオーストラリアダーウィン辺りで遺跡調査をしています。揃って勇敢で頭の回転の良い人たちです。
そんな事があるからやはり職業柄、地が出て図々しくなって、このチャンスを逃すまい、となったんですね。すみません。
ですから、これは不思議な巡り合わせです。ご相談に乗るのも運命なんでしょうか。
二つのメールアドレスの入った名刺、同封しました。ご無理でなければ、ぜひ。 唐木田和穂


平成22年2月14日

「@不可解、の件」
唐木田さま
早速このアドレス宛てに送信させて頂きました。
私は福岡県にいた頃はこの電子式著述には抵抗もありまた苦手でもありました。それが埼玉県に移って現在の職務に就いてから机上でこれが必須。ですから必死に慣れようと努力いたしました。最近ようやく指先が止まってしまう事も少なくなりました。携帯端末の使い方も娘との会話に代わるものとして便利に使用しております。

私は鴻巣市の交通安全センターで教官の指導にあたっています。その業務で運転免許センターにも行きます。先月の13日の事です。免許センター二階の試験場での出来事です。いつものように教室の左側に順に講習者が並び開始を待ちます。彼らは過去の違反が規定を超えた違反者講習の者たちです。年令性別様々で、こう言うと語弊もありますが、それなりの猛者揃いです。右列には一般更新受講者が並びます。講習会の開始直前に後部ドアから車椅子の男性が入室しました。一人の若い介護者を伴って入室しました。障害者が自在に運転できる充実した機能のある車両も増えている現在ですから車椅子の方の免許更新はそう珍しい事ではありません。しかし、この方の場合は異様でした。二人の職員が受講者以外の入室を禁じている事を伝えようとこの男性に近づきました。職員とこの男性の間で少し口論が始まりました。他の受講者たちも気付いて一旦は振り向きましたがその後誰も視線を向けようとはしません。この男性が放つ奇妙な威圧感、凄みのある声、独特な容姿、それらに皆一瞬にして圧倒されたようでした。結局、職員らが勢いに押し返された格好で講習は始まりました。若い介護者はだいぶ離されて後部壁よりの座席に腰掛けました。私は窓際に立って成り行きが沈静する様子を眺めていました。私も何か不思議な威圧感を感じこの男性をあからさまに直視する事を避けていました。ただ、時々後部を巡回する折少し視線を割いてこの男性を観察してはいました。比較的高価そうな電動式車椅子に乗っていた男性は三十代前半、サングラスを着け髪の毛は金色に染めています。上半身細身の背広に絹のストールを垂らしています。胸元のシャツは大きく開け内側のゴールドの鎖が見えます。左手に金色の腕時計、右手にはブレスレットのような物も見えます。そして、身障者でありながら顔も手も胸元も、日焼けの濃い色です。鼻筋が通り芸能人を思わせるような印象です。この時私は背中に戦慄を感じました。まるであいつのようだ。この世から逃げたあいつのようだ。あいつというのは弟が起こした事件で自殺した指名手配重要参考人の小宮山博史です。この小宮山という男、私が任官して数年目頃、弟俊の目にあまる行動を抑えようとこの男を見つけては諭した事が何度かあります。また二人が交通の事案で検挙された時にも所轄署で面を見ています。ですから良く記憶に残っていました。二三年後やっと切り離せたと思っていました。事件後に俊が元暴力団構成員とされたのは今でも納得が行きません。


その講習の合間、教室廊下内でまた職員の質問を受けていました。人だかりはありませんでした。また同じように低いドスの効いた声で職員をなじり返していました。やはり聞き覚えのある声でした。
男が若い介護者のおどおどした手から差し出されたコーヒーを飲みかけのまま窓枠に放置して行きましたので、私はとっさの思い付きで缶の中身を捨て、テッイッシュにくるみ、自分のポケットにしまい込みました。今もただそのまま保管してあります。

講習会の終わった後、教壇に残された資料を拝借し違反者講習者の記録を見る振りをしてこの男の資料を書き取りました。警察官としてはあるまじき行為でしたが万が一との思いが勝ってしまいました。

後藤泰二郎、昭和53年2月4日生 現住所さいたま市大宮区南新町一丁目5番1号 付記、障害者手帳等級4級

弟が亡くなって、小宮山も死んで、二人に報いが下されて、私の心から事件が消え始めていました。
しかし突然引き戻された気分です。
不可解です。昔サーファーでもあった小宮山、ふてぶてしいあの小宮山があの波も無い場所で水死していた事が疑問に思えてきました。

もし、死んでいたのが他人だったら一体何があったのだろうか。

今、頭の中であの男の声と不可解とがぐるぐる泳ぎ回っているかのようです。

とりあえずはこの件のお知らせまで。
柴山


「RE@不可解、の件」
柴山さま
メールありがとうございました。
もしご指摘が正しいとなると不可解以上の話です。
とりあえずは私単独で調べてみようと思います。不可解が消滅した場合、裏が取れ新事実が判明した場合、その都度ご連絡します。
また不可解以上のものなりかけたら、私たちのチームの取り扱いになる事があります。その場合には貴殿の立場に十分配慮して臨みます。
他の補足資料何でも、ありましたらお知らせくたさい。KK


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https://note.com/kotan777/n/n1e238efb023e

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https://note.com/kotan777/n/n2f3d40418d14

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