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勝手に人生を振り返る➀

 
〜陸上との出会い〜

1.野球少年は100mに出場したかった

全校児童50人の規模の小さな学校で、兄の影響もあり1年生から野球を始めた。
かなり特徴のある学校で、朝には20分の朝マラソン、相撲大会や飛行機大会などの行事もあった。3年生から5年生までは1学年下のクラスと複式学級(1つの教室で1人の先生が授業を教える)を経験。小学校では、怒られた記憶がない。

私の同級生は7人で、男子は4人。1年生から5年生までは運動会の徒競走で負けたことがなかった私は早くも6年生になった。毎年6月に行われる市内の陸上大会に向けた選考が5月に行われた。

100mに出場する気満々だった私は、ここで初めて同級生に負けてしまった。悔しくてたまらなかった経験は今でも鮮明に覚えている。

その結果、いやいや1000mに出場することになったのだが、思ってもみない1位を取ってしまったのだ。野球少年の人生が大きく変わった瞬間だった。

2.昼休み返上

そこから地区大会を通過し、野球少年は県大会に出場することになった。前述のとおり放課後は毎日野球をしていたため、走る練習はみんなが遊ぶ昼休みにやるしかなかった。誰に言われたわけではないが、みんなが遊ぶグランドの周りをチャイムが鳴るギリギリまで走っていた。修学旅行出発の日の朝もグランドにきて練習していたのだから、今思うとよく頑張っていたなと思う。その成果もあり、県大会では6位!
 
家族みんなが喜んでくれて、褒めてくれて、そしてかっぱ寿司まで食べることができて「私が走ることでみんなが笑顔になってくれる。走ることは楽しい!」

これがその後10年続く陸上人生のスタートである。
 

3.箱根駅伝は手段の1つ

私は1月に引退するまで、箱根駅伝に出場することが大きな目標だった。でも私の競技人生のスタートを振り返ると、真の目標は両親や周りの人を「喜ばせたい」「褒めてもらいたい」だった。その手段の一つとして、箱根駅伝があったのだと思う。
 
結果、箱根駅伝を走ることはできなかったが、これから周囲の人を喜ばせるための手段は山ほどある。

周囲の人が笑顔で、喜びにあふれているそんな未来をつくっていきたい。次こそは。

最後まで読んでくれた方ありがとう!
 

 

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