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あの日、全て壊した。0に戻る。死ぬまで唄を紡いでいく。

どうも、みなさんこんにちは。Kota.Yです。

この季節は春から明治のみなさんもTwitterに顔を出してくれたりしてはじめましてになる人もちらほらと出てくるのかなぁ。軽い自己紹介をすると文学部心理社会学科に所属してる、ダンスしてる人です。すきなポケモンのタイプはゴーストです。Twitterのアイコンもゴーストタイプのポケモンだよ。

それと。こっから先8割自分語りなのでお気をつけください。本当は「嫌な人はブラウザバック推奨」くらい書いちゃいたいんだけど、後ろの2割くらいは「Twitter歴2年の人が語る、これからの大学生活におけるTwitterの使い方を考えてる途中の人へ」みたいな内容にしているので、新入生で1大学生の自分語りなんて見たくねぇよ!って人はべーっと下にスクロールしちゃってください。「春から明治組!!読め!!」が目印です。そこまで勢いよく行っちゃおう。

この前……といっても結構前になってしまいましたが、そこそこ華麗なnoteデビューを果たしたところ、評価の声をいただき(ちょっとだけね)、嬉しい限りでございます。私は一介の大学生に過ぎないので、ああやって自己表現をしたところで私の代わりなんてこの世にゴロゴロ転がってるのかもしれない、という不安に直面してたりします。ですが、それでもああやって表現した「自己」を認めてくれる人がいるのはありがたいの一言に尽きますね。

そうして私はまた何かを書きたい衝動に駆られてしまったのです。さて、何を書こうと考えていると、どうして私は今noteの画面とにらめっこしているのだろうということに気づく。こんなことやらなくても飯は食えます。というかこんなことやらずに課題やれよって話ですよ(追記:ちまちま書いてたら最終的には春休みの公開になってしまいましたが、このパートを書いてたのは期末のタイミングでした)。でもnoteで何かを書きたい。端的に言ってしまえば自己顕示欲ってやつですよね。このことに気づいてしまった時に、私って案外自己顕示欲が強いのかもなぁって思ったんです。よし、これだ。これについて書こう。

というわけで今回の話題は「Twitterおよびそこでの私について」でいこうかな、と思います。なんせ私の自己肯定感や自己顕示欲やその他もろもろを作っている二柱のうちこれじゃないほうであるダンスについてはこの前別のnoteに書いたからね。それではいってみましょう。

私がKota.Yという自我を持ったのは、約2年前、早稲田を受験した帰り道でした。早稲田を6学部連続で受けていた私は、その最後の受験でヘトヘトになりながらも(遂に……遂に解放されたんだ!!)という歓喜にも包まれてました。いやそんなことはないか。早稲田に受かったかどうかの不安と心配もデカかったです。
それでもその段階で明治大学の合格発表は頂いていたので、浪人回避は私の中で決定的なものになっていて、そのときに思い立ったのが「Twitterの大学垢を作ろう」でした。インスタをやろう!じゃないので陰キャポイントプラス50です。

Twitter自体はもうちょい前からやっていたのですが、趣味用でROM専のしがないアカウントだったので、実質このときが最初にTwitterアカウントを持った瞬間……になると思います。このときは右も左もわからない状態でした。もちろんTwitter上での友達の作り方だってわからないし、手探りでやっていきました。いや厳密にはやってないともいえるかもしれません。鋭いことがいえるツイッタラーの取り巻きとしてなんとな〜く生息してただけだったようにも感じています。その証拠に、誰かとこの時期にDMでお喋りとかほぼしてないんですよね。私が人生で初めてTwitterから知り合った人とエンカした時も、具体的にいつかまでははっきり覚えていないけどその頃には8月か9月になっていたような記憶があるんです。まあ当時の私は「なんとなく繋がっている感じ」で満足だったのでしょうね。趣味や免許やなれない課題に必死だったので。課題に慣れてないのは今も同じか。

この「なんとなく繋がっている感じ」、個人的にTwitterの最大の武器だと思ってます。なんせTwitterさえ見れば、Twitterで繋がっている仲間たちの日常をいつも見ることができるんです。そこにしっかりと繋がって介入しにいく、みたいなことは(Twitterきっかけで本当に仲良くなったヤツにはあることもあるけど基本)ない。見るだけ。「なんとなく」繋がっているに過ぎない。でもそれが案外心地よかったりするものです。
さらに踏み込んだ話をすると個人的にはインスタとTwitterの違いもここにあるのかなー、なんて思ったり。インスタは基本的に「しっかり」繋がるためのツールなのかなぁ、って感じたりします。ストーリーに反応したら個チャ行っちゃうような世界線ですからね。それがよくないとか言う気はまっっったくないけどそれはそうとして個人的には後先考えず軽い気持ちで♡を押せるTwitterの方が好きだったりします。如何せんそこまでコミュ力が高い訳でもないので、いきなりしっかりと繋がるよりも「なんとなく」のフェイズを間に1枚挟みたくなっちゃうんですよねぇ。これは結果論かもしれないけど、今となってはそこきっかけでちゃんと友達になって今となってはしっかり繋がっている人もいますし。この段階を踏めるのは嬉しい。逆はできませんからね。「しっかり繋がる」→「なんとなく繋がる」ってそれもう喧嘩でもして疎遠になったとかあるん?ってなりますから。

私がTwitterを始めてからというもの、それはそれはたくさんの出会いがありました。色んな面白い奴がいました。まあ、プライバシーの権利関係で訴えられてもアレなので、特に詳しくは紹介しませんが……。多分この媒体はTwitterと紐付けで公開すると思うので、どうしても興味があったら私がTwitterでよく絡んでそうな人を漁ってみてください。彼らのことなので。ただ1つ言えるのは、高校生までの自分がどれだけ狭い世界で生きていたのかを実感させられました。そんな価値観が、そんな生き方があるんだって山ほど思いました。それって面白くないですか?しかも彼らと仲良くなることでその生き方の裏にある思考回路を知ったり、Twitterから窺ったりして、色んな生き方がわかる。そしてその全てが(よっぽどのことがない限り)肯定されていく。それがこのTwitterという世界です。

高校生の自分は、今の100倍くらい陰キャでした。仲いいヤツが数える程しかいなくて、学校生活を通してそいつらと遊んでました。すごく内向的で、交友関係を広げようとは1ミリも思ってなかった……ような気がします。今だからこそ勿体ないことしてるな〜コイツって内心思うのですが……
私にとってのTwitterは、それを壊してくれた存在でした。そもそも受験期から「大学決まったらTwitterして友達をつくろう!」とぼんやりと思ってはいたけど、その過程で価値観を変え続けてくれたTwitterとその仲間たちには感謝がいっぱいなんです。やっぱり、大学入学当時って言うのは、ちょっとトラウマになったようなこともあった高校時代の人間関係を0までリセットして友達を作り直そう!っていうタイミングとしては最高の時期だったのですが、コミュ障が人間関係リセットしてもそれだけじゃコミュ強にはならないんですよ。これでいきなりInstagramみたいなツールに縋ってたら、人間関係慣れしてないせいでまたあわあわして大学生活も友達がほとんどいないつまらないものになってたかも知れません。ここにTwitter特有の、なんとなく繋がっている関係がすごくありがたかった。しかも、なんとなく繋がっていく中で人との繋がり方も学べたし、少しずつコミュ障を脱却しつつあるのかなぁ、って思ったり思わなかったりします。今なら、少なくとも当時よりは社交的な人間になったんじゃないかな。それでも未だに「社交性が足りない……」って思うことがなくなったかといえばそんなことありませんが、まあマシにはなったよねって話です。

現在、私はむしろTwitter世界において退役軍人に片足を突っ込んでいます。これは……仕方ない半分悔しい半分ですね。ある意味上級生になったらTwitterの使用頻度が減っちゃうのは当たり前の側面があります。なんせ、今春から明治の人達は新しい友達が欲しくてうずうずしてるはず。でも今はどうですかって話ですよ。季節柄春から明治の人に読んでもらうことも想定してもらうことにしたけど、彼らにはここはスクロールで飛ばしちゃうことを推奨してます。ここ読んでる人の過半数は私と会ったことある人なんじゃないかな、って(特に根拠はないけど)思ってます。そして「Kota.Y」というものは「なんとなく繋がる」ためのものに過ぎません。だから、ツイートという形で全世界に発信したいような内容が少なくなっちゃった、というのはあります。そして同様の理由で退役軍人に両足を突っ込んでしまった戦友も1人や2人ではないほど見てます。彼らとも今は別の方法で繋がってたり、たまーにTwitterで見るだけの関係になったりまちまちですが。これが仕方ないの半分。
でも私は、半分悔しいとも思ってるんですよね。友達は量より質という説もあります。というかそれは説と言っていいのか分からないくらいには真理サイドでしょうね。でも、私は、1年生くらいの色んなひとがTwitterという集会場に集まってなんとなく繋がってたあの頃が大好きだった。いつの間にかあの場所の本質が変容してしまった今だからこそ思うことです。
私には私の、もうなんとなくではないくらいに繋がっている人がいる。それはそう。でも彼らとも最初は「なんとなく繋がっている関係」だった。だからこそなんとなく繋がることをサボっている自分が悔しいっちゃ悔しい。

だから私は今日もTwitterにことばを紡いでいます。頻度こそ減ったけど。社会となんとなく繋がるために。社会になんとなく投げかけるために。僕の生きた証を、今。

春から明治組!!読め!!

はい。ここまでの読破orスクロールお疲れ様です。ここからは春から明治組へのメッセージメインです(が、一応本編とは関連する内容になってるのでここまで読んでくれたひとも引き続き読んでくれると嬉しいし、ここから読む人も興味を持ってくれたら上を読んでくれるとよろこびます)。

まずはじめに皆さんにお伝えしたいのは、「Twitterはいいぞ、みんなツイートして俺たちの仲間になろうぜ!」ってことです。

これを聞いて「ええ〜でもTwitterって…なんていうか、あくまでもInstagramのサブ的な立ち位置って感じじゃね?」と言ったふうに思った人ももしかしたらここの読者にいるかもしれません。彼らに伝えたいのは、Instagramと同じくらいにはTwitterも面白い世界だよ(※個人の感想です)ってこと、そしてInstagramをやってない人間もいるんだ、彼らと仲良くなれないのは勿体ないと思わないかい?ということです。確かにTwitterはInstagramみたいに軽率にDMとか送りづらいし友達を作るにはInstagramのほうが強い、という側面があることは否定しません。でもTwitter専門でやってるやつらの中にも面白い奴はいっぱいいます。それは私が保証します。「Twitterをメインにしてる奴って陰気なやつばっかなんだろ?」に関しては、こう応えたい。確かにそういう傾向はあるかもしれません。でも、全員が全員そうじゃないし、Twitterから広がる人の輪もたくさん存在します。そして、なによりTwitterの繋がりは自由自在です。なんとなく、ツイートを見合うだけの関係でも、いいね♡マークで繋がってられる。ストーリーにリアクションすればDMに行ってしまうInstagramよりもインスタントに、色んな人と繋がりを持てるんです。これって面白そうって思いませんか?あるいは、たくさんの人に自分の日常や伝えたいことを発信できる。これも面白そうじゃないですか?「明治の仲間たちに限定して」「でも1人でも多くの明大生と」「無理ないペースでたくさん繋がり続けられる」のは、断然Twitterだと思っています。ね?Twitterも案外悪いものじゃないでしょう?

次に。Instagramより先にTwitterの大学垢を作った、私と同じようなタイプのみなさんへ。みなさんは陰キャポイントプラス50です。あ、ちょっと怒ってブラウザバックしようとしたりとかしないで!私は馬鹿にしてるつもりで言ってるんじゃないんだ。というのも、私が観測してる限り、陰キャポイント70〜80くらいは持ってるんじゃないかな?って人が普通です。時々陰キャポイント10くらいのヤツとかも見てきましたが、外れ値なので気にしなくていいです。それでいいんです。世の中にはTwitterで人と繋がることすら億劫な陰キャポイント999みたいな人達だっています。でも、この文章を読んでくれている人なら「友達をつくろう!」っていう意思はあるはずです。さあ、みなさんなら何をすべきかわかりますね?

Twitterです。

ここは、誰にとっても自由に、自分のペースで、なんとなく人と繋がっていられる不思議な場所。ちゃんと繋がりたいならそういう仲間を探せばいい。なんとなくでいいなら、それもいい。いつかちゃんと繋がりたくなるほど面白いやつとの出会いがあるはずです。

あと最後に、(これは出会い厨だと思われたくもないし本当の本当におまけ程度のやつなんだけどさぁ、)私に相談してくれたらTwitterに関連することでも普通に大学関係でも何でも答えます。答えられる範囲でね。私には私の人生があるので調査に10時間かかるような検証とかはやれませんが。DM怖かったら質問箱でもいいので1明治大学生が答えられそうなことで力になれそうなことがあったらコメントしてみてください。Twitterユーザーどうし、何かの縁があるかもしれません(結局出会い厨みたいなこと言ってますね。やべぇ。もちろん出会い厨ではないので年齢性別その他もろもろ関係なくお答えしていこうと思います)。

私たちと一緒に、Twitterライフを楽しんでみませんか?

さいごに

なんか案件みたいになっちゃった。まーいっか。Twitter好きだし。1円も貰ってないことだけ言っときます。フォロワーたったの1000だし当たり前ではあるんだけどさ。

まー……なんていうんだ?1大学生のTwitterというコンテンツに対する心地良さをぶつけただけのやつなんで新入生集めて変なこと計画してるとかじゃないです。ご安心ください。元から書く予定だったTwitterへの思いに、季節柄的にTwitter民増えたらいいな〜の布教を足してみただけなので……

メインパート最後にも書いたけど、多分自分は、死ぬまで……は好きな歌の歌詞からとった誇張表現であるにしても、少なくとも大学を卒業するくらいまではKota.Yでいることを忘れず生きていきたいなぁ、と思ってます。なんとなくの繋がりになる人も、仲良くなった友達のみんなも、これからなんとなくよりも深い繋がりが生まれてくることになる人も、これから(も)よろしくお願いします!!!!

最後に。タイトルに関して、前回に引き続き好きな曲から取らせてもらったのですが、親告罪とはいえロゴまで作ってしまうとちょっと不安になるので、共感性が高く本記事のタイトルに相応しいものであるとして引用させていただきました。と明記します。ので引用元を付記させて頂きます。

DUSTCELL『STIGMA』
https://youtu.be/WBokwu1rdTw

(さらに本音を言えばこれは付記でありながら布教です。聞いてみてね。)

(冷静に考えるとロゴにしてしまったからには引用じゃすまないのかもしれない……著作権まわりの細則に関して無知で、色々調べてみた結果「言葉は誰しも使うものだから少し程度なら問題ない」というケースがあったりなど、白寄りのグレーと思っている……し布教もしているから許して)

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