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美学の足りない人生

浪人中、高校の担任に「自分には品が足りないと思う」と相談したら「品のある20歳なんてなかなかいないでしょ、まだ気にしなくていいよ」と笑ってくれた。

高校生までは「かっこいい大人になりたい」と夢を抱いていて、それは職業や地位ではなく、振る舞いに滲む優しさや言動の内側にある芯のことだったと思う。少しでも善い人間になって、社会の役に立って、誰かに必要とされなきゃならないと少し焦っていた。

浪人中に自分の品のなさが気になったのは初めて社会的な価値を失ったからかもしれない。学校法人の予備校に通っていたから学生用の定期は買える。でも映画館の学割は使えない。親戚には陰口を叩かれる。友達と遊ぶのに思いきり笑えない。

立ち止まっているわけではないのに、自分の価値が社会の中に見いだせない。

生産性のない自分を認めてあげられるほど強くなくて、それならばせめて綺麗な存在になりたくて、行き着いた先が「品」だった。

浪人中はすっかり病んでしまって、出席票だけ提出して席を外す日々だった。ダーツだけ上手くなった一年間だった。



社会人になって最初の会社に籍を置いている間は自分のことが嫌いで嫌いで、割れてしまったクッキーを寄せ集めて必死に丸く見せようとするような、未熟な自分を見抜かれないように張り付いた笑顔で過ごす滑稽な日々を送った。

仕事でいい成果を残すためではなく、「そこそこの成果をあげられる嫌いじゃない人間」として認識されるために自分を捨てて誰かの顔色ばかり窺って、目の前の誰かの価値観に沿うように生きるのは消耗が激しい。あっという間に擦り切れて、ただでさえ小さな自分なんてなくなってしまう。

人の声を拾うのに一生懸命で、自分の声なんて聞こえなくなる。

人のために行動するんじゃなくて、人に嫌われないために行動するのは誰の得にもならないと気付くことはできないまま仕事を辞めてしまった。

八方美人にすらなれない上に自分自身にも好かれなかったあの頃の自分に足りなかったのは、きっと自分を生きるための美学と、美学のない自分を見つめる意識だった。



仕事を辞める直前はずっと、優しい人間になりたい、でも優しくなれないとそれが悩みで、優しくあろうとすると自分が柔らかくなって傷つくし、自分を守ろうと硬く構えると誰かを傷つけてしまうそのままならなさに打ちひしがれてしまっていた。

仕事を辞めたあと後輩から「--さんはズバッと物事を言うし仕事もバリバリで憧れていました」と言ってもらえた。

嬉しさをそのまま返すか迷ったけど、言葉を一生懸命選んで本心を伝えることにする。

「強くなきゃいけないと思って、強い言葉を使ったり強く聞こえるタイミングで話したりしていたけど、そういうキツい自分を好きになれなくて仕事をやめようと思ったんだよ」

後輩はただでさえ大きな目を丸くして、あいまいな返事をした。

「でも、そう言ってもらえてよかったよ。仕事してたときの自分を少しは肯定できるかもしれない」

慌てて付け足すと後輩は緊張の糸がほどけたように笑ってくれて、僕もほっとする。

プールの授業の後のような、お祭りの帰り道のような、出張の荷解きのような、冷凍庫から出して3分後のアイスのような。

その時間は確かに優しくて、安心があった。

前職に勤めていた数年はずっと張りつめていたけれど、糸を張っていたからこそ聞こえるようになった声が確かにあった。

安っぽい紙コップ、調節されずに長すぎた糸、何年もかけないと自分の声すら聞こえない。そのことに気づけただけでもよかったし、自覚してしまえば改善の方向性を探ることができる。

軸がなくて誰かにすり寄って生きているとばれないために強く振る舞うその姿勢を根本から変えたい。

「かっこいい大人」に憧れていた昔の自分に少し寄せたい。

社会をうまく生きようとしたって結局できないと学べた。

だったらせめて自分は納得できるように、そんな自分になれるように。

まずはそのための軸を固めていきたい。



誰かの姿を見て「ずるい」と思ってしまうことがある。

少ない労力で圧倒的なリターンを得る姿がどうやら引っかかるようだ。弱い。

前の職場で無断遅刻、無断欠勤する人やろくに働かない人を見てずるいと思っていた。フォローするのは真面目な人。信頼を失ったところで給与には響かない。彼らにとって信頼に価値がないとしたら、ずるした者勝ちじゃない?もやもやがいらいらに変わり、理不尽な状態を飲み込めなくなり、愚痴を吐き、吐いていたものはそのうち攻撃的な言葉になってしまった。

「なんとかなる」と笑う人のほとんどが成り行き任せで、その成り行きは誰かが必死に整えたものだ。

「どうしよう。なんとかするしかない」と能動的に動く人はかっこいいし手伝いたいけど、「なんとかなる」と働きかけを放棄した楽観主義者のためにがんばるのは嫌だった。



ずるい人はいっぱいいる。その人の分まで頑張っている人もいっぱいいる。

前者の方が一時的に得るものは多くとも、後者の方がステータスは絶対高くなる。

ずるいと思っても、それをしないのはあなたの強さだろう。

不完全な人間の作り上げる不完全な社会で、綻びを目にしても踏み外さずに自分の在り方を考える。

今の自分に美学があるとは思えないけれど、何度だって立ち止まって考えたい。数年後にでもうっすら自分の軸が見えてきたらいいな。

優しさのためには強さも必要で、強いだけじゃ優しくはなれない。

まずは自分なりの優しさのかたちを探していこう。





大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。