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親子

低気圧が続いていて、最近治まっていた低気圧頭痛が、ちょっと辛くて、冷えピタを一日中貼って過ごしたこたまです。
こんばんは。

今日は、なんだか面白いなぁって、ひとりでお風呂でクスッとしたお話。

私の母は、私が思春期の反抗期から、よく言う言葉がある。

「親にとって、子どもはいつまでも子どもなんだ。」

私は、大人になるほど、この言葉に反発心を抱いていた。

「私はもう子どもじゃない」

「大人になれば、親と考え方が違っても当たり前じゃないか。」

「私だって、いつまでも、親の思うようには居られないんだ。」

なんてことを思ってた。

それは多分、私が反発した時に向けられたから、尚更、圧力みたいなものを感じていたし、押し付けられたような気がして嫌な気持ちになったんだなぁと振り返る。

湯船につかりながら、ふと耳を澄ますと、雨音がする。

「あれ?あの子、傘もって出かけたかな?」

ふと、25歳をすぎた仕事に出かけた息子を想う。

クスッ

私、いつまでも、息子を心配してるなぁ…雨が酷ければ、傘を買うことだって、雨宿りする事だって、迎えを頼む電話だって、自分で出来るのになぁなんて、少し恥ずかしさにも似た笑みが零れた。

あっ、こういう事だったんだよね。
母が言ってた言葉。

私は、大人になり掛けていた自分の意思表示を、否定されたように感じて、反発心を抱いていたけれど、全然、否定でもなく、むしろ肯定してくれていた言葉だったんだと、改めて思ったら、とても、温かい気持ちになったよね。

親にとって
子どもはいつまでも
子ども

私の解釈が産んだ否定は、母が私を想う気持ちを、誤解させていたんだなぁと言うお話でした。

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