小学6年生から学んだ信念の本当の意味
【信念】→それが正しいと堅く信じ込んでいる心。
その一貫した心を持つことが大事だという意味になる。
また中学時の顧問の先生からは
「信」=人に言う。
「念」=今の心を。
ということから、「今の心を人に言う」ということを教えてくれた。
「何かに対して想いを持って行動することが大事なことである」という意味だと解釈している。
しかし、その先にまだ意味があるということを小学生のある子の3年間に及ぶ言動から僕は学んだ。
僕は大学1年生の頃、小学生のハンドボールコーチをしていた。僕の小学校時代のハンドボールチームであり僕のお世話になったハンドボールを始める原点になった場所である。当時の監督に恩返しの思いで手助けをしていた。
その時に出会った小学6年生の子との話である。
その子の特徴は自信過剰、お調子者という表現が正しい典型的な目立ちたがり屋だった。軽くいなしつつも指導をしていたのだが、その子は僕がコーチしているずっとある言葉を口にしていた。
「おれ、コーチ(僕)と同じ高校に行く!」
というセリフだ。小学生から高校選びを考えたことはあるだろうか?僕はもちろんない。その子は毎週言っていた。練習でうまくいかない時も。試合で自分のせいで負けた時も。そのまっすぐな素直さにその子に対する印象が強くなりその言葉を今でも覚えている。しかし、自慢するような形ではあるが僕が当時通っていた高校はハンドボール強豪校であった。県大会ではほぼ敵なし。全国でもハンドボール界では名前を知らない人はいないであろう高校で全国大会優勝経験も最近あった高校である。簡単に行ける高校ではない。ちなみに僕はレギュラーになったことはないし、メンバーに入れるのが稀。入れる機会の方が少なく応援リーダーをずっとやっていた。
そんな中、大学時代の活動が忙しくになるにつれ僕はハンドボールコーチからは疎遠になってしまっていた。月日は経ち大学3年生の夏、久しぶりに高校の後輩の試合に見に行こうと試合会場に足を運んだ時に誰かに後ろから服を引っ張られた。誰かと思いきや中学生になった当時のお調子者の子であった。少しだけ話せる機会があったのだが、中学2年生の夏になった時でも以前の小学校の時に言っていたセリフは不変であった。
もしや本当に行くのでは、、、、
と思いつつも徐々にその高校のレベルを現実的に考えて挫折してしまって他の高校行くのかも、、と思っている僕もいた。しかしその時に幼いながらも自分の信念を持ったあの子の目はその会場の高校生らよりも一層輝いていると感じた。
そして時は経ち、3年後小学生も卒業し、中学3年生になる。つまり高校進学。
その子には直接会える機会がなかったのだが久しぶりに最近ハンドボール教室に行った。その子の高校進学の話をおそるおそる当時の監督に聞いてみた。
するとその子はどうやら今年、僕の通っていた高校のスポーツ推薦で進学することが決定したという話を聞いた。
僕は3年前に自身の存在でその子に対して目標を立てさせるきっかけを与えることが出来たと感じ非常に嬉しい気持ちになった。
その子は中学生になっても努力をし続けたという話も聞いた。ハンドボールでは県の選抜メンバーに選出。勉強面も高い成績を保つために塾通い。ほんとに素晴らしい姿勢だと感じた。
『何かに対して想いを持って行動することが大事なことである。そしてその想いで行動が変わり自己実現につながる』
これがまさに小学6年生から学んだ『信念』の本当の意味である。
小学校の時に発言していたことを3年越しで叶えたその子に対し、僕は素直に愚直に努力することでどんな発言内容でも実現できるということを学んだ。
この話を僕に当てはめて考えてみる。
自信を持って行えるようなことを今、はっきりと人に言えるか?
その言ったことに対しての自分の行動にギャップはないか?
その時にやはり人には言っているものの、その発言に対して定量的にこのぐらい行っているということはできない。しかし自分の目的目標があってその発言をしている以上、達成することに自分自身の自己成長がある以上、言った発言に齟齬がないように行動したい。
学生時代卒業するまでに
目標:『TOEIC700点』
目的:どんな形であれ商社マンとしての海外の取引を経験し、自己成長につながるような経験をするため
実現させます。