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きっと一生寂しくて一生悲しい

 仕事を頑張っても恋愛してみても友達とたくさん遊んでも、夜になると外の雨音が世界と僕を遮ってしまう。どれだけ社会に居場所を作ろうとも、生物としてたったひとつの個体でしかなくて他の存在と生命を分かち合うことなどできないのだと窓を叩く雨粒が僕を嘲笑っている。

 絶対に乗り越えられない壁があったとして、それを見上げて自分の無力を思い知ったときどんな風に振る舞うだろう。

 強がって余裕だと笑ってみるだろうか。冷静を装って別の道を探すだろうか。絶望に呑まれぬように斜に構えてみるだろうか。

 仕事を辞めてひとりで連日部屋にいると社会から見放されたとすら感じてしまう深い孤独に苛まれた。

 自分に何の価値があるのか不安を抱き、価値の証明に日々と自分をすり減らし、あそびのない精神を育んでしまった。

 価値なんて考えなくていい。

 どんな存在も存在しているという理由だけで存在していい。

 何年も前にマックでもらったグラスを愛用している。コーヒー牛乳に近いカフェオレを作ってみたり、麦茶で満たしたり、洗うのが面倒なときは数日放置するし最初から諦めて紙コップを使うこともある。僕はこのグラスが空だったとしても割ることはないし、二年近く使っていなかったけど捨てなかった。手元にあるものをわざわざ手放さない。孤独を含む世界を作ってしまった不器用な神様もそういう思考の持ち主ならいいなと思う。

 神様が捨ててくれないから世界は良くならないし、効率化されないし、悲しみは癒えないけど、断捨離のプロだったら僕も捨てられてしまう気がするからこれはこれで悪くない。ゴミだって捨てられたら悲しいのかもしれない。ゴミの気持ちが分かる僕もゴミかもしれない。誰かの大切なものを包んで守った段ボールがゴミステーションに山積みになっているけど段ボールは暖かい。その温もりを知るときには既に限界なのかもしれないけど、限界を迎えなかった人間には知ることのできない温もりならそれはそれで素敵じゃないか。

 小学生の頃、太陽が消えてしまう空想に心を奪われていた。当時『科学の国のアリス』という空の青さや虹の仕組みを分かりやすく説いてくれた本に出会って、色が光によってもたらされていると知った。小学生の頭で必死に考えたのは、太陽がなくなったら全てが真っ黒になって、物と物の境界も分からなくて、触れることでしか何かを認識できなくなって、薄雲が透けた燃えるような夕暮れに元気づけられることもできなくなる世界だった。自分の視覚が力を失う不安というより、世界が色を失うことがどうしようもなく怖かった。当たり前に展開している世界からたったひとつ太陽という存在が消えるだけでがらりと様相を変えてしまう、その世界の不安定さが恐ろしかった。似たような日々の繰り返しに縋るようになっていった。

 たったひとつの光に照らされる世界は簡単に真っ暗になる。それさえ大切にしていれば明るい人生が確約されるそんな物があればいいと思っていたけど、それって失敗が許されなくて穏やかなようで苦しい。

 人生一度きりなんだから、いろんなことをやってみようよ。という言葉に勇気づけられたことがない。これは気質やタイミングによって刺さるかどうかが変わるんだろうけど、僕の気質には合わないようだった。一度きりだからこそ怖いのだ。失敗するとその失敗が僕の人生に刻み込まれてしまう。

 人生めちゃくちゃ長いらしいしうまくいかなくても大丈夫だよ。やり直せるよ。最近はそんなふうに考えてみることにした。人を振り回さず、誰かの不幸の種になるようなものを残さずに人生を終えられる程度にいろんなことをしてみようと思えてきた。

 今までの寂しさや悲しみは癒えない。直近のものはわからないけど、古い思い出が今も胸に刺さっているなら時間は解決してくれないのかもしれない。でもそもそも解決する必要はないんじゃないか。人生がまるっと綺麗な人なんて、いるのかもしれないけど少なくとも僕はそうじゃない。口に出さなければ今までの汚れたページを知られることはないだろうけど、雨に降られてインクが滲んでくることがある。止まない雨はないし、曇らない晴天もない。

 雨に降られて寂しさや悲しさと添い寝する夜に、眩しい光を求めても影が色濃くなっていく。こいつらだって悪いやつじゃない。存在を否定してしまうよりは一緒に過ごす夜を肯定した方が楽なのかもしれない。これからも仄暗い感情は増えていくんだろう。きらきらした感情よりも重たくて扱いづらいこいつらをグラスの底に溜めながらすぐに溶けてしまう砂糖を振りかけていく、そういうことの繰り返し。

 気分が落ちてどろどろした感情に足をとられてしまうような夜に見上げるきらきらの星空はどんなに綺麗だろう。どろどろの感触にだけ意識を向けずに、そういうときほど星々の存在を思い出してやりたい。簡単に流れ去っていく星たちを空に留めてやれるのは自分だけだ。

 きっと一生繰り返しだ。いつまで続くかわからないけど、似たようなことを繰り返していくんだろう。寂しさも悲しさもどんどん溜まっていく。それでも日々のつらさが少しでも和らぐように、太陽を信じて、星たちを増やして、汚れたページの温もりとともに夜を明かして、優しい言葉を紡いでいけたらいいな。

大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。