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何歳からでも。

あっという間だった気もするし、とても休んだ気もする三連休。
久しぶりに実家にも帰り、家族との時間も過ごせたのでとても良かった。

なんだかここ一週間は雨や曇りの日が続いており、且つ寒い。
寒さに弱く、晴れている空が好きな自分にとってはなんとも耐え難い日々だ。
ただ、曇りの日にも空をみあげれば若干の違いはありそこに気づいているだけでなんだか得した気分になる。

この日は霧がかった曇り

この日は雲が多めな曇り(たしかこの日の方が寒かった)

そんな天気が続いた三連休だったがこの休みの期間は読みたかった本や久しぶりに読みたくなった本を読み進められた連休だった。


ずっと読みたかったのがコレ(進捗はまだ3割)

snsでちらほらおすすめしている人が多く、これは読むしかない。と思った一冊。
まだ読み途中だし、例にでてくる話も少し難しいこともあり理解を進めている最中だが簡潔にいうとタイトルにある通り”人は皆誰かの欲望を模倣している”ということが書いてある本。

身に着けているモノ、欲しいモノ、話し方、やりたいこと、Instagramの投稿の仕方などあらゆるものが"その人らしい"とされているがその裏には誰かモデルとなる人がいてその人を模倣しているに過ぎない。

自分の経験をもとに行動をとっていたつもりが、まさかのそこには目に見えにないモデルがいたらしい。
ただ、モデルには二種類がいて・・というところを現在読んでいるのでまたnoteなどで書きたい。

しかしこれに関しては心当たりがある。Instagramの世界には凄くはっきりとした欲望の模倣が見られる。
「所有しているモノ、ストーリーの投稿の仕方、テキストの書き方などなど、、この人はこの人をモデルにしていそうだな~」というのが何となくわかる瞬間がある。
そして自分のモデルとなる人をフォローし、自分が好む情報がタイムラインにも流れてくるので更にそれらを模倣したアウトプットが自分の投稿から生まれる(例外なく自分もそうである)

ただ、この本ではそれが悪いことだと書いてあるわけではない。
これだけ情報が多い世の中でそれを回避することは到底難しい。
となると、誰をモデルにしているのかを自身で認識し選択し決断していくことが大事になってくる。
表面的なものを模倣するのではなく、自分自身が辿り着きたいところに繋がるモデルをみつけてそれを模倣していくことが大事だと。

読み始めた段階でそんなことが書いてあり、なるほどなあ、、と。

そんなインプットと同時にこの週末考えていたことが、今後自分の限りある時間とお金をどんな風に使っていきたいのかということ。

恥ずかしながら(お金に関しては特に)じっくりと向き合うことが少なく、自身の行動についても観察をしたことがなかった。
それらについて考えないと、結果的に目的としていない誰かの模倣にお金を浪費し残るのは虚無感だけではないだろうかと思った。

考えたことはなかったが少し考えれば観お金の使い道は明確に3つだった。
・経験
・感謝
・応援

感謝や応援に関して詳しく書くことは今回見送るが凄く大事にしたい。
この3つに対してバランスよく使い、これら3つに使えるお金をどんどん増やしていきたい。
そしてそれが決まった今、今後は自分の支出がそれら3つのどこに当てはまるのかもしっかりと都度振り返っていきたい。

-経験-
今回書きたいのが経験について。
百聞は一見に如かず。"まだ見ぬ景色"を一つでも多くみてみたい。
これまで経験をしたことがないことも臆せずに挑戦してみたい
遅かれ早かれ老いる。そして、人生は一度きりである。
歳をかさねると何となく自身の限界が見えてきて、気持ちに蓋をする。
けれど、経験してみたい!という気持ちに本来は惜しみなくお金を使っていきたい。
そしてその経験をつくるために時間を生み出す必要があれば、そのためにお金を使っていきたいと思う。

そんな自身の気持ちはきっと元LINEの青田さんのnoteに刺激を受けたことがきっかけである。
詳しくはこちらのnoteを読んでほしい。(凄まじい)

リンクからnoteを読んでほしいのだが、何に影響を受けたかというと48歳で多摩美と武蔵美に合格し今年の4月から美大に入学するということ。
初めにsnsでみたとき、少しよくわからなかった。。

先ほど自分に蓋をせず”経験をしていみたい”という気持ちを大事にしたいと書いたがきっとある程度制限をかけて小さくまとまっていたのではないかと感じるnoteだった。

それから本当に経験してみたいことって何だろうと考えた。。
行きたい旅行先は沢山出てくる・・でももっとそういうのではなく・・


バトミントンで大会にでてみたい!これだ


大学の四年生までずっとサッカーを続けてきた。18年間。
サッカー選手になるという夢は叶わなかったが、サッカーを通じて沢山の素敵な仲間に出会うことができた。
そして、日本代表でプレーするような選手たちと同じピッチで対戦をしたり、全国大会で優勝ができたりと特殊な経験もさせてもらった。
そんなサッカーとは大学終了と同時にお別れ。
今は月に何回か楽しくサッカーをしている。

少し話が逸れたが、サッカーをやっていくという決断と同時に自動的に断たれたのがバトミントンをするという人生。
サッカーも楽しかったが、バトミントンも好きだったのが西田少年だった。
バトミントンをやっていた父の影響もあり、バトミントンが小さいときから身近だった。

ただ、サッカーもバトミントンも続けるのはある程度の年齢で限界がくる。
その時にサッカーのほうが好きだったこともありサッカーを本格的に始めて高みを目指して頑張ってきた。

ただ、思い返すとこれまで何とか口にしてきた。
「生まれ変わったらバトミントンやりたいなあ」という言葉。
やるなら上を目指さないといけない
やるからには小さい頃からやっていないといけない
大人になってバトミントンをやるのは公園で花見がてらにするときだけ
そんな思い込みが、「次生まれ変わったら」というよくある言葉で"経験してみたい"をふさぎ込んでいた。

ただ、青田さんのnoteをみて感じた。今からでも遅くないと。
そして、誰かの欲望を模倣するのが人間であるなら、"飽くなき探求心で挑戦をし続ける"そんな人をモデルにしたいと思った。

どこで、どんな風に始めたら良いのかも分からない。だから一旦調べた。
社会人サークルのような形でやっているものから、習い事としてやっているものまであるらしい。
それであれば一旦スクールの体験をしてみよう。
思い立ったが吉日。体験申し込み完了。

大人になってやってみたら少し思っていたのと違うかもしれない。
難しくて心が折れるかもしれない。
ただ、それが分かること自体が前進なのである。また、note書きます!

noteにすることで後回しを防ぐのみ。良い週末でした!



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