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紡ぎ繋ぐ想い

2023年🌸🌿‬
本年も、どうぞよろしくお願いします。
今年も、今年の1文字を考えてみました。

❀⚤✟⚣❀
『紡ぐ』

昨年は、温めてきたものを放ちたい。ひとつひとつ丁寧に歩んでいきたいという思いで『歩』にした。

人生を振り返る。
なんか上手く生きれなくて、私って運がないなぁ……って思ってきたけど、いつも優しい誰かが手を差し伸べたり、励ましてくれた。
『ひと』に恵まれてるなぁと感じる。
一人では生きてこられなかった。

この1年は、ご縁と感謝を大切に紡ぎながら、温かい循環を実現させていきたいという想いが強い。
ひとりの力は小さいけど、持ち寄ったら大きなパワーを生む。
希望を感じている。
そんな気持ちでいます。

こころ

私自身、とても物事に細かく気を取られやすく、人の変化や物音に過敏な性質を持っている。
それは、今まで生きてきたなかで、身につけてきた心の防衛反応。

そんな自分は、『普通』じゃないとか『ちゃんと生きれない』って思ってきた。心に負荷を掛けながら、自分がいかにダメで価値がない人間なのかを、自分自身で証明し続けてたように思っている。

強くならなければ
変わらなければならない
トラウマを克服しなくては
自己肯定感を高めなければならない
自分軸ではないからダメなんだ


こんな言葉で実現できない自分に失望しながらたくさんのものを諦めながら、傷つかないように、波立たせないように心を抑圧し続けてきた。

その抑圧は、きっと本当は自分はこう生きていきたいとか、本来の自分は本当は価値があるのに、どうせ誰も気づかないし、認めて貰えない必要とされない自分には、そんな価値は無かったんだって諦めながら、ひとつひとつ削り落としてきたようにも感じている。
いや、見えないように蓋をひとつずつ閉めてきたかもしれない。

内側に閉じ込めた想いは、せき止めた分だけ、怒りや憎しみの感情となり、外側に溢れ出した。
『あの人が悪い』『世の中が悪い』
『あんなことさえ無ければ……』
その怒りの力で悲しみを振り払うことでしか生きられなくなっていた。怒りの手前にある悲しみや悔しさ、寂しさや不甲斐なさをかんじてしまうと、自分が『可哀想』な人になってしまうのが辛すぎて認めたくなかったんだと思う。

辛い経験をしたり
苦しい体験は、心に染み付いてなかなか剥がれないし、そう簡単に治るものでもなくて。
時折、しくしく痛み出したりする。
いつも、スレスレのところを綱渡りのような感覚での恐怖みたいなものを、心の病気を抱えてきた方は、感じている。
私自身も、『うつ』という経験をし、色のない世界や、心が固まる感覚、何も無いのに涙があふれて止まらなくて、真っ暗な世界にひとりぼっちの私を体験した。

もう
二度とあんな想いを
したくない……

ずっとね
思ってることがあるんだよね。
ひとつひとつの悲しみや苦しさが、少しずつすこしずつ、心を壊していてったのなら……
ひとつひとつの喜びや楽しさを、積み重ねて行ったら、どこかで帳尻会うのかなって。そんなことを思ったりもして……欲張らないことを覚えた。
期待して裏切られたら辛いから、甘えられなくなった、
心はますます、『孤独』になる。

こんなに大切に思っても
自分は大切にされない。
優しくしたいだけなのに
自己犠牲
偽善者と言われる。
なんで理解されないんだろう
大切な人を大切にしたいだけなのに
こんな思いをするために
生まれてきたんじゃない
こんな思いをするために
苦しみを
乗り越えてきたんじゃない
こんな思いをするために
痛くて辛い治療を
してきたんじゃない

自分にエンパシーを向ける
自己共感との出会い

心の声は、常に伝え続けていた。
『こんな思いするために…』の底には、きちんと自分は自分が大切で、ちゃんと価値がある事を自分で認めてあげて欲しいって教えてくれていた。それでも、辛すぎる現実から心を守るために、その大切も価値も、無意識にも無きものにしていたんだ。

それを、自分の心に共感を向ける自己共感に出会い、見つけてあげる事、心の声を聴いてあげることが出来てから、少しずつ、自分の感情が何処から生まれてきているのか、何が大事で、本当はどうしたかったのかを自分で受け止められるようになってきたんだよね。

心に染み付いた思考の癖は、時に目の前の現実を悲しい色に変えてしまう。無意識にも、そのフィルターは発動してしまうけど、それを直そうとか自分を変えようとして苦しさが生まれていた。

でも、自分の心の起点に気づい行ければ、今までと同じく悲しい現実は起こらないかもしれない。
本当は、仲良くしたかった優しくしたかった大切な人と、傷つけあったりもしなくて良かったこともある。

心の奥底にある、大切な価値観、願いを見つけてあげることが出来たら、少しずつ見える世界が優しい色に変わってきたんだよね。

自分に共感を向ける、自分を客観的に見つめるなんて手段は、私は知らなかった。だからこそ、いま、辛かったり自分が嫌だとか、私なんか……って自分を責めて、心が置き去りになって自分自身がなんだかわからない……そんな私みたいな人に、エンパシーによる自己共感を伝えていきたいって思ってる。


シンパシーによる
共感

繊細なひとや、人に優しくあるべき、自分がされて嫌なことは人にはしないって、約束を自分としてしまいがちなんだよね。それで辛い思いをして来たから故に。

人の感情が、あたかも自分が体験しているかのように感じてしまったり、悩みを自分の事のように感じてしまう方も多いんじゃないかなぁと感じる。
その共感のことを、エンパシー協会ではシンパシーと呼んでいる。
共鳴のような感じで、ともに感じる事で、喜びは膨らみ、悲しみは軽くなるイメージ。

これって、心が辛い時とかすごく温かいし、ひととひとが繋がる時にはとっても大切だったりするよね。

そして、私は勝手に……沢山の感情を感じて生きてきたひとほど、人の心に深く寄り添える方が多いのではないかと思っている。

ただ、とっても心が忙しかったたり
疲れやすかったりするよね……

エンパシーによる
共感

そんな方に、ぜひ知って欲しいのが『エンパシー』の共感。
ひとと繋がりをたいせつにしたいけど、疲れちゃうし、自分ばっかり……とか、良かれと思っでしたことが誤解されたり、関係性に壁が出来たりということに、心痛める人も少なくないよね。

優しい気持ちが理解されない。
私は必要ないんだとか、人との繋がりを諦めてしまうことで自己嫌悪に陥ってしまう……みたいな事もある。

エンパシーとシンパシーの違いは
『客観性』である。
エンパシーの共感は
相手を理解しようとする姿勢のこと。

優しいひとや、寄り添いが大事とう思っている方は、相談を受けたり、話を聞いてあげる機会が多いよね。

その時に、主体性を相手にしながら、その人の言葉の内側にある感情と価値観、願いにフォーカスを当てて聴くだけで、自分の心が置き去りにならないし、感情を持っていかれ過ぎずに話が聴けるようになる。

感情の奥にある価値観。
その人が大切にしている願いに耳を傾けることが出来るようになる。

価値観は、人の数だけ微細に違っているし、嬉しいって思うことも、悲しいって思うことも人によって違うんだよね。

みんな違って
みんないい。
この意味が本当の意味で実現された時に、尊重が生まれるんだと思うんだよね。

そして、価値観の違いは、壁にはならないし、むしろ違うからこそ、世界は美しいんだな、こんなにもいろんな彩りがあるんだな。
この世界のなかに、『わたし』という存在が唯一無二で、『あなた』もそうなんだよねって思えるような気がしている。

私は私のままで
生きていってもいいんだ
そう思えるひとが
増えたらいいなぁと願います
人生は気づきと体験の連続
その心に
寄り添える人で在りたい

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