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悪夢

酷い夢を見た。
それは、悲しい悲しい夢だった。
小学校4年生。
そのクラスメイトに会う夢だった。

人生のなかで、いまでも心に痛みとして残る4年生の私。
夢の中で、クラスメイトには顔がない、声もない。ただそこに誰か居る様な気配がある。

ただただ、私は何かに謝っている。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
私の声だけが夢のなかで聴こえてくる。恐怖と孤独感で目が覚めた。

心に残る傷跡は
いまだに
私の認識を支配する

出来事として、4年生の私は正義の塊のような子どもだった。
小さな頃から、大人に頼られるようなしっかりした子だった。
それが、なんとも誇らしくて嬉しかったのも鮮明に思い出せる。

それは何気ない放課後の出来事だった。自分の仲良しの子が、クラスのいわゆるリーダー格の子に、虐められていた。許せなかったんだよね…。

「人が嫌がることはしてはダメ」
「自分がされたら嫌なことはしない」

そうやって育てられて来たし、疑うことも無く未だに私の中に在る。
泣いていたら助けてあげたいし、誰かが悲しんでいたら、気づいてあげたいし寄り添いたいって根強く思っている。

やめなよ。
かわいそうじゃん。
人が嫌がることをしたらいけないんだよ。〇〇ちゃん泣いてるじゃん。

この一言で私の学校での立場は
正義のヒーローから、いじめられっ子に変わっていった。

悲しかったけど
負けたくなかった

まずは、無視から始まった。
それもクラスメイト全員からだ。
朝、教室に入ると会話がとまる。
目も合わせない。
それでも、自分では理由が分からないから、話しかけるんだよね。
ぷいっっとされる表情をいまでも思い返すと、胸がキュッと痛い。
遊びの輪にも入ろうとする。
すると、一気に走って逃げていく。
教室の通路を通ると、汚いものでも見るかのように、机ごと避けられて通路か広がる。それでも負けたくなくて、親に心配掛けたくなくて、学校を休まなかった。

ある日、担任がホームルームを開く
きっと、目的は「いじめをなくす」だったんだと思う。

【せ嫌いなところを、ひとりひとり言いましょう】

そう…この対応の仕方が、私の心を深くいまだ40年近く、心をえぐり続けている。

みんなが次々に口にしていく
【私のダメなところ】
わがままなとこ、すぐ顔に出すところ、挙句の果てには汚い、気持ち悪い、学校に来て欲しくない…。

痛かった
悲しかった
悔しかった
消えてしまいたかった
なんで生まれてきたんだろって思った

どのような締めくくりで、この話し合いが終わったのかは、記憶にない。
9歳の私には、辛すぎたんだ。

自己主張は
嫌われる
ひとりぼっちになる
恐怖から身についた過敏さ

本当に寂しかったのは自分の存在を「無」にされた感覚。
ひとりぼっちの寂しさは、心がキュッと詰まる。泣きたいけど泣けない鼻の奥がツンっと詰まる感じ。

わがままを言ってはいけない。
人を困惑させるから。
思いを素直に伝えては行けない。
人に嫌な思いをさせるから。
私は存在感を出してはいけない。
私がいると気分を害す人がいるから。

辛かったけど、生き抜く術だった。
そうしないと心が守れなかった。
諦めることと、自分は嫌われている、必要とされていない、思うほど思われない…そう心に何度も言い聞かせて自分の心をなだめていた。

どうせ
うまく生きれない

それでも、心は叫び続ける。
【私はここにいる】
その声に従う度に、たくさんの辛い経験を繰り返す。

仲良しの友達に、心を打ち明けてみるも、また同じような現実になる。
愛する人ができても、信じることができなくて、悲しいさよならを繰り返す。夢だった仕事についても、自分に自信がなくて逃げ出す。

ずっとずっと
傷つくのが怖くって
出来れば、波立たずに生きたいのになぜか現実はそうはいかなかった。

人なんて信じられない
自分も信じられない
愛なんて、夢なんて、信頼なんて
知らない方がいっそ楽だった。
そんなことすら
描く価値もない人間なんだと想った。
どうせ…うまく…いかないもん。

そうやって、自分の気持ちなんて、どうせ誰にも分からないし、知られた所で嫌われるだけだ。誰かに合わせてれば、責められることもないし、私なんて、誰かの踏み台でしかないし、まぁ、そんな存在だよね。それでもいいかぁ。なんて思いながら心で泣いていた。
それなりに友達はたくさんいた。
今思えば、友達のようなひと。
信じてなかったんだから。
人はいつか私を嫌う。
だめな所だらけの欠陥品。

ポンコツ、ガラクタ、イラナイヒト

誰かの輪の中にいても、心のなかは、常にひとりぼっちだったんだ。


この寂しさは、本当に心が痛かった。ずっと自分を責め続けているし、人の顔色を伺いながら、自己主張すればまた、更なる自己嫌悪陥るを繰り返していた。
息を吸うように人に気を使って、自分のことは後回し。いつも神経を張り巡らせて誰か私の嫌なところに気づいてないかって、気を張ってた。
悟られてはいけない、隙を見せてはいけないって思ってた。
すごく生きるのが苦しかった。
だって、いつだって心から笑えてないし不安でたまらない。こんなに頑張ってるのに私の言葉は届かない。人は変わるしそれは私が悪いから。

どうして分かってくれないの。
こんなに大好きで大事なのに。
変わらないで欲しいのに
ずっと一緒って言ったよね…

そう
ずっと変わらずに自分のありのままを理解して欲してほしいって、願いがあった。本当は、自分の事がとっても大切だったはずなの。
でも、ありのままの自分ではうまく生きれなかったから、ひとつずつ大切にしたい願いを削ぎ落として、心をすり減らしながら生きてきたんだよね。

たった一言、たった一時の出来事だったかもしれない。
何気ない日常の一コマだったのかもしれない。それでも、こんなにも長い間、人の人生を違う色に変えてしまう。色濃く心に染み付き、その後の人生を悲劇的にしてしまうんだ。


私は傷ついた
心の傷は消えない
痛みは
大切を知らせるサイン

傷ついていた
この事実を認めてあげるってすごく大切なんだなぁと思う。
「私は大丈夫」は大丈夫な時は言わないんだよね、きっと。

誰かに認めて欲しいのは、自分が存在してもいいよって言われてるみたいで嬉しいからで承認欲求もあってもいいんだと思う。

寂しいよ、悲しいよ、助けてよ。
この思いは、人を困惑させ遠ざけると想ってきた。
でも、人から頼られたら繋がりを感じられてすごく嬉しい。自己矛盾にも沢山気づく。

自分の想いが伝わったとき。
生命から生きていて良かったと思える。心の居場所を感じるから。

みんなが笑ってると嬉しい。
悲しい涙は分かち合いたい。
そう思うし
思われたい
手を繋ぎたい。
生きている喜びを感じたい。

共感で人と繋がることを
諦めない

悪夢からの私の記憶を辿る記録でした。読んでくださり、ありがとうございます💐💐

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