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コロネビードルは風船のため息を空に放つ
見慣れたスーツの背中が泣きじゃくる女性の話に耳を傾けている、重たい雰囲気の個室ブースが監視カメラのモニタに映る。女性は隣に座るアンドロイドに腕を絡ませているが、頭部を破損したアンドロイドはそれに応える術を持たない。
どのくらいこの様子を見ているだろうか。ひとりきりのバックヤードとはいえ気を抜けない。椅子の背もたれに身体を預けながらも肩には力が入りっぱなしだ。個室ブースで応対中の副店長は小一時間も穏やかな態度を崩さずにいるが、とても自分にはできそうにない。今回のようなケースを熟せるようになる日は当分こないだろうな、と小さくため息を漏らしていると内線が鳴った。
「お疲れさま。早かったね、助かったよ」
従業員用駐車場で赤い車から降りてきた小柄な同期に声をかける。彼女はすぐに助手席から何重にも梱包された小さな段ボールを持ち出した。
「マエハラさんお疲れさまです、お客様は大丈夫そうですか」
「どうだろう、副店長が応対してるけどまだ泣いてたな」
段ボールを受け取り、ふたりで伝票を確認しながら足早に店の裏口へ向かう。たったひとつ横断歩道を挟んで向かい側なのだが、こんなときに限って信号が変わらない。
「そりゃ泣きますよ、パートナーですよ」
「まぁ、そう、だな」
先ほど店で泣いていた女性の隣で沈黙していたのは、ただの機械ではなく文字通りのパートナー、つまり恋人だった。アンドロイドの性能が上がっていくにつれ恋人や家族として振る舞わせる利用者が増えた。それを受けてメーカーも専用の機能を拡充し、顔や身体のパーツをオーダーメイドできるパートナーモデルを受注生産するようになる。パートナーモデルは構造が複雑な上、利用者の心情も鑑みて特別な応対が求められており関連研修を受講し資格を取得した店員しか応対できない。
「んー、でも俺には分からない、かも」
「……それ、素直に言っちゃうんですね」
少し落ちた声音にぎくっとして、視線を伝票から同期に移す。肩につくかつかないかの髪を揺らして彼女は困ったように笑っていた。
「そういうのって言わない方が得だと思うけど、アンドロイドの扱いって人によりますもんね。私は結構人に近い扱いをしてるけど、マエハラさんみたいに物として割り切ってる人もいるし。今日はムロヤ副店長が出勤の日でよかったですね」
「ごめんって」
「副店長の前では絶対言わない方がいいですよ」
「それは流石に、分かってる」
信号の青が俺の醜態に満足したかのように点灯した。人型の機械に特別な意味を持たせる人間もいれば、人型の人間でいることにすら意味を見出せない人間もいる。前者の豊かな心があれば俺のような空っぽな人間も救われるのだろうか。空っぽを満たすには足りないものがあまりに多く感じる。
コードを入力し店の裏口を開く。個人情報を多く有するバックヤードは本来関係者以外は立ち入り禁止で、系列店といえ他店の人間も入ることができない。今回は特例にあたるので彼女にも入店権限が与えられていた。
彼女が店舗用アンドロイドの手のひらに指紋を読ませて入店処理をしている間に、インカムで副店長に荷物が届いた旨を伝えて段ボールの梱包を解く。中から透明な立方体のケースに入れられた眼球が出てきた。見たことはないはずだが本物とほぼ変わらないな、と思わず感心してしまう。よく見るとただのパーツなのだが優しい茶色の虹彩は素直に綺麗だと感じた。
小柄な同期にインカムを渡してすぐ、副店長から合図がきた。破損したアンドロイドをバックヤードに運ばなければならないがなんせ人の数倍重量がある。自立機能を失ったアンドロイドは人間ひとりでは運べない。
「マエハラさん、眼球パーツの目神経引っ張り出してて欲しいです」
「視神経な。いってらっしゃい」
年下の同期はにこっと笑ってフロアへ出て行った。彼女はパートナーアンドロイド応対資格を持っている。研修すら参加させてもらえない自分では今回のケースに関わることができず、パーツも在庫がなかったため運搬ついでに彼女がサポート役として緊急招集されたのだ。
眼球パーツを上下に引っ張ると少しだけ隙間があき、中から接続のためのコードを引き出す。これを内部に接続すると視線が滑らかに動くようになるのだ。一般モデルは眼球をカメラやセンサーにしているため基本的に内臓型だが、パートナーモデルは眼球を外付け型にしカスタマイズの幅を広げながらも眼球周りに筋肉のような制御装置を搭載することで柔らかな視線の動きを実現している。また、カメラを搭載してアンドロイド視点での思い出アルバムを作成できるハイモデルの眼球もある。
今回のアンドロイドは左前面頭部破損で左の眼球が割れてしまったという。持ち主のショックがあまりに大きいため、一旦眼球の取り付けだけ店頭で実施し周辺表面の破損についてはそれから話を進める手筈だ。既に20時を回っておりとっくに閉店時間だが、女性があまりに感情を乱しているためか副店長が感情移入しているためか非常に丁寧な応対をしているようだ。
十五分ほどして、彼女がアンドロイドを座らせた台車を押してバックヤードに戻ってきた。台車の上でそのまま作業に取り掛かる。まずは割れた眼球を取り除いていく工程だ。
「アマネ、危ないからいいよ」
「手袋してるし大丈夫ですよ」
温度のない返事。眼球があったはずのくぼみに指を突っ込んで欠片を取りだしている傍で彼女はまつげパーツを丁寧に指で挟み撫でていた。気づかなかったが確かにきらきらしている。粉々になった悲しみのかたちを残さないように。その配慮が彼女との違いなのだろう。同期への気遣いしか頭になかったが、彼女はアンドロイドを通して持ち主を思いやれる。もしかしたらアンドロイド自体のことも気にかけているのかもしれないが、そこまでは理解できそうにない。
眼球のはめ込みはそこまで複雑な作業でもないため十五分ほどで終わった。入念に動作チェックを行い、アマネがアンドロイドを表へ運んでいる間に彼女の店舗へ電話を入れる。彼女の店舗は周辺でもトップクラスの規模を誇り、整備用倉庫も併設している。今回は眼球パーツを突貫でカスタマイズしてくれた上に不備があったときのために待機してくれていた。名乗ると電話の向こう側から「あぁ、君か」という意味を持たない言葉とともに小さな落胆の気配がして、彼女が好かれていることが伺える。仕事なのになんとなく悪いことをした心地になった。
結局、お客様はそれから三十分ほどで店舗を後にした。女性はアンドロイドの整備と検査を行う間離れ離れになるのが辛くて感情的になっていたらしい。副店長はアンドロイドのサイズに合わせた手袋を貸し出したとのことで、グッズの応用的な使い方に開いた口が塞がらない。
「温もりを直接感じられなくてもね、繋ぎとめてくれるものがあると安心できるんだよ」
穏やかに微笑んだ副店長の顔はどこか寂しさを帯びていて、ろくな返事ができなかった。
先に帰るように言われてアマネとふたり、それぞれ車を運転して海沿いの公園に寄った。先客のいない駐車場の適当なところに車を停め、海へ降りていくだだっ広い階段に並んで腰を下ろす。穏やかな海に三日月が映り込んでいて、奏でられる波の音が心地よい。
「俺は手袋なんて考えつかないな」
「飲用オイルも渡してたみたいですよ、彼も整備を頑張るから帰ってきたらこれで乾杯してあげてくださいねって」
はぁ、と感心のため息が漏れる。アンドロイドを彼と呼べる日が来るだろうか。きっと呼び方を変えるだけでは届かない世界がある。
「すごいな、俺には資格取れそうにないや、足りないものが多すぎる」
「得意分野はみんな違う方がいい店舗になると思いますよ」
彼女は朗らかに笑いながら、ちょうどふたりで店を出る頃に彼女の店の副店長が来て差し入れてくれたパンの包みを取り出した。
「わ、甘いやつだ、さすがハラダさん分かってるなぁ」
うちの会社は規約すれすれのグレーゾーンで運営している。人手不足のため店長たちは基本的に複数店舗を掛け持ちしていて実際に店を管理しているのは副店長たちだ。ハラダさんは大きな店舗を任されている副店長で、気遣い上手と聞いたことがある。周りを見渡すとみんな当たり前のように優しさを標準装備していて少し遠く感じてしまうのは自分の未熟さだろうか。
「ハラダさんも忙しいだろうに、ありがたいね」
「ねー、マエさんはドーナツとチョココロネどっちがいい?」
「どっちでもいいよ」
「だめー、好きな方をちゃんと選んでください」
差し入れがなければ、片付けに集中したい副店長に店を追い出された後そこまで親しいわけでもない同期と時間を共有することはなかっただろう。少しずつ敬語が外れていく年下の同期の言葉がほんのり温かい。
「どっちも変わらないよ」
「変わりますよー、そうだなぁ、ドーナツは穴が空いてて向こう側が見えるけど、チョココロネは甘いチョコが詰まってる。ほら、どっちが好き?」
はい、と小包装のドーナツとチョココロネを差し出される。弱々しい月明かりに照らされた小さな手のひらに乗った二択は非常に重要なものに感じられた。
「俺は、どっちが好きそうかな」
彼女は一瞬大きな目を丸くした後、やっぱり朗らかに笑った。
「自分で甘いの選ばないだろうから、チョココロネあげる」
差し出された小さなパンの重みは眼球パーツと同じくらいだった。なぜか包みを解くのに躊躇ってしまう。
隣を見ると彼女が大きな口をいっぱいにして、あまくてしあわせ、とドーナツの穴を解いていた。
***
放っておくと割れていた。
マエハラとアマネが仲良くなったきっかけの日。
その後のふたりはこちら。
大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。