「必死」と「夢中」

「必死」と「夢中」の違いって言葉にできますか??

小学生のサッカーのコーチをしているのですが、コーチ会議の時にふとこんな話になりました。「必死」と「夢中」の違いってなんだと思う??、、、と。

 自分は、「そこに余裕があるかないか」と答えました。その時は、ほぼイメージで答えたのですが、なかなかいい所ついたんじゃねって思います。就活中なので就活生に当てはめて考えてみると、「夢中で就活している」より、「必死に就活してる」の方がしっくりきませんか?反対に「必死にボールを追いかける」より、「夢中でボールを追いかける」の方がしっくりきませんか?ここには「余裕」のほかにもう一つ大きな違いがあると思います。

それは「楽しさ」です。

 もう一人のコーチも、この会話の時最初に「楽しさ」と言っていました。試合に負けている時、そこに「余裕」がなかったとしても「楽しさ」があれば「夢中でボールを追いかけられる」と思いませんか?

この記事を通して僕が言いたいことは、

「夢中で生きていますか?」ということです。

みなさんどうでしょうか。僕は最近、結構夢中で生きていけているかなと思っています。そう思える根拠ももちろんあります。一つ挙げるとするならば、「勉強していて楽しい」と思えるからです。僕は、勉強が得意ではないし、そんなに好きでもありません。高校の時の成績は下から数えた方が早かったし、受験勉強も上手くいかなっかたから大学のレベルも対して高くはないです。なぜそのくらい、勉強に対するモチベーションが高くなかった自分が今、勉強をしていて楽しいのか。それは、勉強が自分の夢・目標をかなえるために必要であると思えるようになったからです。今の自分はとても無力です。手に職があるわけでもないし、これと言った特技もありません。もちろん天才でもないから、誰も思いつかないようなアイデアが浮かんだりすることもありません。じゃーどうやって生きていくのか。それは、知識を身につけていくしかないと考えます。色んなことを知っていれば、様々な視点で物事を考えられると思うし、どんな人とも会話ができるから生きてて楽しそうだなって思います。今の自分の夢は「自分なりのやり方で社会や人類に貢献する」というものです。自分の中では、経営者になって自分にしかできないやり方で社会にアプローチすることが夢を実現させることにつながると考えています。そのためには、勉強は必要不可欠です。このように考えたら、勉強が苦になるどころかむしろ楽しくなってきました。「夢中で生きる」ためには「夢を持つこと」が必要だと思います。

 さて、現実に目を向けて見て、「夢中で生きている人」ってどのくらいいると思いますか?そんなに多くないと思います。もはや、必死にすらなっていない人もいるような気がします。周りの流れに身を任せるとか、なんとなくとかって理由で行動している人が多いんじゃないかなって。子供たちを見ていても時々思います。なんとなくプレーしてないかなって。僕は、そんな時「このコートで何がしたい?」、「今何をイメージしてた?」と問いかけます。各々「点が取りたい」とか「ドリブルで敵を抜きかった」とか心の内に秘めている思いはあるようです。そこを引き出せるような環境を作れていない反省はありながらも、人に言われないでも自分で発揮できるような選手になって欲しいという思いがあるのであまり「あーしろこーしろ」、「今のはドリブルじゃなくてパスだろ」なんて声かけはしないようにしています。自分が関わっている子供達には、夢や目標に向かって、自分なりに一生懸命生きていく力を身につけて欲しいです。周りの目を気にしすぎて息苦しい人生は歩んで欲しくないです。

 さあ、みなさんは「夢中で生きていますか」それとも「必死に生きていますか」。夢中になるコツは夢や目標を持つことです。そうすればきっと、考え方、行動、生活が変わります。昼の12時まで寝てる、、、なんてことはなくなります。ぜひ、夢中に生きてみてください!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?