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五十音物語

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あ~をまでを物語に。
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#ショートショート

「空を見上げなさい。しんどくなったら」 と恩師が教えてくれた。 当時は何を言っているのか分からず、帰り道友達とずっと空を見上げてたような。 この言葉が10年後に花を咲かすってあの人は分かっていたのだろうか。 頬に雫を垂らしながらグラデーション加工された空を見上げたら、許された気がした。 もう少しだけここで頑張ろう。

「成人したからもう大人やで」と周りの大人に言われた。 そんな事を言われても昨日と変わらない今日を過ごしているし、何か変わる気もしていない。 なんなら制約が増えたと思ってしまうぐらいだ。 何があれば僕は大人になれるんだろう。 そんな事を思いながら酒を呑む。 指の間に挟んだ煙草からは一本の柱が立っている。 これが大人なのだろうか。

スイミングスクールが好きだった。 週1回だけ120円のセブンティーンアイスが買ってもらえたから。 最高気温を更新した今日、駅前の自販機でアイスを買う。 昔は食べられなかったチョコミント味は今の私にとって最高のご褒美だ。 アイスを持たない左を掴まれた気がして目線を落とす。 誰もいない左側には懐かしい匂いがした。

しゃっくりは何回出てもたぶん死なないし、テレビの中に小人はいないし、雲の上には乗れない。 これに気づいたことを成長と呼ぶのか、子ども心を忘れたというのか。 今日も雲が恐竜に見えなかったことを悲しく感じてしまった時点で、きっと後者なんだ。 目に見えない柵が私を酸化し続ける。

錆びた鍵穴、破れた網戸が出迎えてくれた今日、僕は知り合いの居ない土地に越してきた。 まっくろくろすけが出てきそうな新たな住処は、ネットで見つけて即決だった。 20分電車に乗れば、どこにでも行ける街での生活に疲れた僕の選択肢はこれしか無かった気がしたから。 ここから全てが始まる。 リセットボタンを押すかのように門扉に手をかける。

コルセットで締め付けたお腹に、履きなれないハイヒール。 1年も延期したのにこんなにも多くの人が来てくれた。 出逢いに恵まれていたんだなぁと改めて実感する。みんなの写真には引きつった顔の私が写るんだろうなぁ。 今日のために東奔西走してくれたパートナーへの感謝は計り知れない。ありがとう。

ケロリン桶の大合唱。 天井からの合いの手滴。 赤富士の前で突如始まる演奏会を目を閉じて楽しむ。 間奏は溢れ流れる水流音。 女風呂から聞こえてくる「もうあがるで〜」の一言で演奏会は終わり。 頭から立ち上げる湯気と湿ったタオルを片手にフルーツ牛乳を飲みながらトボトボと。

暮れていく空を見るのが好きだ。 あれだけ空を煌々と照らした対応は、橙の光を放ち、空は淡い青と夜を匂わすグレーに覆われる。 その様子はまさに人生のようで。 明るい時間は長いがいつまでも続かず、やがて帳が降りる時間がやってくる。 たった数十分に凝縮された世界観に怖ささえ覚える。

黄ばんだ壁。 柱に刻まれた幾つもの横線。 ピアノの重みで凹んだ床。 見えるもの全てに紐づく在りし日の記憶。 忘れていたと思っていたあれこれは、ちゃんと僕の一部になっていた。 27年間住んだこの家とは今日をもってお別れ。 いつかこんな日が来るとは思っていたけれど、こんなにも悲しいものだとは思わなかった。

「カナダ行き477便にお乗りの方〜」。 搭乗口ラウンジに響き渡るアナウンスに心が踊る。 10年間勤めた会社を急に辞めてはや1ヶ月。誰かがに見られている気がして、大勢と同じことを続けた私の初めての悪行。 私の事を知る人が誰もいない地が、私を待っている。 友だち100人のLINEをアンインストールして私は席を立つ。

「おとめ座は最下位です。ラッキーアイテムはプリンです」と言われた6:30。 今日のおやつはプリンにしようと決めたのに、いざコンビニに行くとエクレアが私を誘惑する。 12位脱却の闘いに負け、口いっぱいに頬張る。 やっぱり好きな物食べるのが一番。 これで今日の私は最強。

エレベーターガールは私の夢だった。 5歳で初めて乗ったエレベーターにはシャンとした背筋、綺麗な手でボタンを押す女性いて、私には衝撃だった。 私が大学を出た頃には世の中から憧れの存在は姿を消した。 道半ばで出逢った今の仕事は悪くない。 「間もなく離陸いたしますので、シートベルトをお締めください」

売れ残ったかつ丼に貼られた50%OFFのシール。 誰かが丁寧に作った物を無残な扱いにしてしまう厚さ0.5㎜の魔物。 顧客の理不尽な怒りを受け、心が折れかけた自分とかつ丼を重ねてしまう。不健康な物が積もった胃袋に頭を下げながら、かつ丼をレジに持って行く。今日を共に乗り切った仲間に出会えた。

息を切らして駐車場を駆ける。 突然の電話を受けてから全てがスローモーションだ。 こんな世間のせいで立ち会う事もできず、結果しか受け取れない。 それでもこの人生で最上の喜びが全身を巡る。 駆け足な気持ちに反して、一秒一秒が重く、扉までが遠い。 この霞む視界と血の味は墓場まで忘れることのない思い出。