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真っ黒なスーツがタンスに眠り、髪の毛が明るくなった頃には世界に絶望しているかも。 世界を綺麗に見せたい大人が通行証代わりにしたのは、色を奪った見た目。 同じ釜の飯を食い、休みの日も共に過ごしてもいつかは終わるその関係。 その度に変わりゆく外見を、世の中では成長という。
しゃっくりは何回出てもたぶん死なないし、テレビの中に小人はいないし、雲の上には乗れない。 これに気づいたことを成長と呼ぶのか、子ども心を忘れたというのか。 今日も雲が恐竜に見えなかったことを悲しく感じてしまった時点で、きっと後者なんだ。 目に見えない柵が私を酸化し続ける。