自分を知った気になって、また分からなくなる、そんな青い春という名のダンスを。

どうも、Kota.Yです。
ちょっと前にnoteが流行った時、自分もなんか書こうと思って、でも何を書こうかピンと来なくて、しばらく何もしてこなかったんですよね。
でも、最近色んな人と話してるうちに、やっぱり俺といえばダンスってイメージがあるんだなぁって思ったので、最初のnoteはダンスについて書こうかなぁ、と思い、遂に重いペンを持ち上げ、否、めっちゃ使いづらい所に安置してたnoteのアプリを開いてキーボードと向き合うことにしたのです。

俺のダンスとの出会いは小学校3年生のとき、幼稚園生のころから仲良かった女の子に誘われたのがきっかけでした。最初にダンスというものに触れたときには、こんなの女子の習い事じゃん、って思った記憶があったことを覚えています。恥ずかしながら当時はEXILEすら知らなかったんですよね。でも1度行ってみたら案外楽しくて、通うようになったらそこそこだけど男子もいて、あっこれも悪くないなって思ったんです。まあ、その時は水泳とかテニスとかもやってて数ある習い事のひとつとして、くらいにしか思ってなかったんですけどね……。

ダンスと直接的には関係ないかもしれないんですけど、次に俺がダンスに対して特別な感情を持つことになったきっかけを書かせてください。横浜市の小学校では(少なくともうちの母校では)、6年生のときに有志を集めて横浜の開港に関する寸劇をやろう、っていう話があって、俺はそれに何気ない気持ちで立候補しました。内容としては、タイムマシンを開発した博士が江戸時代に行って、ペリーが日本の武士に開国を迫るのを目撃する、みたいなすごい雑なものなんですけど。俺は博士役だったかな。この機会は、俺が演劇をした初めてのタイミングでした。このときに俺が思ったのが、「舞台ってたのしい……!」ってこと。そもそも寸劇で遊んでるだけの内容だったかもしれないけど、そこには舞台の神がいたのです。この見方にのっては疫病神ともいえるかもしれない最高の神様が、私を今の今に至るまで舞台に駆り立て続けています。そして、中学高校で演劇部に行ったのもそういうことなんですね。
ちなみに、初めてダンスをしている時にこのゾーンに至ったのは、中学生の時でした。そのときに使われていた曲が「にわとりのうた」って曲で、昔Twitterのヘッダーに使ってたり、知らない人もいるかもしれないけどLINEのアイコンにも使ってたりするにわとりはこれが起源だったりします。

ちなみに、最終的に大学で演劇じゃなくてダンスを選んだのは、曲があってそこに感情を乗せる、っていうのが演劇の枠の中で感情を乗せるのに対して好きだなって思ったからです。だって、まあ必ずともそうとは限らないしそんなことを忘れさせてしまうくらい素晴らしい演劇作品だってあるけど、基本的に演劇って伏線を張る部分があったり、冗長じゃないですか。感情なんて存在しない部分だって何かが存在するかのように、舞台にいるからには振る舞わなければいけない。ダンスのほうが感情が強いところだけを凝縮してグワーッと伝えられるから好きですね。まあこれは好みの問題ですが。

俺がダンスを好きになったルーツでいえばこんなところ。でもせっかくなので、このnoteを締める前にこれまでの人生で1番強く舞台の神様を感じた日の話をしようと思います。忘れもしない、2019年8月1日の話です。
その日の話は、高校2年生が終わろうとしている2月、大学受験が迫っているんだという危機感が迫っている中で訪れました。これに出れば大学受験に支障が出るかもしれない。それでも俺は出たかった。8月頭だし、甲子園にでる球児よりはまだ早く本格的に勉強に移れるのではないだろうか。俺は出演を決めました。
そのとき、小3からダンススクールに通って、初めての試みが行われたんです。それが、演技パート。脚本家の方をお呼びしてダンスとダンスの合間に青春群像劇を挟む、まるでこれまでの俺の人生全ての集大成をここでやっちゃってくださいと言わんばかりの一体化芸術。当然演技パートへの出演を志望して、そんなに志望者が多いわけでもなかったのでみんな出演することに決まりました。さらに、演劇部だよ〜って言っていたのが功を奏してか、準主役みたいないいポジションを頂けたのです。そのときには高校のシステム上演劇部は引退していたのですが、最後に演劇することができるということで、久しぶりに必死にセリフを覚え、演劇未経験の誰よりも動きを研究し、声の出し方も考えました。結果としてその公演は満足のいく結果で終えることができました。最後の演技パートからながれで最後のダンスに移る時には、本当に全てを出し切った記憶があります。その裏で(これでもう終わってしまうんだ……)という悲しみに暮れていたのもまた事実なわけですが。
そして。その時の舞台のメインテーマが「どうして私たちは踊るのだろう」「そして、僕は歩きだす。明日のキミに会いに行くために」みたいな、舞台芸術やそれを通した青春に対する賛歌的な内容なわけですよ。感傷に浸る為には役満でしょこんなの。練習しているリアタイからこの公演のことは一生忘れられないんだろうな〜って思っていたし、多分大学でどれだけ素晴らしい公演に参加することが出来たとしてもあの日のことはもう絶対に忘れないと思います。
ちなみにこのnoteのタイトルになっているちょっとエモい言葉もその時の最後の曲のラスサビ前の歌詞から持ってきたものです。かなり有名なアーティストさんのそこそこ有名な曲だから知ってる人は知ってそうだけどね。

というわけで俺がダンスをしているルーツと、未だにダンスに、そして舞台に縋って生きている理由をつらつらと述べさせていただきました。舞台でダンスする瞬間に感情を乗せるその瞬間は、普段自己肯定感が高くない俺が唯一自己肯定感をぶち上げることができる貴重な瞬間です。そんな貴重なものに出会えたことには、感謝しかないです。
大学のダンスサークルを引退した時、どれだけダンスとかかわるのかはまだ分かりませんが。少なくともそれまでの間は、舞台に縋って生きていこうと思います。

というわけでKota.Yでした。また何か書きたいこと思いついたらnoteにしますね。

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