肥満細胞腫 6/27-8/2(最終回)
食餌の記録を止めたのは、日々がつつがなく繰り返され、犬も私も一定のリズムが出来ていたから。
7月30日の土曜日
定期診断に息子がリッツを連れて行った。当日の朝はいつも通りで、自分でトイレに行き、私の待ても聞かずにカリカリをがっつき、私の目には何ら変化がわからない日常であった。
息子が獣医さんに行ってしばらくしてから、先生から電話がきた。
「にいちゃんも具合が悪いから来てくれる?急いだほうが良い」
ほぼ何も状況が飲み込めないまま獣医さんに行くと、待合室の床に息子が寝かされていた...。
救急車を呼んでもらい、同乗して救急病院へ。
私「先生すみません。犬、お願いします!」
先生「それどこじゃないから。犬も危ないから」
再び、状況がつかめないまま私は救急車に乗り込み病院へ。
しかし、診察するはずの医師は病棟の入院患者の容体が急変し対応しているために2時間ほど待たされて、待っている間に息子のバイタルなどが回復したため、「帰っていいですよ」となり...、詳細不明のまま帰宅。(医師と私は話もしていない)
ちなみに「数日間は○○に気をつけたほうがいい」とか「後日○○等の検査をして」とかも何の話もなかった。
8月1日 月曜日
獣医さんにお礼とお詫びにうかがった時、「結局なんだったの?」と先生に尋ねられ、説明も何もされなかった話を伝え、先生とふたりで「人間の医者すげーな」と意見が一致した。
能天気にも「夕方、息子が帰宅したら車でリッツをお迎えに来ます」という私に、「そんな状況じゃないんだよ」と言われ面会させてもらったのだが、
高濃度酸素を供給してもらって目を開けたまま横たわるリッツは、私の姿にも反応はなく、私にひとつの覚悟をさせた。
7/30-8/1までの流れがこれだけでも信じられないのだが....。
7月30日の深夜
一番元気なハズの猫が吐いた。猫が吐く程度では当然驚かないのだが、嘔吐とともに脱糞。うんちに粘液が混じっていて、吐いたあとに開口呼吸を始めた。慌ててネットで深夜受診可能な獣医さんを調べて電話をするもすべて留守番電話であり、みるみるグッタリする猫を見ながら翌朝の診察待ち。
食欲廃絶状態が続き毎日点滴に通い、いまだにマトモに食餌をしてくれない。
8月2日 火曜日
獣医さんからリッツが亡くなった旨の電話が入った。
余命告知からちょうど半年。プロの見立ての怖さを実感しながらも、早めに告知を受けたことで丁寧に暮らすことができた気もする。
反省するとしたら、土曜日の通院前に私は全く犬の体調の変化を感じることが出来なかったこと。私に体調を観察する目が節穴だった為なのか、これが急変したということになるのか判断できない。
しかし、もう時期そうゆう時期が来るだろうと思っていた自力排泄できなくなったり、おむつを使用することもなく、自分の足で立ち食餌を楽しんで旅立って行ったことを立派だと褒めてあげたい。
コケてしまってスグに立てなくても、介助しようとする私に「何をする!手出し無用」とばかりに反抗して「俺は今、ココで寝ているだけだ」という顔をする武士のような気高い犬だった。
息子の人生の半分を生き、犬生の1/3を彼とともに過ごした。
彼が迎えに来てくれるから、元気な身体に戻って思いっきり走って欲しい。
もうリードも首輪も無しで好きに走れるね。
ありがとう。君はカッコいい犬だったよ。
リッツになんの遠慮もせず自由に暮らしていたぐぐ(写真の猫)が、リッツが入院した日の夜に体調を崩したのは偶然だろうか。
今はぐぐが回復してくれるのが最優先。
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