見出し画像

嬉しいと言葉にすること

今、感じていることは、数秒後には少しずつ色を変えることがある。
日々、心は揺れ動くし、たくさんの刺激を受けながら生きているから。
今、瞬間の体感は、自分自身の財産になるから、誰の為でもなく、自分のために綴る日々の想いを大切にしたいと思っている。

嬉しい気持ちを
嬉しいと
言葉に表せる喜び

今日は、嬉しい出来事が、たくさん重なった一日だった。
【嬉しい】って、言葉にすると、次には嫌な出来事がありそうで、あまり言葉にしない癖がついていた。

これは、私が生きてきた中で、自分が掴んだ幸せが、手のひらからこぼれ落ちるような体験を繰り返してきたために、私の中に創り出された勝手な鎖が大きな原因だと感じる。

でも、「嬉しい」って言葉にしてみたら、特に嫌なことも起こらなくて、寧ろ、心が温かく満たされた感覚になっていくのを感じている。

必要とされたい願いが
そのハードルを上げていた

本当は、公休日だった金曜日。
働き方改革で、週4勤務に体制が変わった職場。仕事の量は変わらないのに、出勤人数が減るということは、人手が足らない。

「自分など居ても、何も変わらない、役に立たない」みたいな気持ちが少しあったけど、自ら出勤しますと伝えた。

できる範囲で、自分が出来ることをすると、心に決めて出勤した。
確かに、一人休むと負担が増えることが体感できた。うん、疲れた…笑。

午前中で、ほぼほぼ仕事が終わり、同僚から言われた言葉は、「今日は、本当にありがとう、来てくれて、とっても助かったよ」だった。

あ、私でも役に立てるんだ。
なんか、こういうのが凄く温かくて嬉しいなぁと感じた。
自分がしたいことを、自分なりにしたら、誰かが喜んでくれた。
無価値感を感じる体験をした人になら分かると思う。
こういう小さな積み重ねが、自分は存在していいんだという体感に繋がる。

これまでの人生で
向けられていたのは
温かい人の手だった

仕事が、午前中で終わり、帰宅してから、母と買い出しに出かける。
平日のお昼時は、スーパーも人混みを避けられて、なかなか快適で好き。

家に着いた頃、見かけない車が偶然なのか、タイミングよくうちの前に停る。
「誰か来たみたいだね?」母と話す。
車から降りると、そこに居たのは、懐かしい人だった。

震災で、わが町は、原発事故の被曝を恐れ、県外に避難した人は、数少なくない。
その時に、避難した幼なじみと、そのお母さんが、震災以来、初めて会いに来てくれたのだ。
連絡もなく、突然に。

お互いに、近況を話しながら、歳を重ねたお互いの姿に、母同士も笑い合う。あまり時間は長くなかったけど、本当に嬉しかった。

そして、別れ際、涙を流しながら手を握る。
また、会おうね、元気でいてね。
おばさんは、私の手を両手で握りしめてくれた。

その瞬間、3歳の頃、雪の降る日に、ニット帽を被り、ちょっと恥ずかしがりながら、「あそぼっ」と声をかけたあの日が蘇る。

思春期に、父と喧嘩し、愛犬を自転車のカゴに乗せて、夜の街をさまよった日も、居場所は、幼なじみの家だった。

あれから数十年。
会えない時間は長くなってしまったけど、確かにある温もりに、心が温まる。
私が育つまでに、こんな優しい手がたくさんあったんだよなぁと言うことを、思い出させてくれた。

ありがとう、また会おうね。

思いついた相手が
私だったんだとの言葉が
嬉しかった

さらに今日は、15年前に職場の同僚から、数年ぶりに電話があった。
懐かしいその声は、あの頃と変わらず、それだけで、私の心は弾む。

「元気だった?今、なにしてる?」
「実はね、今、保育園で保育士が足らなくて、人を探していて、思いついたのが、こたまちゃんだったの」

以前の私なら、また、ここで働けない無力さを感じてしまうところだったけど、その「思いついたのが」って言葉に、繋がりを感じられて、とても嬉しかった。

そして、こう言ってくれた。
「病気のことも、話してあるの。それでも、大丈夫だし、最初は、身体を慣らしてからでも大丈夫だよと言ってくれてるよ」……。

その配慮が、何よりも嬉しくて、ありがたかった。
こんなにも、世界は優しかったのかなと思うほどだった。

いまは、職場の状況、私の体調を考えても転職は難しい。

「声をかけてくれたことが凄く嬉しい。ありがとう。また、ご縁があったら、是非、よろしくお願いします」と伝えた。

そんな嬉しいことが起きた今日は、何でもない日を、特別な日にしてくれた。

……………………💐

最後まで、読んでくださりありがとうございます🎀

#日本エンパシー協会
#認定講師
#みんなで今日感日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?