「走る」ことの意義

 健康維持のために久しぶりに走ってきたけど、いろいろ思うことがあったからnoteに書こうと思いました。

 「走る」ことはとてもいいことです。

 効果として挙げると、

 *ダイエットになる。(運動しながら酸素を取り込んでエネルギーを消費するため脂肪燃焼につながる)走ることは有酸素運動の代表例。

 *ストレス発散効果(脳からエンドルフィンというホルモンが分泌される。このホルモンは、ストレスや疲労を麻痺させる効果があり脳内麻薬と呼ばれている。)→ランナーズハイの源

他にも生活習慣病予防、美肌効果、脳活動アップ、メンタル向上など様々な効果があるそうです。参考:https://activel.jp/articles/fnNQ5


こんなに良いことがたくさんある「走り」なのに嫌いな人はたくさんいると思います。僕も得意だけど好きではないです。特にサッカー部出身で「走る」事が好きな人は0ではないと思いますが少ないと思います。

 それは、なぜか。  

 答えは、「走る」ことに良いイメージを持っていないからです。サッカー部だけに限らず、「走る」ことは「罰」として扱われがちです。

 試合に負けたから。根性、気合が足りないから。体力が足りないから。取りあえず練習メニューに入れておくか。

 もちろん、体力はゲームの勝敗を作用する要因の一つだと思うし、走る練習をすることによってメンタルが強くなると思うから「走る」練習はいらないとは思いません。しかし、技術の差で負けた試合の後になぜ、罰走なのか。練習の合間の時間になぜ走りで時間を埋めようとするのか。チームの課題が走力面にあるとするならまだわかるが、うちは基本走り負けないし、走力面を解決するのは素走り力ではなくゲーム体力の向上が必要だと思う。こんな感じで「走る」ことに接していたら「走る」ことが嫌いになることは想像がつきます。チームを選ぶ時に走るチームなのか走らないチームなのかを判断基準にしている人も中にはいます。実際に友達の中にそういう人もいました。これを聞いたとき、もったいないなと思ったことを覚えています。もちろん、これは個々の価値観の違いだし自分がたまたま走るのが得意だったからそう感じただけかもしれない。けど、サッカーをするのにサッカー以外の要因で決めてしまうのは何となく違うような気がした。実際、入学当時自分は走ることに関しては学年内ではトップクラスだったと思う。13分20秒(サッカーグラウンド10週=約3.5㎞を13分20秒以内に走り切るというメニュー)は一番初めから入ってたし、ほかの走りのメニューでもタイムに入れなったことはほとんどなかった。タイムにいつも入りすぎて入らなかったときは先生から「練習で走れないほど力を出し切ってくれたんだな」と言われたくらい走れた(実際は、ご飯食べてなくて力が出なかっただけ笑)。こんなに走れたけどトップチームの公式戦には一度も出たことがない。自分より全然走れない選手が試合に出ていた。そして、チームとしては全国高校サッカー選手権惜しくも全国にはあと一歩届かなかったけど試合に出ていた選手はとてもいい経験ができたと思う。やっぱりサッカーは試合に出ないと感じられない事はたくさんると思う(見ること、応援する事を否定している訳ではないからご了承お願いします。)しかもあの舞台。めちゃくちゃ羨ましかった。何が言いたいのか。もし、さっき話していた「走る」を基準にチームを決めていた友達が「走る」を基準にしていなかったらより良い経験ができたんじゃないかってことです。そんなこと人の価値観次第だし、その人なりに良い経験があるはずだからお前がとやかく言うことじゃないだろっていうのは十分わかってます。でも、本気でサッカーに取り組んでいたなら、ほかの事を犠牲にしてあんなに多くの時間をサッカーに費やしていたなら勝ちが多い方が良い経験だと僕は思います。

 自分は今、小学生のサッカーのコーチをしています。教えている子達にはサッカーを通していろんな経験をしてほしいなって思う。サッカーとどう関わっていくかはそれぞれだと思うけど、余計な要因で体感できるはずだった経験を逃しほしくない。自分が出来なかった経験をしてほしい。「走る」事によってプラスな効果を得られる人が増えてほしいと思いました。「走る」ことの意義がより良いものになるための発信。





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