はんぶんこの運用定義

※つらい内容を含みます。くたびれている方はお気をつけください。

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気付けば運転席に座り込んでハンドルに額を預けていた。

あぁ、どうやって職場を出てきたのだろう。外は明るかった気もするがすっかり暗くなっている。額が少しひりつく。寝ていたわけではないはずだが時間がかなり飛んでいた。

僕はもう働けない、そう思った。

何が最後の一押しだったか分からない。耐えがたい苦しみが連鎖した。自分のキャパシティを継続的に圧迫する出来事が複数あった。以前折れかけたときと似た要因がそろった。ずっと前からそもそももう限界だった。どれかひとつを理由として挙げるのは相応しくないかもしれないが、すべてが理由だと答えるほど苦しく感じてはいなかった。もう麻痺していたのかもしれない。

ふーっと息を吐く。つい呼吸が浅くなる。我慢してゆっくり吐く。少しだけ苦しいけれど、続けていると身体の緊張が解けていく。

首から肩にかけて何かがのしかかっているように重たい。変な姿勢を長時間続けていたからか。軽く指で圧迫してしばらく待つと血が巡り出したように温かくなってきた。

上体を起こしたとき、携帯が鳴った。電話だ。上司かもしれない。まだ職場に車があるのを見られたか。指が通話アイコンを押したと同時に、画面に表示されていた名前を脳が認識した。しまった。

『マエさん、こんばんは〜、アマネです』

うるさい同期だった。今は誰とも話す気分じゃない、上司なら仕事の範疇だし今の僕を知っているから話すけれど、ただでさえうるさい他店舗の同期と話せるコンディションじゃない。

戸惑っているうちに沈黙の帳が降りて、僕は口を開いたまま言葉を吐けなくなった。

そんな空気を笑うように彼女は続けた。

『なにしてるのー、良かったらご飯いきましょーよー、マエさんの奢りで』

いつもと変わらない明るい声。なんとなくほっとしている自分がいて、少しむず痒い。通話をスピーカーに切り替えて携帯を助手席に放る。

「また今度な」

『なんでー、予定あるの?』

「ないよ。そういう気分じゃないから」

『そういうときこそマエさんは誰かといた方がいいよ』

「なんだそれ」

『考え止まんなくなっちゃうタイプでしょー、真面目だもんね』

ふとした違和感。普段の彼女ならここまで直接的に励ますようなことは言わない気がする。もしかして仕事を早く抜けたことがばれているのか。他店舗に退勤処理のログは共有されないはずだ。

「......なんでご飯行こうと思ったの」

通話のざらついたノイズ音。

『気を紛らわせたくなることくらいあるでしょ』

「なにか、あったの?」

『マエさんはさー、もっと話してくれたらいいよ。いやなこととかさ。考えても変わんないし。もうね、話して忘れちゃえばいいよ』

ぐっと胸が詰まる。

「忘れ、られないだろ」

『忘れていいよ。わたしが覚えててあげるから』

肺の冷たさがふっと滲んだ。思わず助手席の携帯を見る。打ち捨てられた小さな端末に通話中のアイコンが点滅している、ただそれだけの無機質が温かい。

『その代わりにさぁ、わたしのお話きいてくださいよ。マエさんが警察沙汰になった人、うちの店にも来たの』

「分かった。聞くし覚えとくからお前も忘れなよ」

普段より柔らかく弱った声に返事しながらエンジンをかける。

「お前のストレス共有、独特だな」

『この運用、双方の余力があまりなくても効果を発揮できるので』

「それは双方の忘れる力によるんじゃない」

『わたし催眠術上手いから大丈夫』

「そっか、おれ催眠術かかりやすいから大丈夫だな」

シートベルトを締めて、車を発進させる。少しだけ窓を開けると夜風が髪を揺らした。

『マエさん絶対かかんないでしょ、催眠術』

彼女の小さな笑い声が助手席から聞こえた。

















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いざ会ってみるとふたりとも食欲なくて海辺でコンビニおにぎりつまむやつ。


どうしようもない一線を越えてきてくれる人ってありがたいですよね。

僕は不器用でできるタイプじゃないから、自分なりの優しさを見つけていきたいところです。







大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。