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オリジナリティとは?(中編) 表現が伝わる人と伝わらない人の特徴 ”アホウドリは美しい”


前編ではモノマネについて説明しましたが、中編では主に表現が伝わる人、伝わらない人の違いについて述べようと思います。


オリジナリティを理解するには以下の5点に気を付ければ自ずと見えてきます。

①課題曲について考える

②手段が目的化している人の表現は伝わらない

③元ネタは隠すのではなく開示するもの   

④歴史、文脈を理解して提示する

⑤自己の問題意識、価値観(アイデンティティ)をはっきりさせる

(中編では①〜③についてお話しします)


今回は”アホウドリは美しい”というキーワードの対話を例に出し、下記の三者を用いて説明していきます。

Yさん:表現がうまく伝えられない人 
Dさん:表現がうまく伝えられる人 
Kさん:聞き手 

         

①課題曲について考える

まずクラシック音楽の世界では課題曲というものが存在します。
偉大な過去の巨匠が作り上げた楽曲を様々な奏者が演奏し、表現力を競うものです。
これはデッサンにおける模写とも酷似していて、目指す課題は同じでも、アウトプットされるものは十人十色様々なものになるかと思います。

ここで重要なのは課題曲なので作品の独自性ではなく、奏者の個人の表現力が特化して見えてくるという点です。
奏者により拍手喝采の場合もあれば、凡庸で眠気が起こる場合もあるかと思います。

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クラシック音楽や模写に限らず、対話表現にも同じような例を出すことができます。


例えば”アホウドリは美しい”という課題(題材)をYさんとDさんが、Kさんに話すとします。
当たり前ですがここでも両者の言い回しや、話す内容に差異が生まれます。

Kさんにとって、Yさんの言葉の表現にはアホウドリの美しさの想像があまり掻き立てられないのに対し、Dさんの言葉にはありありとアホウドリの生態や造形の美しさが想像できるとします。

なぜそのような現象が生まれるのでしょうか?

ここで重要になってくるのはクラシック音楽の例と同様、作品(題材)の内容ではなく、その作品の表現の仕方(話し方)に差があるという事です。


②手段が目的化している人の表現は伝わらない

例としてYさんがKさんに対して、こんな風に述べたとします。


「アホウドリのフォルムは本当に愛くるしいよね!
面白いのは見てわかる通り、ただ可愛いだけではなくクチバシや毛並みもたくましくて立派な事だ。たまらなく美しいよね!」

ここでのYさんの問題点はアホウドリは美しいという価値観をKさんに理解させるのが目的となっている点です。

本来の目的はアホウドリは美しいという事実を会話で表現する事であり、その価値観をYさんに理解させることが目的ではなかったはずなのです。
大切なのはこの時点でKさんはアホウドリに興味を持っているかわからないという点です。

アホウドリの美しさについてYさんが語るのは結構ですが、Kさんがそれを共感するかどうかはあくまでKさんの問題だということです。

Yさんはいつの間にかアホウドリの美しさについて考察し表現することから、いかにKさんにアホウドリの美しさを理解させるかという手段にフォーカスしてしまっていたのです。

これでは当たり前ですがKさんはアホウドリの説明を億劫に感じ、いずれYさんの言葉数の多さに嫌気が差すでしょう。

まずはYさんはKさんに共感を求める前に、Kさんがアホウドリに興味があるのかわからないという前提を理解して、Kさんに伝えるべきなのです。




③元ネタは隠すのではなく開示するもの 

では②の説明にあったように表現とは他者に理解を示そうとして行ってはいけないのでしょうか?

ここで重要になってくるのが自己の価値観とは何なのか知ることです。

そもそも”アホウドリは美しい”というワードは奇をてらった不思議な言葉に聞こえる内容かと思います。
ひょっとしたらどこかの小説の一説にあるかもしれません。


そもそも自身が思いついた言葉、アイディアなどは以前どこかの誰かが先に閃いているものです。
まずは完璧なオリジナルなどは存在しないと割り切る謙虚さを持たなければなりません。


何より大切なことは、自身の価値観や能力は、周りの環境や、進言によって形成されていると認識する謙虚さを持つことです。
これはそもそもオリジナルというものは存在しないという事実にも繋がります。
私たちが思いついたアイディアから、普段何気なく使っている言葉、仕草まで、それらは全て生活する上で無意識に吸収してきた物事の集積の結果にしか過ぎないからです。
私たちは目から耳から口にしたものから逃れられることはできませんし、影響を受けないことはあり得ません。
アートにしても無から有を生み出すことなど不可能です。大事なのはまずはその認識をきちんと持つことです


よく影響を受けたもの(元ネタ)を隠すという発想がありますが、それはズレた考え方です。
元ネタは隠すのではなく開示するものです。

元ネタは言葉を変えるのならば文脈です。
文脈は個人の主観とは関係のない客観的な事実です。
客観的な事実は相手と価値観を共有する上で非常に重要なツールです。
(詳しくは後編の④歴史、文脈を理解して提示するでお話しします)

Kさんに観る姿勢、聴く姿勢を持って貰う為には、まずYさんはこの潔さと素直さ、謙虚さ持つことが必要不可欠です。
取り繕ったり、背伸びをすることは何事においても良い結果をもたらしません。

アホウドリについて語りたいのならば何故アホウドリについて話すのか。
それは何の影響によって生まれた価値観なのか率直に話すことです。(もしくは影響を自覚する事)

素直さと謙虚さこそが表現者において最大の武器です。
早い話、元ネタを隠そうとするからモノマネ、パクリだと思われるのです。

しかしここで一つ疑問が残ると思います。

元ネタが開示されているにも関わらず、相手がその表現に共感し、最後は感動までするような事が何故起こるのか?(抽象とは?でも説明した通り世の中のアートにはウォーホールを始め、引用芸術も多数存在します)

後編ではDさんの表現の仕方を例に出し、オリジナリティの正体に迫っていきたいと思います。


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