横山小寿々
鮎沢鞠毛(あゆさわ まりも)は自分の名前について悩んでいた。 人との付き合いが苦手なため、そのことを話せる人はいない。 父・正臣(まさおみ)の再婚で涼花(りょうか)と認知症の和(かず)と暮らすようになるが、父はすぐに家からいなくなった。 夏休みのはじまる夜、 「おじさんの失踪を一緒に探そう」と 同級生の篤人(あつと)から言われたのだが――。
「奇跡を、生きている」について ご紹介や、心のこもった感想文を書いていただき とっても嬉しいです! 感謝の気持ちいっぱいです! ありがとうございます。
短編小説、ショートショートなど 短い物語をまとめてあります
stand.fmで放送中の「劇団横山のChottoタメにならない話」や劇団横山のインスタグラムなど、劇団横山に関することをまとめていきたいと思います!!
3歳の頃に映画館で映画を観てからずっと映画好き!上手に映画の紹介はできないのですが鼻息荒く好きな映画を好きなように語っています。
「私、今生きてるなぁ。」 思わず呟いてしまった今日この頃です。 数ヶ月前、病状が酷く 「これ以上生きていても家族に迷惑かけるから死んだ方がいい」 きっぱり、迷いなく思っておりました。 NHKで放送された 安楽死の番組を家族で拝見し 「私もこの人と同じ気持ちなんだよね…」 真面目に言いました。 本当に死に向かって一直線でした。 (筋痛性脳脊髄炎の患者さんは 自殺者が多いと後から知りました) 365日24時間 痛みやだるさ、考えがまとまらない しっかり診てくださる病院はない
毎週金曜日から日曜日の三日間は、涼花さんが経営するカフェのオープン日だ。 朝から出かけて、帰ってくるのは夜遅くになるときが多い。和さんは一人で自分のことはできるとはいえ、一人きりにするのはまずいだろうということで助っ人を頼んでいた。 隣の地区に住んでいる和さんの妹の妙さんが、家に来て一日世話をしてくれることになっている。「ヘルパーさんに頼まなくても、私も元気だし、姉さんの面倒くらい大丈夫だから」と、妙さんは平日もほぼ毎日のように顔を出してくれて、家に泊まっていくことも
マリーさんだ! いや、正確な名前は知らない。私と父は、その植物をずっとマリーさんと呼んでいた。亡くなった母が大好きだった植物だと父が言っていたことを覚えている。 マリーさんは借家の軒下に生えていて、父が仕事に出かけるときは毎回、「お守りになるから」と、まだ柔らかい先の部分を摘んでは、ポケットに入れて持って行っていった。 マリーさんに近寄って、父がしていたように柔らかい部分を摘む。清涼感のある香りが広がり同時に、懐かしい気持ちになる。 「どうして、この植物はマリー
昨夜はなかなか寝付けなかったが、夏休み最初の日はいつもより早く目覚めた。確実に寝不足だけど、ゆっくり寝ていたい気分にはなれない。 「おはようございます。あの、何か手伝うことってありますか?」 台所に立つ涼花さんに声をかける。 ここ数ヶ月、毎日目にしてきた当たり前の光景。今日も同じく涼花さんが台所にいることに、ほっとした。 「おはよう。食事の準備はほとんど終わっているから、手を借りなくても大丈夫よ」 食卓には茶碗も箸もおかずも並べ終わっている。 「いえ、そうじゃな
春がやってきて、今度は夏が来るぞ! という暑さを最近感じる日がある。 この時期になると大地の匂いと言いますか、なんだか地球の香りと言いますか、強いエネルギーを感じます。 冬の間眠っていた草花たちが一気に咲き出し いろんな香りやパワーにクラクラしてしまう感覚が毎年大好きなのです。 今年は浜松市で「浜名湖花博2024」が開催され、どうやら20年ぶりの開催らしくて、夫と一緒に行ったよね! トルコアイス食べたよね。何度も行ったよねぇ、と言っていたら「花博は一回であとはフラワーパー
トトトと、リズミカルに廊下を歩く音がする。その足音が私の部屋の前で止まると、一瞬のためらいもなく襖が開けられた。 「暑いな、窓あけようぜ」 篤人はまるで自分の部屋のように入ってきて、私の返事を得ることなく部屋を横切ると窓を大きく開けた。昼間ならあまり手入れのされてない芝生の広場とその向こうにある雑木林が見えただろう。周囲に明かりのない今は、夜の暗闇が広がるばかりだ。 窓からぬるい風とともに湿った土と蒸れた樹皮の匂いが入り込んできた。生命力を感じる匂いに頭がくらっとする
思春期特有の悩みなら数年我慢すれば解決するけれど、 私の悩みは一生続くと思う。 「鞠毛さん、そろそろ晩ご飯にしましょう」 私は台所から呼ぶ涼花さんに「はい」と返事をして、通知表を手にとった。 気が滅入る。その原因は、通知表の中身ではない。表紙に書かれた自分の名前だ。 鮎沢鞠毛。 やっと馴染んできた名前であると同時に、ずっと私を悩ませてきた名前。そしてこれからも悩ませ続けていくのだろう。この名を目にする度、どうして『毛』なの。『藻』じゃダメだったのか? と思う。
今年はなるったけ やりたいことを実行中です。 毎日身体はしんどいのですが、 今の人生楽しみたいんじゃー! やりたいこと、やれることやってみよー! 2024年です。 一月は家康公について知ってみよう!と いろいろ行ってみたり←どうする家康館とか。家康公が訪ねた場所、食べたといわれたものを食べたりね、しましたよ。 二月は海に行ってみたり、読んだことのないタイプの本を大量に読んだり、映画をいっぱい観たりしました。 三月は娘の卒業祝いをしたりしながら じっくり自分の時間を作って内観
病気(慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎)に なってから痛みやしんどさでいっぱいの身体と、どう向き合っていこうか考えていた この数年間。 もともとやりたいことにバビュンと 素早く行動するタイプだった私は この身体になってから出来ないことばかりで、なんだよー! ムキー! なんて思うこともあり、 だけれど心穏やかにいこう! 出来ることやっていこう! と日々を過ごしておりました。 怒濤の闘病生活がなんとなく慣れてきて(痛みとかには慣れないし、しんどい日も多いですが)しんどいとかつ
日が暮れ出すと私の部屋に濃い香りがするようになった。 それは、今から夜がはじまる合図のように私を包み込んでいく。 数日前、ドラセナに蕾がついていることに気がついた。白くて小さな集合体にそっと触れる。この家に越してきた時に買った、幸福の木/ドラセナ。 はじめて花をつけた時いつだったか、娘が生まれていたのか、いなかったのかも思い出せない。ずいぶん前に咲いたことだけは覚えている。当時SNSにその花の写真を載せると友人が 「めったに咲かない花が咲くなんて! 幸せいっぱいだね」 と言
私、今年2024年って思っていて、途中から違うって気がつきました。(途中っていつからだ?) いろんなことがあったのに うっすらボンヤリしているので(病状なのか性格なのかわかりませんが) 今年、もう終わるの?っていう感じです。 宇宙人に記憶を消されたくらいに記憶がないのよ! ということで、今年の感謝の振り返りをしていきます!(急だよ) 今年の初めに「奇跡を、生きている」というエッセイ本を刊行しました。 いろんな方からあたたかい気持ちをいただき、本当に有り難い気持ちいっぱい!
「もしもし……小寿々さんですか?Aです。お久しぶりです」 と、受話器から懐かしい声が耳に響いた。 私はボディケアやアロマ、ヨガ、レイキのレッスンをするセラピストの仕事を20年間していました。 歯科衛生士として働いていたのですが、結婚を機に正社員の仕事を辞めて保健所でパートとして働きながら「虚弱な身体をどうにかしたい」と、身体の勉強をはじめたのがきっかけです。 もともと身体について学ぶことが大好きだった私。 セラピストの仕事をはじめた時も、毎日が楽しく、お客さんやアロマやヨガ
今年ね、 初コロナにかかり、持病+コロナって かなりヘビーな状況で 後遺症もでちゃって いまだに香り、わっからへん!な時もありまして、てんやわんやは続行中です。 夫→娘→私の順でみんな一緒に寝込んだんですよ。 病状(筋痛性脳脊髄炎)も悪化して握力0.5になりましたよ。 まいっちゃってます! で、高熱の中 「オッチョ…オッチョ…」って ずっと呟いていたんです。 「オッチョってさ、 おちあいちょうじ……だよね、 あ~~~! 20世紀少年だよー!小泉の役のさ、 木南晴夏さん、めち
好きだなぁ 素敵だなぁって感じると 身体中に キラキラしたものが駆け巡り 今まで存在していた細胞がビュンって一気に塗り替わるような勢いがある。 何かを 誰かを 好きって気持ちは どうしてこんなに 毎日を輝かせてくれるのかなぁ。 そんな人に出会える機会は 生きているうちにどのくらいあるんだろう。 ってね、乙女心満載です。 気がついたら9月になっていました。 夏が終わりましたね。 2023年。 今年の夏、 私にとって めちゃめちゃ めちゃくちゃ 楽しみにしていたことがありまし
先月、娘が15歳の誕生日を迎えました。 あっという間に育った!って感じです。 優しくて、しっかりしていて 小さな頃は「かあちゃ~ん!」とよく 大泣きしていたなぁ。なんて思い出していました。 どんな時も、今も可愛いまま! 生まれてきてくれてありがとうー!!と賑やかにお祝いしました。 スタエフでも 娘のお祝いをしました。 夫と私と娘で めちゃめちゃ、わちゃわちゃしていて いつもの横山家の会話になってしまった! 次回はしっかりしようね!と反省しながら 家族会議で話し合いました。