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「2001年宇宙の旅」で再発見した、未来に対するデザイン思考 / 森を創る民のささやき

「森を創る民のささやき」ブログでの記事(2013年11月10日)とその追記記事です。

#138 「2001年宇宙の旅」で再発見した、未来に対するデザイン思考

スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」を久しぶりに見てみると、そもそもこの映画は1960年代に作られた映画で、CG技術などはまったく貧弱であるが、衣装や装置などの簡素かつクラシックな世界観で、今見てもオシャレな映画であると感じる。今また、そういうシンプル路線に再帰しているので、受け入れやすいというのもあるのだろう。

そして、「siri」や「iPad」らしきものがでてきたり、今のIT機器を予見しているものがいくつかでてくる。予見というよりも、このようなモノの提示が、エンジニアの青写真になって、実現したというところもあるのだろう。宇宙開発はそれほどで進まなかったが、IT分野は映画のような未来に近づいてきている。

日本のSF漫画でいえば、鉄腕アトムの誕生日は2003年4月7日、ドラえもんは2112年9月3日で、シナリオ上では鉄腕アトムがすでにできていることになるけど、技術の進んだ明るい未来が、果たしてどこまで実現できるのか。今のゲームとか映画を見ると、なんとなく現代路線やファンタジー路線かなという印象もある。最近の日本の漫画はあまり知らないけど、こういう系統の漫画、今もあるのだろうか。*テレビのドラえもんは、昔のを延命処置しているようで、見るに堪えない。。。

こういう未来創造には、デザイナーなどの右脳的な人間がいた方が、

アイデア → 理解 → 共有 → (アイデアの進化)→ みんなで実現

と、描かれたビジョンを共有しやすく、実現に近づくと感じる。

ちなみに、
「2001年宇宙の旅」とその後の続編である「2010」を立て続けにみて、
「2001年宇宙の旅」は、社会に対するアンチテーゼ的なメッセージや、最後まで謎で終わる哲学的なストーリーで今見ても見れる要素はあるが、「2010」は、普通のストーリーの映画になっていて、安っぽいSF映画になっている。監督もスタンリー・キューブリックではない。

「スターウォーズ」や「マトリクス」のように、なんというか、ある程度「不足感」というか「余裕的な遊び」があるほうが、ユーザーが勝手に想像して、独自の世界観を作り出し、長く続くものになるのだと思う。

森を創る民のささやき November 10 2013

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