障害との向き合い方・考え方#1

今日の話としては、僕がどの様に自分の特性と向き合っていて、特性のことをどの様に考えているのかということを話していこうと思います!

まあ、まず僕は、自分の持っているいわゆる学習障害と呼ばれるものを特性と呼んでいます。まあ、何故かというと「障害」というのが僕の中にしっくりこなかったというだけなんですね。

何なら、自分はちゃんと検査をしてディスレクシアということが出たわけではないので、「障害」と言いう言葉はしっくりこなかったんですね。
そのため、障害という言葉は使わずに、「特性」と呼んでいるわけです。

なぜ、しっくりこなかったのかというと、生活していく場面でそれほど困った記憶が無かったからですね。英語や漢字の書き取りくらいでしかほとんど困ることはなく、中学からレポートは基本パソコンを使って書くことが多く、部活も楽しくやっていて、生活が充実していたので、ディスレクシアで困っていたことはほとんどなかったので、障害という感じが全くありませんでした。

また、初めてディスレクシアなんてものがあると知った時に、「なるほど英語や漢字の書き取りが中々できないのはそんな特性があるからか!」とめちゃくちゃスッキリした感じになりましたw

なので、意外にも最初から受け入れるのがメチャクチャ早かったんです。もっと言えば、ディスレクシアの名前かっけーなとか、この特性にも得意な所があるらしいと聞いた時に、「マジか!俺はまさか、何かに対して天才なのかもしれない!」なんてことも思いましたw

なぜ、そんなにプラスに捉えられたのかというと、自分の環境や親の考え方周りの考え方にあるように思っています。自分の父親母親はどっちも様々な多様性のある考え方を持っていて、父親は仕事柄様々な人に話を聞いて文章を作っていたため、色々な人を見てきていて、また母親は、何も言っていないのに「お母さんはあなたが、男の人を好きでも何も思わないよ」とLGBTの方の話が世界仰天ニュースなどで出るたびに僕に言ってきました。
(ちなみに僕はメチャクチャ女の人が大好きです!彼女募集中ですw)

更に、父親には3歳くらいのときから、父親の知り合いのBarに連れていかれて色々な職種の様々な個性的な人に囲まれたりしていたので、そこでも個性的で面白い人たちに出会っていたので、個性が強いということには何の違和感も覚えなかったんですね。

小学生の作文教室で、「障害のある子があなたのクラスにいます。どうしますか?」のようなテーマがたまたま出た時に、多くの子は「可哀そうだから、一緒に遊んであげる」というような感じの答えだったらしいのですが、僕は「その子が面白かったら遊ぶし、つまらなかったら遊ばない」という作文を書いたそうですw

このような感じで、僕は特性や障害について考えています!
昔から僕にとっては、その人が面白いかどうかが重要なので、見た目や特性障害などはあまり気にしなかったんですねw

明日も、自分の考え方向き合い方について少し語っていこうと思います!
読んでくださってありがとうございました!是非他のnoteも読んでください!


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