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悲しみの内側

今日は、Twitterで繋がる事ができた大切な友達との思い出を、私の心の内側に自己共感しながら、記してみたいと思っている。

Twitterを始めて、3年くらいになるかと思う。
心のリハビリを兼ねて始めた頃は、今思えば、恐ろしいくらいに、感情のまま、言葉を綴っていたように思う。

そんな私に
「大丈夫だよ」
「いつも一緒だよ」
「そんな日もあるよね」
声をかけてもらえる事が、すごく温かかったし、心強かった。

自分が不安定だからこそ、ずっと変わらない安心を求めていたし、ありのままに、言葉を綴れるTwitterが、いつしか、心の居場所になっていた。

そんな毎日のなか
とても仲良しの友達ができた。
LINEを交換し、日々お互いの近況を話、おはようから、おやすみまで、繋がっていた。
明日は、何話そうかな...
体調大丈夫かな
無理してないかな
家族のように、心が繋がっている感じがしていた。

...その日は突然だった。
いや、突然だと感じたのは私だけだったのかもしれない。

その親しい友達から、ブロックをされた。TwitterもLINEも。
私は、悲しさを超えて、激しい怒りを感じた。

あんなに話していたじゃない。
昨日まで、何事もないように...。

悲しすぎて、どうして、なんでを頭の中で繰り返す。
「裏切られた」
そう思った。嘘をつかれたとすら感じていたと思う。
辛すぎて、怒った私は、同じように相手をブロックした。

そうするしか無かったんだと思う。

日々続いていた交流がなくなった事の喪失感は、大きかった。

「あんなに大切だったのに」
「私は信じて貰えなかった」
「必要ないと思われたんだ」

寂しくて、それを感じないようにすることでしか回避することしか出来なかった。

最初は、相手を責め続けた。

そんなある日
悲しい知らせが舞い込む。
突然の事だった。

彼女が亡くなられたとの訃報。

...心が固まるのを感じた。

あの時、私は自分の心を閉ざすことで、悲しみから心を守った。

自分は、否定され、排除されたと、傷ついた被害者になりきることで、その出来事から、目を逸らした。

話し合うこと、和解すること、それ以上に、相手がどんな気持ちだったかなんて、考えもしなかったんだ。


生前、お母さん親しくしていたこたまさんとお話したくて来ました。
お母さんは、最後まで、こたまさんを、信じていました。

ある日、突然届いたDMで、私はその事実を知る。

動揺と、悲しみと、自責の気持ちが溢れ出した。
どうすることも出来ない。
あの時、私はどうしたら良かったんだろう...。

いくら問いかけても
答えはない。

とても苦しくて受け止めることが出来なかった。

「最後まで信じていた」

私も、同じ気持ちだったのに、なぜこんな悲しい事になったんだろう。

沢山考えたし
あの頃を思い返し、後悔と反省をたくさんした。

ひたすら、自己共感をし続けた。

事実は、ブロックをされた。

そこから生まれた解釈は

「私は嫌われたんだ」
「いらない人間なんだ」
「今までの事は無駄だった」
「繋がって嬉しかったのは私だけだったんだ」
...そんな気持ちがあったかもしれない

ーそこに、どんな願いがあったのー

繋がりを感じることで、安心していたし、ずっと変わらないと信じていた。
大切にしたかったし、大切に感じて欲しかった。

悲しみ、寂しさ、不甲斐なさ、悔しさ、無価値感。
存在を否定された。

だから、悲しかったんだね。
でも、それは自分の心が創り出した世界だったんだよね。

相手は、どんな事を思って、そうしたのかを、考えることは、出来ないくらいに悲しかった。

悲しみの奥にあったのは
その人との、信頼関係が、根こそぎ自分だけだったんだ、どうせ私は理解されないという、頑な信念だった。

💐.°♡
友へ

あなたとの時間は、とても温かく、まるっと受け止めてくれて、毎日がとても穏やかで、感謝しかありません。
出逢えたこと、同じ生命の時間を、過ごしてくれてありがとう。
出会えて良かったと心から思います。

あの頃の私は、否定と誤解が怖くて、自分を守るために、相手を否定し、誤解を誤解のままに、拒絶していました。

最後まで信じてくれて
ありがとう。

私も、心の奥底で、ずっと信じていました。

そして、お知らせして下さった娘さんに心から感謝しています。

ここからまた、分かち合いたい。
人生の時間は、限られている。
見えている部分が全てじゃない。
いま、目の前にいる大切なひとを大切にする、私の想いはさらに強くなったた。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます😊✨

こたま

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